爆ぜる感情











 一度家に戻って着替えた楓を赤坂の料亭に連れて行ったのは、夕食にはまだ少し早い時間だった。
慣れた場所なので女将もにこやかに対応してくれ、2人はそのまま座敷へと通される。
 「失礼します、伊崎です」
 「おお、待っていたぞ、入れ」
 先ずは伊崎が障子を開け、入口で一礼した。
 「本日はお招き頂きましてありがとうございます」
 「ああ」
ゆっくりと顔を上げた伊崎は先ずは上座に目をやったが、そこには見慣れぬ男が2人座っていた。
(・・・・・誰だ?)
この席にいること自体、男達が一般人でないことは分かる。
黒髪に黒い瞳と、見掛けは日本人と変わらなかったが、眼鏡の奥の少し切れ長の目と面立ちが、どこか・・・・・違和感
を感じさせた。
 「楓は?」
 その男達と並んで座っていた老人が、まだかと催促するように伊崎に声を掛けた。
元は広域指定暴力団、大東組の幹部で、今は相談役として一線を退いたものの今だ影響力のある奥田誠一(おくだ
せいいち)は、楓が幼い頃から本当の孫のように可愛がっており、弱小といわれる日向組にも色々と便宜を図ってくれた
人物だ。
楓も奥田を本当の祖父のように慕っていたし、なにより本部からの要請には否と言える筈が無かったが、今伊崎はここに
来るのではなかったという強い後悔に襲われていた。
この見知らぬ男達と楓を会わすのではなかったと・・・・・。
 「伊崎」
 奥田が急かすように再度名を呼ぶ。
ここまできて引き返すことなど到底出来ず、伊崎は表情を強張らせながら楓を呼んだ。



 「失礼します」
 以前、奥田に送られた和服を身につけた楓は、入口で丁寧に礼をしてから頭を上げた。
(・・・・・誰?)
楓の目にも、見知らぬ男達はこの場で異質に見えた。
硬質に感じる整った容貌。深い瞳は今はじっと楓に向けられている。
内心、じろじろ見るなと文句を言いながらも、楓は奥田の傍に行って、にっこりと笑いながら言った。
 「お久し振りです。お元気そうで良かった」
 「お前が高校に入学してからなかなか会えないからなあ。頭が代わって、色々大変だったろう?」
 「大変なのは父と兄と、そしてこの伊崎で、僕は家のことにはいっさい関わらせてもらえませんから」
 「そうか、そうか」
目を細めて笑う初老の奥田に、楓は繕うのではなく本当の笑みを浮かべて見せた。
 幼い頃からずっと可愛がってくれている奥田は、他の男達が幼い楓にも欲望を込めた目で見てくる中で、数少ない本
当の祖父のように接してくれる人だった。
頭を撫でてくれる仕草も優しく、物腰も穏やかなこの老人が引退した今でも恐れられている大親分だとは、楓にはとても
信じられないことだ。
 久し振りの再会に、お互いが笑い合った時、不意に低く響く声が割り込んできた。
 「ミスター奥田、彼を紹介してもらえないか」
 「・・・・・」
口を開いたのは、見知らぬ男のうちの1人、奥田の隣に座っていた男だった。
身に着けているスーツも一見して上等なものだと分かるし、まとっている空気も怜悧で隙が無い。
 「おお、そうか。楓、こちらは香港から来られた香港伍合会(ほんこんごごうかい)のウォンさんだ」
 「ウォン、さん?」
不思議そうに聞き返す楓とは対照的に、伊崎の背筋はビクッと凍りついた。



(チャイニーズマフィアか・・・・・っ)
 最近、大東組が中国のある組織と手を結ぼうとしているという情報は伊崎も把握していたが、まさかその組織の人間
がこの場にいるとは思わなかった。
奥田自ら接待をするということは、この男は組織の中でもかなりの地位にいる人間なのだろう。
 「じゃあ、彼が龍頭大哥(りゅーずたいこー)ですか?」
 いきなり、楓が核心を突くように言い出した。
 「楓さんっ」
 「僕だって、その組織の名前は知ってますよ。だったら、奥田さんが直々接待するならそのトップの人かなあって」
臆することなく言い切った楓に、最初に声を出して笑ったのは当の本人だった。
 「奥田が言っていた通り、なかなか面白い」
 「・・・・・」
 「名は、カエデか」
遜色の無い日本語で話すウォンは、笑みを含んだ声で言った。
 「龍頭(りゅーず)ではない、ロンタウという」
 「・・・・・それは失礼しました」
 伊崎は、じっと楓を見つめるウォンの視線が気になった。
チャイニーズマフィアの拠点とも言われる香港で、1、2を争う組織、伍合会。近年は経済マフィアとして世界各国でもそ
の名を知られるようになっていた。
最近入れ替わりがあったという龍頭大哥と言われる組織のトップはまだ誰にもその顔を知られていないらしく、歳さえも分
からないその相手が、まさかこの目の前の男と言うのだろうか・・・・・。
 「お仕事の話なら、僕は席を外しましょうか?」
 「いや。奥田が話してくれたお前を見に来た」
 「・・・・・僕を?」
 「思った以上の・・・・・」
 「・・・・・」
 「・・・・・」
 「何ですか?途中で言葉を切られると気になるんですけど」
 「楓さん」
 伊崎は楓を止めた。不味いと思ったのだ。
楓が突っかかっていけばいくほど、ウォンの表情が楽しそうになるのが分かったからだ。
これ以上この男に楓に興味を持たせてはならない・・・・・そんな危機感が伊崎を襲った。
 「お客様もそうですが、せっかく呼ばれたのですから先ずは」
 「・・・・・そうだね」
伊崎の意図に気付いたのかどうか、楓は直ぐに意識を切り替えると、目の前の奥田にお銚子を差し出しながら言った。
 「お酌を受けて貰えますか?」



 伊崎の助け舟でやっと奥田の方へ視線を向けることが出来た楓だったが、まだ横顔にはウォンと呼ばれた男の視線が
絡みついているのを感じる。
 「ますます綺麗になったなあ。恋人でも出来たか?」
 「僕が恋人作るとみんな悲しむでしょう?」
 「そうか」
声を上げて笑う奥田に付き合うようにして笑いながらも、楓はチラッと伊崎に視線を流す。
あの男の視線が気になって仕方がないという意味を含んだその視線に、伊崎は頷き、自分の身体でその視線を遮ってく
れた。
(・・・・・良かった)
 少し安心した楓は、ふと下校時間に感じた視線を思い出した。
全く同じとはいえないが、あの視線はどこかこのウォンのものに似ている気がする。
(まさかな・・・・・)
悪い予感は考えない方がいいと、楓は軽く頭を振った。