春の歓楽











 久し振りの母の料理はやっぱり美味しかった。
味付けで言えば、多分海藤の方がきちんとしたものだろうが、少し甘めの子供が好きな味付けは昔から真琴が馴染んだ味だっ
た。
 「この卵焼き、美味しいわ〜」
 甘い卵焼きを一口口に含んだ綾辻が、頬を綻ばせてそう言った。
真琴は嬉しくなってコクコクと頷く。
 「砂糖と醤油が入ってるんですよ。少し甘めだけど、俺、この味が大好きで!」
 「そういえば、何時も卵には砂糖を入れるな」
海藤も真琴の味覚のルーツが分かったのか、思わずといったように笑みを浮かべた。
 「お母様、料理上手よね〜。お父様はそこに惚れちゃったとか?」
 「綾辻」
眉を顰めた倉橋が言葉を止めようとしたが、父は少しも気分を害した様子も無く笑いながら答えた。
 「いえ、結婚当初は食べれたもんじゃなかったんですよ。子供が出来てからじゃないかなあ、随分頑張ったよね、母さん」
 「やだあ〜、お父さんったら〜」
少し離れて暮らしていたが、両親の仲の良さは健在だ。
にっこり笑う真琴の笑顔に頷き返しながら、綾辻はガツガツと料理を口にする2人の兄達に話の矛先を変えた。
 「お兄様方は、恋人は?」

  
ブフォッ

 盛大に咽た兄達を、母親が眉を顰めて見つめた。
 「やあねえ、汚いでしょ」
 「ごっ、ごめん」
 「そういえば、兄ちゃん達、結婚とか考えてるの?」
会うたびに何時も『マコ、マコ』と煩く構ってくる兄達の私生活を、実を言うと真琴はほとんど知らなかった。
この家で一緒に住んでいた時も、彼女らしい女の人を連れて来たことは無い。
(兄ちゃん達、カッコイイのに・・・・・)
見た目では海藤達のように直ぐに女の目を惹きつけるというタイプではないが、男らしい容姿に真っ直ぐな性格は、真琴も昔か
ら兄達以上の存在はないと思っていたくらいだ。
そんな兄達がほとんどといっていい程女の影を見せないのは・・・・・。
 「マコ、俺達にはマコだけだって!」
 「俺達、マコと真が一番大事なんだよ!」
信じてくれと詰め寄ってくる兄達を目を丸くして見つめていると、1人黙々と鮨を口に運んでいた真哉がボソッと言った。
 「嘘ばっかり。2人共ほとんど家に帰ってこないくせに」
 「真!」
 「ユミちゃんは今特定の彼女はいないけど、サキちゃんはもう結婚を考えてるんでしょ?」
 「真!!」
 「え〜〜っ?」
真哉の爆弾発言に、真琴は驚いて真咲を振り返った。



 真琴は逃げ出してしまった兄を追い掛け、その後を真哉と真弓も追い掛けて行く。
茶の間には大人達だけが残り、和真は笑いながら海藤達に言った。
 「すみません、何時まで経っても子供で」
 「いえ」
 「まあ、ガキがいない方が酒は進むってもんだ。彩さん、氷いいか?」
 「はい」
真介の言葉に彩は台所に向かった。
残された男達の間には、しばしの沈黙が流れた。
 「・・・・・大事にして頂いている様で、感謝します」
 突然、和真が海藤に向かって頭を下げた。
 「住む場所も、食事も、多分かなり手間を掛けさせていると思いますが・・・・・」
 「いえ、私がしたくてしていることですから」
和真の真意が分からないまでも、海藤はきちんと答えを返そうと思っていた。
今回の訪問では自分達の関係を知らせるつもりは無いが、それでも真琴が傍にいて幸せなのだと分かってもらいたかった。
そんな風に考えていた海藤の思いは、真介の爆弾発言で見事に方向転換を迫られることになってしまった。
 「海藤さん」
 「はい」
 「マコはあんたの女か?」
 「・・・・・」
 「ただバイト先で知り合ったガキに、家も食いもんもタダで提供するなんて考えられねえ」
 「父さん」
 「お前も薄々は感じてんだろ」
 「・・・・・もう少し、柔らかな表現をして欲しいな」
 「言い方変えたって同じだろ」
口ではそう言いながらも、真介の視線は探るような光りを帯びていた。疑ってはいるが、まだ確信だと思えない。
いや、思いたくないと考えているのかも知れない。
(カマ、か)
ここでの海藤の返答次第では、今までの居心地のいい空間はガラッと違う雰囲気を帯びるかもしれなかった。
 「・・・・・」
 もちろん、口で否定するのは簡単だ。
世の辛辣を舐めてきた海藤にすれば、頑固な老人と善良な男を口先で丸め込むことは容易に出来る。出来るが・・・・・それ
が真琴の肉親ならば・・・・・。
 「海藤さん、嘘は言うなよ?」
 重ねて言う真介に、海藤は口元に苦笑を浮かべた。
 「・・・・・女ではありません」
 「あんたな」
 「大切な、1人の人間です」
意識して、付き合っているとか恋人という言葉は使わなかった。生々しい想像をさせないようにと考えたからだ。
それでも、そう答えた。
家族とはほとんど交流は無く、いや、家族はいないとさえ思っている海藤とは反対に、真琴は離れていても自分の家族を大切
に思っている。
そんな真琴が家族の中で孤立しない為にも、海藤は嘘を付かないギリギリの言葉で、自分にとっての真琴の存在の大きさを
伝えたいと思った。
 「・・・・・大切な、か」
 真介は繰り返し呟き、日本酒を一気に飲み干す。
空になったグラスに、綾辻がタイミングよく酒を注いだ。
 「・・・・・すまないな」
 「いいえ」
 「・・・・・あんたらも、知ってるのか?」
 「・・・・・私達が知ってるのは、2人が一緒にいることが、見ている私達も幸せに感じるってことですよ」
 「・・・・・」
とうとう黙り込んでしまった真介に、和真が穏やかに言葉を掛けた。
 「馬鹿だなあ、父さん」
 「・・・・・」
 「知らない幸せっていうのもあるのに」
 「お前は楽天過ぎだ、馬鹿が」
 それは、親子だからこそ分かり合える言葉だったのかもしれない。
海藤はそれ以上は何も言わず、和真も真介も、何も・・・・・言わなかった。