爆ぜる感情
12
「俺は、誰のものでもない。俺の心も身体も、俺の意思以外で動かすつもり、ないから」
ウォンは笑った。
何も出来ないくせに、口だけは強がっている楓が可笑しかった。
(ここまできて、逃げられるとでも思っているのか)
完璧に美しい生きた人形。
一番最初に報告を受けた時の、ウォンの楓への印象はそんなものだった。
忠誠を誓う龍頭も美しいものは好きだが、かといってただ言いなりになるだけの人間には興味が無い。
鮮やかに咲き誇り、嵐の中でもすくっと立っていられるほどに生命力がある楓は、そんな龍頭の狭い許容範囲にピッタリ
とはまるのだ。
(私も・・・・・面白いと思っているが)
本当ならば、自分の傍に置いておきたいほどの存在だが、既にその存在を知られている楓を隠し続けることは出来な
いだろう。
「楓、私と共に香港に行きましょう」
「嫌だ」
「なぜ?」
「恭祐がいない」
「・・・・・あれが傍にいればいいのですか?」
「俺は、恭祐と一緒に日本にいたいんだ。お前の要求は全部却下」
「・・・・・」
強気なことを言いながらも、握り締められている拳は震えている。
そのギャップに、ウォンはひっそりと笑みを浮かべた。
(結局、誘拐と一緒か)
香港に来いと言われ、うんと言わなかったら・・・・・このまま連れ去られてしまうだろうという事は確実だった。
口から出まかせでもうんと頷けば良かったかもしれないが、それは楓のプライドが許さなかった。
(携帯は・・・・・ある)
ジーパンのポケットには携帯が入っている。これをどうにか取り出して伊崎に連絡を・・・・・。
(駄目だ、怒られる)
じっとしているようにとの言葉を破り、わざわざ騙すようにして家を出てきたのだ、今更助けてくれと連絡するのは筋違い
だろう。
ここは、自分の力で切り抜けなければならないのだ。
「・・・・・」
楓は大きく深呼吸をし、改めて真っ直ぐにウォンを見つめた。
「俺の事は忘れて欲しい」
「・・・・・」
「このまま黙って帰ってくれ」
「嫌だと言ったら?」
「頷く以外の返事は聞かない」
「・・・・・」
ウォンは笑う。
本当に可笑しそうに声を出して笑った。
「可愛いことを言う。本当にそんなことが通るとでも思っているんですか?私は・・・・・」
ふと、ウォンが視線をドアに向けた。
「・・・・・っ」
全く隙の無い彼のそんな行動に、楓は反射的にドアに向かって走る。
「楓!」
もう、このチャンスしかないと思った楓はウォンの言葉に足を止めることなく、勢いよくドアを開いて廊下に飛び出した。
気のせいかと思った。
遠くで、誰かが話している。
その声の調子が上がってきたことと、分厚いジュウタンが敷き詰めてあるはずの廊下を慌しく歩いてくる足音をはっきりと
聞き取った時、ウォンは楓を庇う為にとっさに自分の腕の中に抱き込んだ。
(全部始末してなかったのか)
先ほどの地下駐車場で襲ってきた奴ら・・・・・それは、大陸の方で敵対する組織の人間だったが、あれらの残党がまだ
残っていたのかと思ったのだ。
ウォンの組織からすれば格下で、向き合うのさえ馬鹿馬鹿しいと思っていたその小者達は、日本という異国の地で場所
柄も考えずに襲ってきた。
多分、日本で1人だけでいるウォンを手始めに抹殺するか、誘拐でもして取引の手駒にでもするつもりだったのだろうが、
あの愚かな小者達はウォンほどの地位にある人間が、無防備なまま日本に来ていると思ったのだろうか。
これ程馬鹿だったのかと呆れ、早々に始末した方がいいと思ったのだが、取り逃がしたのがいるかと思うと眉を顰めてし
まう。
「楓!」
しかし、その一瞬の隙に逃げ出した楓は、そのまま躊躇い無くドアの外に飛び出した。
何をされるか分からない・・・・・そう思ったウォンは、自分の体制を整えるより先に楓の後を追って廊下に出た。
「・・・・・」
そこには、ウォンが想像していたような大陸の敵対していた相手はおらず、
「・・・・・いいところで」
「・・・・・」
華奢な楓の身体を抱き締めた伊崎が、ただ真っ直ぐに自分を睨みつけていた。
(無事か・・・・・)
自分の腕の中で、必死にしがみ付いてくる楓を見下ろしながら、伊崎は思わず膝から腰が落ちそうなほど安心してし
まった。
とにかく、ちゃんと自分の足で立っているし、自分を見つめてくる目もしっかりとした光がある。
懸念していた薬や暴行はされていないというのは直ぐに分かった。
「恭祐、恭祐!」
何度も自分の名を呼ぶ楓を抱きしめたまま、伊崎は無言で自分を見つめているウォンを睨み返した。
「なぜ、ここが?」
一番の疑問を、ウォンは率直に聞いてきた。
伊崎もそれに誤魔化すことなく答える。
「あなたがうちの組を監視していたように、あなたを監視している者もいたということです」
「・・・・・」
ウォンの頬が強張るのが分かった。
「・・・・・私を、ですか」
「ええ」
「それは、気付きませんでした」
「・・・・・」
(それは、そうだろうな)
伊崎も、それを知ったのはついさっきだ。
突然事務所に掛かってきた電話・・・・・それは、楓の無事を確認する海藤からの電話だった。
あの日・・・・・海藤と上杉にウォンのことを聞いて直ぐ、大東組の上層部から海藤にウォンの身辺警護を言い渡された
らしい。
それは警護というよりも監視の意味合いが強かった。手を結びたいと言われた大東組としても、ウォンの、というか、『伍
合会』の真意が分からないままでは動けないという事らしい。
それ以降、海藤の手の者がずっとウォンを張っており、そのおかげで、ウォンが日向組に車を向けたことと、そこから楓を
連れ去ったことが分かったのだ。
(本当に、感謝する・・・・・)
直ぐに連絡をくれた海藤の誘導でこのホテルまで辿り着き、エントランスの影で張っていた津山と合流出来た。
津山はウォンが下りた階は分かっていたが、部屋までは分からず、伊崎は調べる間が惜しいとここまで来たのだ。
そして・・・・・階段を駆け上がって直ぐ、楓が部屋から飛び出してきた。
全てがお膳立てされた状態で自分はここに立っているが、それでも楓が無事ならば何とも思わない。
「何度もこういう事をされては困ります」
短期間のうちに、こんなにも同じ場面に立つとは思わなかった伊崎は、今度こそときつい口調で言う。
「・・・・・」
伊崎の言葉に、腕を組んだウォンは細い指で軽く自分の腕を叩いた。
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