爆ぜる感情



10







 「・・・・・っ、やっぱりいる」
 津山の目を盗んで風呂場から脱出した楓だったが、裏木戸の前に立っている組員の姿を見て眉を顰めた。
表には何時も2人の番が立っているので元から考えていなかったが、裏の方は時折組員がサボって誰もいない時間が
あることを知っていたのだ。
 しかし、ウォンの事もあってか、兄も伊崎もかなり警戒を厳重にしているらしい。
嬉しいことだが・・・・・今は困る。
(どうすればいいだろ・・・・・)
今から何か手を考えている時間は無い。
強行突破しかないかと考えていた楓は、ジーパンの後ろポケットに入れていた携帯のバイブが震えたのに気付いた。
慌てて画面を見ると、見知らぬ相手からメールが来ていた。

 『2分後』

短いその文章を送ってきた相手は直ぐに分かった。
電話番号が分かった時点で、アドレスも知られても不思議ではない。
(2分後・・・・・何するんだ?)
相手がどういった行動を取るのか、楓は僅かな不安を抱いた。



 そして。
きっかり2分後、
 「!!」
いきなり、大きな、何かがぶつかるような音が響いた。
それに続き、
 「事故だ!」
 「・・・・・っ」
(事故っ?)
数人のざわめく声がし、裏を番していた組員も様子を見に外に出て行く。
楓は無人になった裏木戸から、そっと身を滑らせて外に出た。
(俺をここから出す為に、わざわざ事故を起こしたのか?)
 少し離れた場所では、人だかりが出来ている。
楓は唇を噛み締めた。自分の為に誰かが傷付いたのかもしれないと思うと、胸が痛い。
その場に蹲ってしまいたくなる気持ちを何とか奮い立たせていると、その隣に静かに車が横付けされた。中を見なくとも、
誰が乗っているのかは分かる。
 「怪我をさせたのか」
 開いたドアの向こうを睨みつけながら言うと、中にいた男は密やかに笑った。
 「あなたに関係のない人間がどうなろうと、どうでもいいとは思わないのですか?」
 「答えろ」
 「・・・・・プロですから、怪我もしないで逃げているはずです」
 「・・・・・」
 「さあ、どうぞ」
促された楓は、一瞬家を振り返る。
そして、思い切ったように視線を車の中に戻すと、自分の中の怯えを押し殺して言い放った。
 「二度はない。今日、話をつけるからな、ウォン」



 慌てたように楓の部屋に行こうとした伊崎は、門番からの報告に足を止めた。
 「事故?」
 「そうです。表門のすぐ傍で2台の車がぶつかったんで、すぐに駆けつけて救急車を呼んでやったんですが、少し目を
離した隙にどちらの運転手も姿を消してしまって・・・・・」
 「・・・・・!」
(楓さん!)
ずっと感じている嫌な予感は当たっているのかも知れない。
そうでないようにと願いながら楓の部屋を開くが、中には楓の姿はなかった。
 「津山はっ?」
 「若頭!」
 そこへ、別の組員が駆け込んできた。
 「津山が後を追うと!」
 「どういうことだっ?」
 「わ、分かりませんっ。ただ、慌てたように組員のバイクに乗って行って、その時にそう若頭に伝えるようにと言われたよ
うでっ」
 「・・・・・っ」
(やっぱり、誘い出されたのかっ!)
どういう手段を用いてきたのかははっきりとは分からないが、間違いなく楓はウォンに呼び出されて出て行ったのだろう。
表で起こったという事故も、多分楓を家から出させる為の手段であることに間違いはない。
(楓さん・・・・・!)
 あれ程約束をして、説得出来たと思っていたが、やはり楓の性格ではあのまま黙っていることは出来なかったようだ。
傍に付いていればそれでも止められたかもしれないが、若頭としての仕事をしていた自分は付きっ切りで楓を見ているこ
とも出来なかった。
唯一の救いは、楓の脱走に気付いた津山が後を追ったことだが・・・・・。
(見つからずに付いて行けるか・・・・・)
 相手が欲しがっているのは楓だけで、もしも津山が見つかってしまったら・・・・・多分、消されてしまうことを覚悟しなけ
ればならないだろう。
楓のことで誰かを頼らなければならないことを歯がゆく思いながら、伊崎は津山からの連絡を待つしか出来なかった。



 ずっと沈黙が続く車内で、楓は居心地の悪い思いをしていた。
運転手と助手席に乗っているウォンの部下達はまるで人形のように表情がなく、自分達は空気なのだとでも言うほどに
気配を殺している。
そして、その主人でもあるウォンは、唇に笑みを浮かべたまま楓を見つめているのだ。
(・・・・・なんだよ、これはっ)
まるで自分が美術品か何かで、ウォンはそれを見つめている・・・・・そんな構図が頭の中に浮かんで、楓は眉を顰めて
言い放った。
 「どこに行く気?」
 「静かに話せる場所に」
 「・・・・・やり方、怖いよ」
 「あなたには傷を付けるつもりはありませんよ」
 「他の人間なら構わないのか?」
 「私達には関係のないことです」
 「・・・・・」
 どうしてそんな風に思えるのか・・・・・楓は怖さよりも違和感を多く感じた。
確かに民族性の違いはあると思うが、こんなにも人に対して冷淡になれるのはなぜなのか?
 「・・・・・どうして、俺に執着するんだ?」
 「あなたが綺麗だからですよ」
 「それだけで?」
 「それ以上の理由がいりますか?」
 「・・・・・」
きっと、それはウォンの本心なのだろうが、楓にしたら全く価値のない容姿のせいで(利用価値はあると思うが)こんな風
に粘着質に執着されても困るだけだ。
(きっと・・・・・こいつには分からないだろうけど)
お互いの価値観が違い過ぎて、楓はただ溜め息をつくしか出来なかった。