爆ぜる感情



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 『ウォンを送還しろ』


 母体組織でもある大東組の上層部に命ぜられて、香港伍合会のNo.3であるウォンの動向を監視していた海藤に
その命が下ったのは、今からほんの1時間前のことだった。
既に居場所などは把握していたので問題は無かったが、それに関連する飛行機の手配や相手に付いている部下達の
処遇など、細々とした問題があって少し時間が掛かってしまったが、それでもこの短時間に全ての準備が整ったのは海
藤の手腕と共に優秀な参謀のおかげでもあった。



 ウォンは目の前の男が自分に対しての通告を無表情に告げるのを、口元に笑みを浮かべて聞いていた。
もちろん、嬉しい話などではなく、悔しくてたまらない思いだったが、それを表面上に表すほどウォンも子供ではなかった。
(監視されていたか・・・・・)
それは自分が龍頭に信頼されていなかったのか・・・・・いや。
(・・・・・心配されたんだな)
 組織の頂点に立ち、その冷酷非道振りを世界に轟かせている龍頭も、幼い頃から見知っているウォンに対しては普通
の優しさも向けてくれている。
その彼が、1人暴走しそうになっているウォンを自分の名前を使って呼び戻すことにしたのだろう。
 「ミスター」
 「分かった」
 「・・・・・」
 「そこの部下も一緒に」
 「心得ています」
 「・・・・・」
何もかも先回りしているといったように答える海藤を、ウォンは初めて気が付いたようにその顔を見つめた。
 「開成会の・・・・・海藤、何だ?」
 「海藤貴士です」
 「覚えておこう」
 ウォンは部屋の中を振り返った。
そこには楓の身体をしっかりと抱きしめた伊崎が、警戒心を解くことも無くこちらを見ていた。
 「伊崎」
 「・・・・・はい」
 「これで、全てが終わったと思うか?」
自分の言葉に僅かに表情を変えた伊崎に、ウォンは少しは溜飲が下がった気がした。
 「今度は龍頭と共に訪れよう」
 楓は価値がある。その美しさと共に、眩しいほどの魂の輝きがある。
まだ子供の彼は多少無軌道だが、それも好ましいと思える程には・・・・・ウォンは楓に好意を持っていた。
この貴重な日本の花は、ぜひ龍頭に見合わせたい。そのせいで楓が永遠に自分には手に入らない存在になったとして
も、同じ地にいれば嬉しい。
(・・・・・そうか、嬉しいと思うものなんだな)
改めて気付いた自分の気持ちに納得したウォンは、そのまま鮮やかな笑みを楓に向けた。
 「Let's meet again」



 「Let's meet again」
 たった一言言い捨てて背中を向けて歩き出したウォンを、楓は伊崎にしがみ付いたまま見つめた。
(ホントに・・・・・帰るのか?)
同じ日本人で無いからか、いまいちその感情が読み切れなかったウォンのこの態度が本物かどうか、楓はきちんと自分の
目で確かめなければと思った。
 「楓さん?」
 楓は強張ったように動かなかった手を何とか伊崎から引き離し、そのままドアを開けて廊下に出た。
 「・・・・・っ」
(なん・・・・・だ、これ・・・・・)
高級ホテルのスイートがあるその廊下には、まるで似つかわしくないような強面の男達がずらっと居並んでいた。
 「あ」
その中には楓にも見覚えがある海藤と綾辻がいた。
 「・・・・・」
 海藤は一瞬楓の姿を見つめて目を細めたが、直ぐに視線を目の前のウォンに戻すと慇懃な態度で先を促している。
今まで楓は、海藤が彼の恋人である西原真琴と一緒にいる時にしか会ったことがなく、その時は海藤も柔らかで優しい
顔をしているので気付かなかったのだが、改めて見るとさすがに1つの組を率いる代表としての威厳と近寄りがたさを感じ
た。
(詐欺じゃん)
 「・・・・・」
 楓が見ていても、一行の動きに乱れは無い。
そのまま何人もの男達に囲まれて歩き出したウォンに、楓は自分でも気が付かないうちに声を掛けてしまった。
 「ウォン!」
 「・・・・・」
振り向きはしなかったが、ウォンの足は止まった。
 「もう、絶対来るな!」
 「・・・・・」
 「俺のことなんか、記憶の中から抹殺しろよ!」
 その言葉に、状況も考えないまま吹き出して笑ったのは綾辻で、綾辻はそのまま楓に向かってウインクしてみせる。
言葉は無かったが、『よく言った』と褒めてもらえたような気がした。
 「じゃあなっ」
出来ればもう会いたくはないが、さすがにそれ以上は言わなかった楓は、背を向けているウォンがどんな表情をしていたの
かは永遠に分からないままだろう。



 ウォンが海藤達と共に姿を消したのを見届けた伊崎は、深い安堵の溜め息を付いた。
向き合っている時は何も考えず、ただ楓を無事取り戻すことだけを思っていたが、こうして本当に決着がついてしまうと自
分がどれだけ緊張していたのかが分かった。
(まあ、これで終わりじゃないが・・・・・)
 大東組まで引っ張り出してしまったのだ、事後報告は必ず行わなければならない。
その時に、楓のことをどう説明するか・・・・・いや、伊崎としては楓の名前を出来るなら出したくは無かった。
 「・・・・・恭祐」
 「はい」
 「もう、ホントに終わり?」
 「取りあえずは、今回の来日は終了でしょうね。ただ、彼が今後どうするか・・・・・」
『Let's meet again』・・・・・あの状況下で、また会おうと堂々と言い放ったのだ、これで終わりとはとても思えなかった。
しかし、先のことを今心配しても仕方がないだろう。
 「大丈夫です、楓さんには触れさせたりしませんから」
 「恭祐・・・・・」
 「ただし、それにはあなたが自分勝手に動かないという前提が付きますが」
 伊崎がそう言うと、楓は怒られた子供のように肩を竦めた。自分の行動がどんなに周りに迷惑を掛けてしまったのか、そ
れなりに自覚はあるようだ。
(無かったら困るしな)
言葉で言って、その時は分かったと頷いても、理不尽なことには危険を顧みずに突っ走ってしまう楓だ。
また再び同じ事があったとしても、その度に繰り返し言い聞かせなければならないだろう。
 「帰りましょうか」
 「きょ、恭祐、俺・・・・・」
 「組長も組員達も、皆心配して待っています」
 「・・・・・」
 「ただし、このまま眠れるとは思わないでくださいよ」
 「え?」
 「言う事を聞かなかった子供には、お仕置きをしないといけませんから」
言葉ではそう言いながらも、本当は伊崎自身が自分の腕の中にいる楓の存在を身体で確かめたかったのだ。