春の歓楽











(兄ちゃん、隠さなくったっていいのに)
 結局、長兄の口は堅く、何も聞けないままに茶の間に戻った真琴は、そこで既に差し入れの酒を制覇してしまったらしい大人
達を目を丸くして見つめた。
 「・・・・・すごい、あんなにちょっとの間に飲んだんだ」
かなりの量を飲んでいるはずなのに、その場にいる5人の男達(母の姿は無い)の顔色は全く普段と変わらない。
真琴はまだグラスを傾けている祖父に言った。
 「じいちゃん、もう止めたら?」
 「飲みたいって時もあるんだよ」
 「?」
(飲みたい気分?)
わけが分からない真琴は首を傾げるが、そんな真琴にこちらも全く表情が変わらない父が穏やかに口を開いた。
 「マコ、飲ませてあげなさい」
 「う、うん」
 「西原さん」
 不意に、海藤が名前を呼んだ。
それが一瞬自分の事かと思った真琴だったが、海藤の視線が向けられていたのは父の方だった。
 「私達はこのまま失礼しようと思います」
 「海藤さんっ?」
父も意外そうに目を瞬いたが、真琴はもっと驚いたように叫んでしまった。
 「どうしてですかっ?」
 「ん?・・・・・その方がいいかと思って、な」
 「だって、だって!」
(どうして急に帰るなんて・・・・・っ?)
 食事中は何もおかしなことは無かった。
海藤も父も、口数は少ないが楽しそうに酒を酌み交わしていたはずだった。
(俺がいない時に何かあったっ?)
何が、とは、堂々と口に出して言えないのがもどかしい。
しかし、もちろん真琴は海藤をこのまま1人で(実際には倉橋と綾辻も一緒だが)帰らせるつもりなど毛頭無かった。
 「俺もっ、俺も帰ります!」
 「お前まで帰る必要はない」
 「だって!」
 「今回は真哉君の為に帰郷したんだろう?このまま帰ったら何の為だったのか分からない」
 「だって・・・・・」
 何度も口の中で呟きながら、真琴は海藤が一度決めたことをすんなりと翻すような男ではないことは分かっていた。
何の原因かは分からないが、帰ると決めた海藤を引き止めることはとても出来ないだろう。
(こんな風に別れちゃうなんて・・・・・)
海藤の心の動きを知らないまま、数日間とはいえ離れてしまうのはもどかしかった。



 真琴の途惑いは当然予想が付いていた。
しかし、海藤は半ば真琴との関係を認めてしまったこの状態で、とてもこの家に泊まることなど考えられなかった。
愛されている真琴を同性でひと回り以上も年上の自分が奪ってしまったのだ、これぐらいのことは覚悟の上だ。
(家族にも会えたし、それだけで十分だ)
 すっかり帰宅するという選択しか考えていなかった海藤に、唐突に柔らかな声が掛かった。
 「海藤さん、今から帰るのは大変ですよ?」
 「・・・・・西原さん」
お父さんと呼ぶのは少しおかしい気がして、海藤は真琴と同じ苗字を口にした。
既に和真は酒を飲むのは止めて、食後のデザートとして真琴の手土産のケーキを口に運んでいる。その姿は、マンションでの寛
いでいる真琴の姿によく似ていた。
 「お言葉、ありがとうございます。しかし」
 「もう、あなた方が泊まるのを前提で、妻は布団を敷きに行ってますから。どうか、ゆっくりしていってください」
 「・・・・・いいんですか?」
(俺のような男の存在を知っても・・・・・)
 親切で金持ちの社長さん。真琴が電話で説明していた人物像と、実際にこうして挨拶に来た海藤はきっと違和感があるだろ
う。
ただの同居人でないことは、先ほどの会話で頭のいい和真は確信したはずだ。
それでも自分を引き止める和真の真意は何なのか、海藤は不可解な思いを感じながら和真に視線を向ける。
その視線の意味さえも分かっているだろう和真は、初対面の時と変わらない笑みを向けてきた。
 「君が帰ると、マコが淋しがるよ」
 「・・・・・」
 「急がないなら、ね?」
 「私は・・・・・」
 「ゴチャゴチャ言うな!泊まれって言ってんだから泊まればいい!」
 海藤と和真の静かな駆け引きに大声で割って入ったのは祖父の真介だった。
 「だいたい、お前とお前は酒飲んでるだろっ?飲酒運転でもする気だったか?」
 「・・・・・私が飲んでいませんが」
海藤と綾辻を指差しながら言った真介に倉橋が答えたが、そんな反論を受け入れる真介ではなかった。
 「お前みたいなひょろっとしたのが、夜の高速飛ばして東京に帰れるかってんだ!年寄りの言う事は素直に聞いておけっ」
バッサリ言い切られた倉橋だが、その頬には苦笑が浮かんでいる。
真介の言葉は、海藤達のような世界に住んでいる者達にも真っ直ぐ響いてくるのだ。
 「父さん、素直に心配だからって言えばいいのに」
 「男は一々そんな面倒なことは言わないんだ!」
 「はいはい。海藤さん、どうか年寄りの言葉は聞いてやってください」
 「・・・・・はい」
 ジンワリとした心地良さを感じ、知らぬ間に緊張していた海藤の見えないバリアにヒビが入った。
どんなに自分の納得出来ないことがあったとしても、それとこれは別とちゃんと切り離して考えることが出来る柔軟な心が真介に
も和真にもあるのだろう。
そして、それは間違いなく真琴にも受け継がれていた。
 「すみません、それでは今日はお世話になります」
言葉を覆したことに、海藤は気持ちの良い敗北感を味わっていた。
傍で控えていた倉橋と綾辻も、ホッとしたように苦笑を浮かべている。
そこへ、
 「マコ!お風呂!お風呂一緒に入ろ!」
 それまで、本来は主役であるはずの真哉が、今まで構われなかったことへの鬱憤を全て晴らすように真琴の背中に覆い被さっ
てきた。
 「し、真ちゃん?」
 「ね?入ろうよ!」
丁度真琴の視線からは見えないと思ったのか、真哉は海藤に向かってべ〜っと舌を出して挑発している。
 「もう大きいんだからおかしくない?」
 「おかしくない!」
 「ん〜」
外見だけは、もう少しで真琴の身長に届きそうな真哉は、その年頃では大きい方だろう。
真琴が、チラッと視線を向けてきた。
 「あの・・・・・」
 「ああ」
さすがに、弟に、それも小学生に嫉妬することも無く、海藤は笑いながら頷いてみせる。
真琴も、ようやく笑顔を見せて真哉に言った。
 「よし、久し振りに一緒に入ろっか」
 「うん!」
 何とか、空気が戻ったような感じがする。
ふと、海藤が和真の方を見ると、和真も笑いながら頷いて、ケーキの残りを頬張っていた。