春の歓楽



15







 『それで、真ちゃん下級生からもたくさん花束貰っていたし、写真も一杯撮られてて、なんだが俺まで鼻高くなっちゃて』
 「そうか」
 『やっぱり、出て良かったです。俺以外はみんな父兄だったし、若い人っていなかったから少し恥ずかしかったけど、約束を守れ
たし、本当に・・・・・良かった』
 「・・・・・」
 『ありがとうございます、海藤さん。家に帰るの迷ってた俺の背中押してくれて・・・・・。一緒に家に来てくれたことも、凄く・・・・・
嬉しかったです』



 真哉の卒業式当日の夜、真琴から掛かってきた電話はとても嬉しそうだった。
その口調だけでも真琴の喜びが海藤にまで伝わり、目の前にいないはずの真琴の表情が手に取るように分かる気がする。
 『海藤さん達ももう少しこっちにいたら良かったのに・・・・・じいちゃんなんか、1日中素振りしてますよ、綾辻さんに次は絶対勝
つんだって言って』
 「身体を壊されないようにしてくれたらいいが」
 『それは口煩く言ってます。ギックリ腰にでもなったら笑われるよって』
パワフルだった真琴の祖父の姿を思い浮かべ、海藤は苦笑を漏らしながら言う。
 「あまり言うことを聞いてくれない感じだがな」
 『頑固者なんです』

 まだ、真琴と離れて2日しか経っていない。
それでも、1人でいるマンションの部屋がこんなにも寒いことを海藤は改めて感じていた。
抱き合うだけではなく、傍にいるだけでいい存在・・・・・離れてみると改めてよく分かる。
 『明日、帰りますね』
 そんな海藤の心が見えたかのように真琴は言った。
 「せっかく帰ったんだ、もっとゆっくりしてきてもいいんだぞ」
 『だって・・・・・淋しいから』
 「真琴」
 『俺が早く海藤さんに会いたいから帰るんです。明日の夕方には着きますからっ、おやすみなさい!』
自分の言葉が恥ずかしくなったのか、最後は早口になった真琴の電話は突然切れた。

 切れてしまった携帯電話をしばらく見つめていた海藤は、そのままゆっくりと通話を切った。
 「明日か」
明日には、あの愛しい存在が自分の腕の中に戻ってくると思うと自然に頬に笑みが浮かんでくる。
家族のいる場所でもっとゆっくりしてきたらいいと思ったのも本当だったが、淋しいから帰りたいという真琴の気持ちが嬉しいのも確
かだ。
 「・・・・・」
 海藤はリビングのソファに座って大きく溜め息をついて目を閉じた。
真琴が戻ってくるのとほぼ同時進行で、海藤の周りも目まぐるしく変化しようとしている。今のままの穏やかな日々は、多分まも
なく厳しいものに変化するだろう。
出来るだけ真琴には負担を掛けないようにしたいが、海藤の傍にいるというだけで真琴は渦中の人間だ。きっと、嫌なことも耳に
入るだろうし、目にするだろう。
 「・・・・・あのまま、あの家に置いておいた方がいいんだろうが・・・・・」
それでも・・・・・離せないのだ。



 「おはようございます」
 翌日、マンションに迎えに来た倉橋の表情は硬いものだった。
 「連絡があったのか?」
 「電話を頂きました。明日の正午、関東支部に来るようにと」
 「・・・・・」
 「社長、これは・・・・・」
 「仕方がない。名をあげられたことを名誉に思わないとな」
(俺にとっては迷惑なだけだが・・・・・)
部屋を出て地下駐車場に行くと、助手席には綾辻もいた。
こんなに朝から(既に午前10時を過ぎているが)綾辻が動き出すのは珍しい。それだけ綾辻にとっても今回の問題は大きいの
だろう。
 「大変ですね」
 車が走り出した途端、綾辻は朝の挨拶も無くそう切り出した。
倉橋はそれに僅かに眉を顰めるが、それでも口を挟もうとはしなかった。
 「・・・・・仕方ない」
 「推薦者は本宮さんでしたっけ」
 「あの人に背中を押されちゃ断れない」
 「・・・・・」
 本宮宗佑(もとみや そうすけ)・・・・・大東組若頭補佐の彼は、今の大東組の実質No.3の存在だ。
海藤の伯父の菱沼が開成会の若頭をしていた頃からの知り合いで、海藤も幼い頃から伯父の家に遊びに来ていた本宮とよく
会っていた。
その為に本宮の人となりもよく知っているつもりだ。彼は昔からの極道のように剛毅で情の厚い人物だ。
(・・・・・参った・・・・・)
 「それでも、少し早かったですよね」
 「・・・・・」
 「選挙は3年に1度だから、せめて後6年・・・・・あー、江坂理事が就任したのは・・・・・」
 「4年前ですよ。彼が33の時です。でも、あの時は抗争中で、仮という立場での就任だったと思いますよ。正式になったのはそ
れから1年後で・・・・・」
 「じゃあ、今の社長と同年齢ね。前例があるから抵抗は少ないのかもしれないけど」
 「・・・・・」
 確かに、江坂という前例が無ければ、海藤くらいの若造の名前が上がることはなかっただろう。
ただ、大東組の中でも世代交代は起きているし、その中で名実共に力がある海藤がその候補になるのもおかしいことではない。
本人の望むと望まぬとも関係なく、全てはもう動き始めているのだ。

 病気治療の為に現役を退いた人物の為に、1つ空いてしまった大東組の理事のポスト。
それを巡っての選挙が近くあり、全国から同系列の人間での自薦他薦が相次いでいたが、その中の最有力候補が自分だった
とは・・・・・海藤もつい最近まで知らなかった。
始めから言えばきっと海藤が辞退するだろうという本宮の作戦勝ちで、既に今の時点で海藤の立候補は確実になってしまって
いた。

 「年齢から言えば、上杉会長の名前があがってもおかしくはないのですが」
 「あの人は面倒くさいことは大嫌いだもの。うまく逃げたんでしょ」
 「・・・・・」
 「社長」
 「とにかく、もう名前が出てしまったからには立つしかないだろう。近い内に本宮補佐と伯父貴にも会いに行く」
(ただ、真琴にはどんな火の粉も掛からないようにしなければ・・・・・)
 選挙という名前はついているが、実質総本山大東組の権力の一部を握れる立場になるこの争いはフェアなものばかりではな
いだろう。
互いの弱みを探り、足を引っ張り、最悪命さえ狙われかねない。
自分の危険などは怖くないが、その手が真琴に行くかもしれないと思うと海藤は心臓が凍りそうになってしまう。
その危険を回避する為にも、はっきりと名をあげて立った方がまだいいだろう。
 「マコちゃんは何時帰って来るんです?」
 「明日の夕方だ」
 「・・・・・待ち遠しいですね」
 「・・・・・ああ」
明日、真琴は帰って来る。
あの温かな身体を抱きしめて、海藤は早く息をつきたかった。