爆ぜる感情











 ウォンが楓を連れてきたのは、昨日と同じような料亭だった。
ランクも悪くは無い店だが、確かここは一見お断りの店だったはずだ。
(何のコネでここをとったんだ?)
色々な疑問はあるものの、楓は出来るだけウォンとは口を利きたくなかったので黙ったまま後に続いた。
今楓が頼れるのは、後ろを歩いてくる津山だけだ。
まるで自分達を監視するかのように周りを取り囲んでいるウォンの部下は片手以上の人数で、下手な真似は到底出
来そうにはない。
 「さあ、どうぞ」
 「・・・・・」
 当然のように上座に案内された楓は、弱みを見せない為にも堂々とそこに座る。
そんな楓の虚勢が分かるのか、ウォンの頬に僅かな笑みが浮かんだ。
 「何を食べます?」
 「家に帰ったら夕飯あるから」
 「帰りは遅くなると思いますよ」
 「勝手に決めないでよ。俺はあんたに無理にここに連れて来られたんだ。そんなに長い時間一緒にいる義務はないと
思うけど」
 「楓」
 「・・・・・」
 「あなたにはそんな言葉遣いは似合わない」
 「・・・・・っ!」
(なんだ、こいつっ、勝手に人の名前呼び捨てにして!)
直ぐにでもそう罵倒して席を立ちたいくらいなのに、ウォンの醸し出す雰囲気のせいか楓は言葉を発することさえ出来な
かった。
 「どうしました、楓」
 「・・・・・家に連絡させてもらえない?遅くなるならちゃんと言っておかないと・・・・・」
 「こちらから連絡は入れています」
全ての反論を封じるように、ウォンは冷たい笑みを楓に向けた。



 昨夜のこともあり、今日は真っ直ぐに帰ってくると思った楓の帰りが遅いので、伊崎は先ほどから何度も楓や津山の
携帯に連絡を入れていた。
しかし、どちらに掛けても通じ無い。
楓はともかく、組の一員である津山まで連絡が取れないということはおかしく、伊崎は妙な胸騒ぎを覚えた。
(まさか・・・・・)
 あの、冷たい視線が頭の中に蘇った。
まるで美術品を品定めしているような冷静な視線の中には何の感情も読み取れなかった。
まさかとは思うが・・・・・そう思った伊崎が、ウォンを連れてきた奥田に連絡を取ろうと思った時、
 「若頭っ、伍合会から電話が!」
 「!」
 慌てたように知らせに来た組員の言葉で立ち上がった伊崎は、直ぐに保留してある電話に飛びついた。
 「はい」
それでも、出来るだけ動揺を見せないように声を落とした伊崎に、電話の向こうから無機質な声が聞こえてきた。
 『楓さんを預かっています。無事送りますのでご心配なく』
平坦な声音は、日本語に慣れていないように思える。
何より、楓を預かっていると言ったその事実に、伊崎は拳を握り締めた。
 「・・・・・ウォン氏ですね」
 『・・・・・』
 「楓さんはどこに?」
 『無事に送ります』
 「どこにいると聞いている!」
 突然荒々しく叫んだ伊崎に、事務所の中はしんと静まり返った。
普段は冷静沈着で、どちらかといえば柔らかな物腰の伊崎が、こんな風に乱暴な口調になることはほとんどといってい
いほど無いことだった。
異常事態が起こっている・・・・・チャイニーズマフィア、香港伍合会の名と共に、不気味な恐怖感を組員達は感じてい
た。
 「どこにいるんだ」
 電話口の伊崎の殺気を感じ取ったのか、しばらくの沈黙の後、
 『お待ち下さい』
そう言って、電話の向こうは静かになった。
きっと、自分では勝手に判断出来ないことを上司に聞いているのだろう。
その沈黙にイライラとしながらも待ち続けた伊崎は、やがて前の男とは別の男の声を聞いた。
 『私達を信用しないか?』
 「こんなやり方では、信用などとても出来ない」
 『・・・・・』



 並べられた食事はどれも繊細で豪華で、さすが一流料亭といわれるだけのものだった。
普段ならば美味しく食べる楓も、さすがにこの状況では食欲も出ない・・・・・が、そう思われるのも癪なので、無理矢理
に口の中に詰め込んでいった。
(本当ならこんな豪華な飯、もっと美味く食べたかったのに・・・・・)
 危害を加えられているというわけではない。
あからさまな武器を見せ付けられているというわけでもない。
それでも身体から緊張感が抜けないのは、全てがウォン以下、伍合会の人間が醸し出す雰囲気のせいだ。
(美味しいもの食べている時くらい笑えよっ)
 楓は視線を津山に移す。
楓達とはかなり離れた場所に膳を作られた津山は、ピッシリと背筋を伸ばしたまま、微動だにせずウォンを見据えていた。
少しでもおかしな素振りをすれば直ぐに立ち上がれる体勢なのだろうが、そんな津山の一挙手一動を監視するかのよう
にウォンの手下が周りを囲っている。
(何なんだよ・・・・・)
 焦れるほどの静かな心理戦を好まない楓は、バンッと箸を置いてウォンを見つめた。
 「俺に何の用なのかはっきり言えば?」
 「・・・・・」
 「俺みたいな子供を、それも弱小な組の人間にわざわざ会う理由なんてないはずだろ?」
 「楓」
 「それと!勝手に人の名前呼ばないでくれる?」
 「・・・・・なるほど、毛並みはいいが気性は荒い」
まるで独り言のように呟いたウォンは、うっすらとした笑みを僅かに深めた。
 「洸和会を知っているか?」
 「・・・・・洸和会?」
 直ぐにはピンと来なかった楓とは違い、津山の視線はいっそう鋭い光を帯びた。
 「お前の話は、洸和会から聞いた」
 「俺、の?」
 「最上に毛並みのいいペットがいると。飼う気があるなら500万ドルで用意すると言っていた」
 「500万ドル?」
(今幾らだっけ・・・・・100円としても・・・・・!)
 「ご、5億?・・・・・なに、それ?人身売買ってそんな法外な金額が動くわけ?」
それが自分に付けられた値段だと自覚しないまま楓が呆れたように言うと、ウォンはクスクスと小さく笑った。
 「実際に見たら・・・・・500万ドルなど安いものと思った」