爆ぜる感情











 ウォンの言葉は楓の想像以外のものだった。
いや、言葉の意味としては分かるのだが、そこに自分が関係するとはとても思えない。
(人身売買なんて・・・・・あいつ、麻生の奴が言ってたのはこのことなのか・・・・・)
綺麗な眉を顰めながら楓が思い出したのは、つい先日まで自分に対してちょっかいをかけてきた洸和会の麻生のことだ。
そして、その顔を思い出すと同時に、男が言っていた気分の悪くなるような言葉も思い出してしまった。

 「今の世の中、口も尻も軽い女より、綺麗な少年が好きだって言うお偉いさんは意外と多くてね。うちも政財界のお得
意さんから頼まれていたんだ。生まれも容姿も飛び切りの子を用意して欲しいって」

(あの言葉は例え話じゃなかったのか・・・・・っ)
 自分自身、楓は自分の容姿に自信を持っている。
これが利用出来るものなら利用しようと思ったし、自分には出来ると思った。
しかし、自分の全く知らない所で値段が付けられたり、取り引きの条件になったりするのは絶対に許せない。
(俺に5億なんて・・・・・安過ぎ!)



 それまで、幾分緊張していた様子の楓の雰囲気が、目に見えて鮮やかな戦闘モードに変わっていくのを、ウォンは内心
楽しんで見つめていた。
楓のような子供の闘志など、ウォンから見れば子供の癇癪ほどにもないたわいの無いものだが、その変化の鮮やかさには
思わず目を惹かれてしまう。
(こんなに美しい人形のようなのに・・・・・生き生きと動いて話すとは面白い)
 傍におけば、もっと様々な変化を見れるのだろうか・・・・・、そう思いながらウォンの手が楓の身体へと伸びる。
 「!」
そんなウォンの行動に楓よりも早く津山が立ち上がった時、静かだった廊下が騒がしくなった。
 「・・・・・」
伸ばしかけたウォンの手が止まり、その頬には不快そうなシニカルな笑みが浮かぶ。
立ち上がった津山には数人の男達が構えた銃が向けられていたが、ウォンはそれを視線だけで下げさせ、やがて障子の
向こうから静かな声が掛かった。
 「Though it is a customer」
 「Who」
 「 It is Mr.ISAKI」
 「・・・・・OK」
ウォンがそう答えた途端、荒々しく障子が開かれた。



 「恭祐っ」
 現われた伊崎の姿に、楓の顔がパッと輝いた。
 「楓さん」
伊崎は直ぐに楓に視線を向け、その様子に異常が無いかどうかを確かめている。
 「恭祐も呼んだの?」
 「・・・・・いや」
 「ふふ、じゃあ、愛の力だ」
楓はさっさと立ち上がり、伊崎の元へと歩み寄った。
本当は駈け寄りたい気分だったが、それでは余りに子供じみているだろうと我慢したのだ。
 「恭祐、来てくれてありがと」
 「・・・・・っ」



 楓の無事な姿を見るまで、伊崎は生きた心地がしなかった。
幾らチャイニーズマフィアでも、日本で、小さいながらヤクザの組の息子を好き勝手に出来るとは思わなかったが、それで
も何をするか想像がつかなくて、華奢な身体をしっかりと腕の中に抱きしめた時、伊崎は深い安堵の溜め息をついてい
た。
 「・・・・・」
(津山は・・・・・)
 楓を腕に抱いたまま、伊崎は楓に付いていたはずの津山の姿を目で捜す。
その姿は直ぐに見つかったが、左右に2人ずつ、まるで目に見えない鎖のように津山についているのが分かった。
多分、僅かでもウォンに対して攻撃しようとする素振りを見せたら・・・・・いや、攻撃ではなくても、動くだけで身体は蜂の
巣になるのだろう。
 「・・・・・」
 「・・・・・」
 津山の視線に頷き、伊崎は悠然とグラスを傾けているウォンを振り返った。
 「どういうつもりでしょうか」
 「・・・・・」
 「日本人じゃなくても、この世界のルールには共通のものがあるんではないですか?それとも、あなたの国では組と関係
の無い未成年の子供に対しても、手を出すのはタブーではないのですか?」
こんな丁寧な言葉を使ってやることも無いが、ウォンの真意が分からないままでは手の出しようが無いのも現実だった。
どんなに腹が立ったとしても、日向組と伍合会では余りに規模が違い過ぎる。
 「・・・・・」
 そんな伊崎の心の葛藤が分かるのか、ウォンは手を止めてチラッと視線を向けた。
 「楓には、淋しい夕食に付き合ってもらっただけだ」
 「・・・・・夕食?」
 「無粋な人間のせいで途中になってしまったが」
 「・・・・・」
(何を白々しい・・・・・っ)
 「・・・・・ったっ」
手に力が入ったせいか、肩を抱いていた楓が小さく声を漏らす。
伊崎はハッとして手を離した。
 「すみません」
 「ううん、大丈夫」
 楓は伊崎の傍を離れたくないのか、そのまま腕にしがみ付いてピッタリと身体を寄せてくる。
ウォンの持つ空気は、さすがの楓もあまり近付きたくはない類のものなのだろう。
 「これで失礼させてもらってもよろしいですね?」
 「まだ途中だが」
 「未成年をこれ以上酒の出る席にいさせることは出来ませんので。津山」
伊崎に名を呼ばれた津山はすっと立ち上がって2人の傍に歩み寄る。
今度は誰もその行動を止めることはせず、津山は真っ直ぐ伊崎の傍に来て頭を下げた。
 「お手数をお掛けしました」
 「帰るぞ」
 「楓」
 「・・・・・っ」
 伊崎に腰を抱かれるようにして座敷を出ようとした楓は、唐突に名前を呼ばれてビクッと足を止めてしまった。
振り向いてやる必要など無いのに、抗えない・・・・・命令し慣れたその低い声を全て無視することなど出来ず、楓は思わ
ず視線を向けようとする。
しかし・・・・・。
 「楓さん」
動きかけた楓の顔をしっかりと自分の胸元に引き寄せた伊崎は、代わりにというようにウォンに視線を向けて低く言った。
 「御馳走さまでした。請求書は後日お送り下さい」
 その言葉だけを残して3人は出て行く。
残されたウォンの頬には、不可思議な笑みが浮かんでいた。