爆ぜる感情
11
車が滑り込んだのは、都内の一流ホテルの地下駐車場だった。
(部屋を取ってるのか・・・・・。2人だけで話すのか?)
「どうぞ」
「・・・・・ホテルの部屋?」
「心配ですか?」
楓が何を考えているのか想像がつくのか、ウォンの顔は苦笑を漏らしている。
乏しい表情の中でそれが分かることが悔しく、そしてそれくらいで怯えていると思われるのも嫌で、楓は思い切ったように
開けられたドアから足を踏み出した。
(ここまでついて来たのは俺自身だし)
「あまり長居は出来ないから」
そう言いながらウォンの後を追おうとした楓だったが。
「・・・・・っ」
「うわっ!」
いきなり腕を引かれたかと思うと、そのまま頭をウォンの胸元に押し付けられた。
「なっ?」
乱暴なその行為に直ぐに反論しようとしたが、ウォンの腕の拘束は止まず、重ねて複数のもみ合うような音や僅かな
声が耳に入ってきた。
(な、何が起こってる?)
自分の目で確かめたいのに、抱きしめているウォンの腕の力が強くて振り向くことが出来ない。
「何があったんだよ!」
「・・・・・」
「ウォン!」
楓が必死で叫んでも、ウォンの答えはない。
いや、少し経って、頭上で凍えるような冷たい声が一言漏らした。
「Get rid of him」
「・・・・・」
(な、何?何なんだよ!)
見えないと、余計に恐怖が湧き上がってしまう。
無理矢理にウォンの体を引き離そうとした楓の耳に、抑揚の無い言葉が届いた。
「じっとしていなさい」
「出来るかっ!」
「見たら、あなたを始末しなければならない」
「!」
「命が惜しいなら、私がいいと言うまでじっとしていなさい」
「・・・・・っ!」
伊崎は突然、顔を顰めて視線を上げた。
(何か・・・・・あったか?)
急に、楓の恐怖を感じ取ったような気がしたのだ。
「・・・・・まだか、津山・・・・・っ」
楓の後を追い掛けたはずの津山からの連絡は、あれから30分近く経っても何も無かった。
自分が不思議な力を持っているわけではない伊崎だったが、不思議と今までも楓の危機は身体に感じることが出来る
のだが、今は腹の底が冷たくなって、楓に何かあったのだと核心に近い思いを抱いた。
(・・・・・くそっ、早く傍に行きたいのに、動くこともままならないっ)
このまま屋敷を飛び出して、もしも正反対の場所にいたら駆けつける時間は遅くなってしまう。
連れ去られた場所の検討が全くつかない今、伊崎はその場を動くことさえ出来ないのだ。
そこへ、
「若頭っ、お電話です!」
組員が血相を変えて部屋に駆け込んだ。
津山からの連絡だと思った伊崎はそのまま反射的に受話器を取ると、焦ったように相手に訊ねた。
「場所はっ?」
『・・・・・何かあったか?』
「・・・・・っ」
電話の相手は、待ちかねた津山からではなかった。
「少し落ち着きましたか」
「・・・・・」
「楓」
「落ち着けるわけが無いだろう!」
楓は怒ったように言うと、テーブルの上に置かれたオレンジジュースに手を伸ばした。
しかし、それがウォンによって用意されたものだと思うと気軽に飲むことも出来ない。
「・・・・・っ」
(何なんだよ!)
ウォンに拘束されてしまった身体が解放されたのは、楓にとってはかなり長い時間の後だったが、多分実際には5分と
経っていないくらいの時間だったのだろう。
「顔を上げてもいいですよ」
そう言われても、先に言われた言葉の意味が怖くて、楓は情けないがなかなかウォンの胸から顔を上げることが出来な
かった。
ようやく顔を上げて、恐る恐る振り返った楓の目には、車が入った時に見た地下駐車場の景色に変化は無い。
しかし、かえってその方が怖かった。
(絶対に、何かあったはずなのに・・・・・)
ウォンのあの態度からいっても、単に楓を怖がらす余興でなかったことには間違いが無いはずで。
その、何かあったはずの場所が、こんな短時間で何の痕跡も残さないように始末してあるのは・・・・・。
(確か、あの時・・・・・)
ウォンの言った言葉・・・・・Get rid of him・・・・・それは、《消せ》と言う意味のはずだ。
いったい、ウォンは何を消そうとしたのだろう?
「楓」
自分の思考に浸っていた楓は、不意に顎を取られてハッと我に返った。
「余計なことは忘れなさい」
「・・・・・」
「あなたが無事でいる為に」
「・・・・・」
(やっぱり何かしたのか)
楓は自分の顔に触れているウォンの手を振り払った。
手は簡単に離れていき、ウォンも気分を害したことはなさそうに用意させた酒を口にしている。
(これが・・・・・マフィアか)
日本のヤクザのように、目に見える暴力的な怖さとは違い、目に見えない底知れない恐怖を感じさせる存在。
改めて、楓はどうして自分がこんな人間に目を付けられたのかと嘆きたくなった。
「楓、伊崎は何と言ってました?」
「・・・・・恭祐に言って、俺が出てこられるわけがないだろう」
「そうですね。あれほどあなたを可愛がっているのだから」
ひそやかに笑うウォンの顔は、改めて見てもやはり整っているが・・・・・少しも目は笑っていない。
ヒタヒタと感じる恐怖に押しつぶされそうになりながら、楓は思い切ったように顔を上げてウォンに言った。
「今日は自分で話を付けに来た」
「・・・・・」
そう、ここまでたった1人で来たのは、この恐怖を改めて感じる為ではない。
楓は面白そうに笑いながら黙って自分を見つめるウォンに、言葉で分かってもらえるのかと不安に思いながらも続けて
言った。
「俺は、誰のものでもない。俺の心も身体も、俺の意思以外で動かすつもり、ないから」
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