爆ぜる感情
6
翌日、毎月の慣例の上納金を納める為に大東組の東京本部を訪れた伊崎は、ちょうどそこで見慣れた人物とかち
合った。
「お〜、伊崎じゃねえか。今日はお前が来たのか?」
相変わらずの悪戯小僧のような笑みを浮かべ、ココア色のスーツにオレンジとシルバーグレーのストライプのネクタイという
派手な色をスマートに着こなした大柄な男は、羽生会会長、上杉滋郎だ。
伊崎とはほとんど同世代なのだが、やはり一つの組を率いているだけにかなりのオーラを感じるが、上杉本人は豪放磊
落で色々と悪戯好きな、いまだにガキ大将のような男だった。
同じ母体の系列とはいえ、なかなか話もしなかった上杉と親しくなったのは楓が原因だったが、今では顔を合わせるた
びに気さくに声を掛けてくれるようになっている。
「お疲れ様です、上杉会長。先日は色々とお世話になりました」
「ん?」
「苑江君のご自宅にもお邪魔をさせて頂いたようですし」
「あ〜、あれか。楽しい夜を過ごしたか?」
普通に聞いたらあまり上品ではない言い様だったが、上杉のキャラクターのせいか下品には聞こえない。
その言葉に伊崎は苦笑を零したが、その様子に引っ掛かるものがあったのか、上杉がガバッと伊崎の肩を抱き寄せて
声を落とした。
「何かあったか?」
「・・・・・いえ」
「嘘付け。お前、ポーカーフェイス下手なんだよ」
「・・・・・」
「俺じゃ役不足か?」
「上杉会長」
「それなら、俺より少し劣るが、まあまあ頼りになる男を呼んでやるぞ」
「は?」
それから時間を置くことも無く、大東組の東京本部から車で30分ほどの寿司屋には、大柄な3人の美丈夫が昼か
ら日本酒を酌み交わしていた。
「申し訳ありません、時間を割いて頂いて・・・・・」
「いや」
僅かな笑みを浮かべて言ったのは、開成会の会長、海藤貴士だ。
大東組の系列の中でも、今最も勢いがある海藤は、この世界ではサラブレッドと言っていい家系の人間だ。
ずば抜けた才能でどんどん地位を上げていき、次期役員選挙ではこの若さにして異例の抜擢を受けるだろうとも言わ
れている。
そんな海藤を師事し、日向組の組長である雅行が海藤と付き合うようになったが、更に深く付き合い始めたのは、や
はり楓と海藤の愛人が仲が良くなったからだ。
「先日は、西原君にもお世話になりました」
「真琴も楽しかったようだ。また遊んでやって欲しい」
秀麗な美貌の主でもある海藤は、上杉とは違って感情の起伏をほとんど見せない冷静沈着な人間だが、愛人であ
る真琴の話になると、その眼差しや口調も優しいものになる。
それだけで、どれ程大事に、どれ程愛しているか、よく分かった。
「大体、振込みでも十分だってーのに、毎回現金で納めさせるんだからなあ」
「銀行を通したくないんでしょう」
「全く、俺達にも予定があるっていうんだよ」
何時も好き勝手なことを言う上杉は笑いながらそう言うと、チラッと意味深な視線を伊崎に向けてきた。
「で、お前の懸念ってなんだ?」
単刀直入に聞いてくる上杉は回り道などしない性格なのだろう。
伊崎も、なかなか把握しきれない伍合会の情報が少しでも分かればと、言葉を選びながら口を開いた。
「香港伍合会をご存知ですね」
「・・・・・」
上杉と海藤は顔を見合わせた。
「大陸のマフィアだろ?」
伊崎の真意を探るような目線の上杉に、伊崎はしっかりと頷いた。
「そうです。今、ウォンという人間が来日しているんですが、彼はどのくらいの位置の人間ですか?」
「・・・・・ウォン・ライか?」
上杉が呟くように言いながら海藤に確認するように視線を向ける。
それに答えるように、海藤は平坦な口調で続けた。
「ええ、今来日しているのは彼ですね。ただし、それは本名ではないようですが」
楓はつまらなそうな顔をして広い縁側に腰掛けて足をブラブラさせながら、後ろに控えている津山にジロリと視線を向
けて言った。
「つまんないよ」
「楓さん」
「普段なら多少おなかが痛くっても学校へ行けって煩いのに・・・・・」
「せめて今日は大人しくなさってください」
「・・・・・」
「楓さん」
「分かってる!」
昨夜、楓が半分拉致のように連れ去られたという報告を受けた、兄で、現日向組組長である雅行は、今日は一歩
も家から出ないようにと楓に厳命した。
相手の真意が分からないからという理由は楓も納得は出来る。納得は出来るが・・・・・まるで自分が逃げるように家に
閉じこもらなければならないというのはどうしても納得は出来なかった。
(日本で何かをするなんて出来っこないだろ)
「組長が上に事情を聞かれるまで、どうか大人しくなさってください」
「なんだよ、まるで俺が言うことを聞かない子供みたいじゃん」
「・・・・・そうです」
「津山!」
「楓さんはどう思ってらっしゃるか分かりませんが、奴らはかなり危険な組織です。自分達の目的を遂げる為にはどんな
手段でも講じる・・・・・楓さん、みんなあなたを心配しているんです」
「・・・・・っ」
(そんなの、分かってる!)
分かっているからこそ、納得がいかないと文句を言いながらも家から出ないのだ。
楓はふんっと立ち上がると、ドシドシと歩いて母屋から続く組事務所へと足を向ける。
中には数人の組員がおり、彼らは楓の姿を見ると立ち上がって頭を下げた。
「・・・・・兄さんは?」
「組長は本部に行かれてます」
「きょ、いさ・・・・・」
「伊崎も同行していますよ」
もう何十年もここにいる中年の組幹部は、楓が何を言おうとしているのかは全てお見通しらしい。
雅行が生まれる前からこの組にいる人間にとっては、楓は自分の子供か孫のように思えるらしく、口調も眼差しも穏や
かで優しい。
そんな彼らに対しては、楓も素直な態度で接していた。
「2人一緒に出かけてるんだ」
「今日は上納金を納める日ですから」
「あ・・・・・そっか」
「坊っちゃん、何か御用があるのならお聞きしますよ?」
「・・・・・」
「坊っちゃん?」
「・・・・・いい」
楓は溜め息混じりにそう言うと、今度は少し足取りも重く母屋に引き返して行った。
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