爆ぜる感情
8
もう十年以上も一緒にいるのだ、伊崎も楓の性格はよく分かっていた。
見掛けとは違い、随分と男っぽい性格の楓は引くことを極端に嫌う。ただ、家の問題もあるのでなかなか行動に移せな
いだけだ。
しかし、自分の容姿がかなり相手にプレッシャーを与えることが出来ると分かってからは、にっこり笑いながら毒舌を吐く事
で鬱憤をはらすようになった。
それはそれで伊崎の心配の種だったが、今回のウォンに関しては余りに慎重な周りの態度に、何時もは抑えているはず
の気持ちが我慢出来ずふき出してきたらしい。
「楓さん」
「いくら相手が日本人じゃないからって、今の恭祐の対応はイライラするほど生温いっ。今回のことではこちらに非があ
るわけじゃないし、文句を言ったっていいんじゃないか」
「・・・・・そうは簡単な話ではないんですよ」
「また子供扱いするっ」
「子供ではないから、困っているんです」
「・・・・・」
相手の狙いが分かり過ぎるから、伊崎自身も気を抜けば冷静な判断が出来なくなってしまうのだ。
伊崎自身、楓を他の誰にも触れさせたくないと思っている。出来ればその目に、自分以外の人間を映して欲しくないほ
どに束縛したい。
ただ・・・・・それさえも出来ないほどに、楓を愛しているのだ。
「今回のことについては、楓さんも思うことはあるかもしれませんが・・・・・どうか無謀なことをするのは止めてください」
「・・・・・」
「楓さん」
楓の手にネクタイを握らせたまま、伊崎はその場に跪くと、少し目線が上になる楓の唇にすくい上げるようなキスをした。
キスで誤魔化すつもりは無かったが、怒りに鮮やかに表情を変える楓を宥める為に、そしてそれ以上にキスしたいという
自分の欲求を満たす為に、触れることを許してくれるその唇に、伊崎は深いキスを続けた。
翌朝、教室の中から外を見つめていた楓はじっと考えていた。
伊崎の言葉の意味が分からないでもないが、四六時中何かに怯え、誰かに守られるという生活など息苦しくて仕方が
ない。
そうでなくても、学校では猫を被っているのだ。
「・・・・・」
不意に、楓はポンと肩を叩かれた。
反射的ににっこり笑って振り向いたが、そこに立っている人物を見てたちまち不機嫌そうに眉を顰める。
「何の用?」
「美人顔が台無し」
「・・・・・煩いな」
立っていたのは同級生で、唯一楓の二面性を知っている悪友、牧村徹だった。
夜の街では時折悪い遊びも一緒にする牧村だが、学校では楓の気持ちを尊重してか距離を置いて接している。
ナンパな男なくせに妙な気遣いが出来る牧村には、楓もある程度の親しみを持っていた。もちろん、本人の前ではけし
てそんな素振りを見せたことは無いが。
「今夜暇?」
「何があるんだ?」
「最近、開拓した店があってさ。そこのマスターがぜひ楓を連れて来て欲しいって」
「・・・・・」
「睨むなって。俺から話を振ったわけじゃなくて、あっちがお前のことを知ってたんだよ。お前の顔は夜の街では有名だか
らさ。なあ、時間空けれないか?」
「・・・・・」
(また、安請け合いしたんじゃないか・・・・・?)
口が軽いわけではないし、頭も悪いわけではない。
しかし、時折悪ふざけが過ぎ、ノリだけで突っ走るところもあるこの悪友の言葉に、何度も困らされたことがあった。
そのどれもが小さなことだが、あまりいい気分ではなかったのは確かだった。
「止めておく」
それが一番無難な答えだった。
「どうして?」
「今、夜間外出禁止中」
「何したんだ?」
「なにもしてない」
(されるのを防止する為なんだよ)
楓の特殊な家庭環境は学校中の人間が知っていることだ。家庭の事情ということを匂わせれば、牧村もそれ以上楓に
無理を言うことは無かった。
「しかたないか。遊べるようになったら声掛けてくれよ」
「うん」
(何時になるか分からないけど)
「お疲れ様です」
迎えに来た津山に丁寧に頭を下げられ、楓は小さく頷いた。
昨日からの伊崎に対するモヤモヤは持続中で、その伊崎の命令に忠実な津山を見ているのも面白くない楓は、子供っ
ぽいとは思うが口をきかないという手段に出ていた。
それは、校門から車に場所を移しても変わらない。
「楓さん、今日は寄りたい場所はないんですか?」
「・・・・・」
「このまま帰ってもよろしいのですね?」
「・・・・・」
津山は表情の乏しい頬に苦笑を浮かべると、静かに車を走らせながら言った。
「楓さん、若頭から話は聞きました。楓さんの味方をしたいところですが、私も若頭の取っている方法が最善だと思いま
す」
「・・・・・」
「チャイニーズマフィアは、楓さんが想像している以上に厄介な組織です。まるでこちらが悪いかのように逃げているのは
面白くないと思われているかもしれませんが・・・・・どうか分かってください」
「・・・・・」
組の誰もが、自分の事を大切に思ってくれているのは良く分かっている。
その中でも、人に知られないようにしているとはいえ、恋人でもある楓を一番想ってくれているのは伊崎だという事も、楓は
自惚れでも無く分かっている。
だからこそ、だ。
(どうして俺の気持ちを分かってくれないんだよっ)
よくも知らない男に、欲望だけで欲しがられている自分の気持ちを、伊崎なら分かってくれると思った。
楓が相手に対峙しに行きたいと言えば、自分も一緒に行くと言ってくれると思っていたのだ。
「楓さん」
「分かってる」
「・・・・・」
「もう、分かった」
(自分で動くしかないって事・・・・・)
チャイニーズマフィアは怖いとはいえ、ここは日本だ。何を怖がることがあるのだ。
(とにかく、この津山を巻いて、相手とコンタクト取らないと)
「楓さん」
「・・・・・なに」
「バカなことは考えないように」
「・・・・・」
しつこいぐらい念押しをするのは、津山も楓の性格を正確に理解しているからだろう。
分かっているだけに何も言えないが、今は大人しくしていなければこの先自由に行動も取れない。
「分かってるよ。大人しくしているから」
一番似合わない言葉を言って窓の外に視線を向けた楓を、津山はバックミラー越しに見つめることしか出来なかった。
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