光の国の御伽噺
1
トントン
「お呼びですか、父上」
洸聖は軽く扉を叩いてから部屋の中へと足を踏み入れた。
「洸聖様」
始めに自分を出迎えてくれたのは、父の影である和季だ。いや、いまやその地位は影というよりは事実上の王妃というもので、父
は各国の使者を迎える時や、宴を開く時、常に和季を伴侶として隣に従えるようになっている。
和季本人は、まだ影としての自分の役割を捨て切れてはいないようで、どうしても一歩引いた態度を取ってしまうらしい。
それが気に食わないと父は大げさに嘆いていたが、結局は和季が傍らにいることが嬉しいというのは変わらず、本来は真実新婚
である洸聖の方があてられるほどだった。
「和季殿」
洸聖がその名を呼ぶと、普段全く表情を動かさない和季が、僅かに目を細めて身体を横にずらす。
「洸英様は奥に」
「はい」
正式な婚儀を挙げていないので、本来ならば和季をどのように扱っていいのか迷うところだが、洸聖は迷うことなく和季を父の伴
侶として扱っていた。
「父上」
「おお、洸聖、これを見よ」
ゆったりと椅子に座っていた父は、笑みを浮かべたまま視線を卓の上へと向けた。そこには、大きな箱が蓋を開けたまま乗せられ
ており、中には眩いほどの宝飾が数多く納められていた。
「これは・・・・・」
「これまでに我が国に献上された宝飾だ。二日後、蓁羅へ行く折、幾つかを持参しようと思うのだが」
「・・・・・」
洸聖は溜め息をつく。
ようやく、自分が呼ばれた意味が分かったからだ。
(全く、この人も親馬鹿と言って良いな)
五日後、光華国の王族は一団となって蓁羅へと向かうことになっていた。
それは、隣国蓁羅で行われる、洸聖の弟で第三皇子である莉洸と、蓁羅の王、稀羅の婚儀に出席するためだ。
本来、冠婚葬祭には、国を代表した者が向かうのが常だ。しかし、今回のことは、莉洸を可愛がっていた父を始めとし、兄弟達
が皆、婚儀に出席することを望んでのことだった。
そのため、光華国には十日ほどの間、王と皇子達、そして主だった大臣達もいなくなってしまう。
もちろん、そんなことで政務が滞るようなことはないが、洸聖は自分が不在の間の様々な雑事を今のうちに処理をしなければなら
ず、忙しい日々を送っているのだが、同じように多忙でなければならないはずの父は、暢気に手土産のことを考えていたのか。
(呑気とは、違うかもしれないが)
身体も成長し、自分に対して遠慮のない意見を言う洸聖達よりも、何時までも愛らしい莉洸を父が特別に可愛がっていたこと
は知っている。
それでも、莉洸の身を飾る宝飾のことまで考えてしまうのは、夫となる稀羅にさすがに失礼にあたるだろう。
「父上、お止めになった方がよろしいですよ」
「ん?なぜだ?」
「かりにも、莉洸が嫁ぐのは一国の王です。稀羅殿も自分の手で莉洸を着飾りたいでしょう」
「・・・・・」
「蓁羅が我が国よりも国力が劣ってしまうのは仕方がありませんが、それでも夫としての矜持を踏みにじることはいかがでしょう
か」
意見を言うというよりは、それが決定事項だ。
洸聖は憮然とした表情になった父から和季に視線を向けて、どうしますかと苦笑を浮かべた。
(本当に、困った方)
洸聖が言った言葉と同じことを、和季も先ほど洸英に伝えた。
いくら洸英が蓁羅の国力を考え、莉洸のためだと思っていても、あれ程強い独占欲を抱いている稀羅が、莉洸にこちら側が用意
したそれを身に着けさせるとはとても思えなかった。
「洸英様」
「・・・・・」
「今回の婚儀には、着飾った莉洸様を拝見するために向かうのではなく、幸せな様を見せていただくために向かうのではないで
すか?きっと、蓁羅の王は莉洸様を美しく変えておいでだと思います」
洸英もそれは分かっているはずだ。それでも親として、晴れの舞台に少しでも花を添えてやりたいと思ったのだろう。
(これ以上言うのは止めよう)
和季は椅子に座ったままの洸英の肩にそっと手を乗せる。すると、直ぐにその手は掴まれた。
「私の思いを抑えようというのだ、覚悟は出来ておろうな?」
「・・・・・」
「和季」
「もちろんです、洸英様」
そのまま腕を引かれ、洸英の胸の中へと倒れこんだ和季は、チラッと洸聖に眼差しを向けて微かに頷いてみせる。賢く、物分りの
良い皇太子は直ぐにその意味を理解すると、一礼して部屋を辞していった。
「生意気だぞ、和季」
そんなことなど一切構わない子供のような洸英は、詰るように言いながら服の中へと手を忍ばせてくる。
嫌だと思わない和季が、その手を拒むはずが無かった。
「どんなことでも思いを口にせよ・・・・・そうおっしゃったのは王でございます」
「王ではない」
「・・・・・洸英様」
宥めるように和季から口付ければ、洸英は柔らかなそれを奪うように激しいものにしてくる。今夜は寝かせてはもらえないかもしれ
ないと思いながら、和季はその口付けを甘受した。
部屋に戻ると、直ぐに悠羽が駆け寄ってきた。
「洸英様、どうされたのですか?」
「・・・・・」
父と和季の甘い抱擁を見たせいか、洸聖は思わず手を伸ばして悠羽を抱きしめていた。
「洸聖様?」
「・・・・・子供のようなことを言ってらした」
「え?」
悠羽を抱きしめたまま父との会話を告げれば、悠羽は楽しそうに笑い始める。
「洸英様が子供のようだと言われる洸聖様も、子供のように反論なさっているのですね」
「・・・・・私と父上を一緒にしないで欲しい」
確かに、男としても王としても、自分はまだ父には遠く及ばないのかもしれないが、一個人としては自分の方が遥かに理性的だと
思う。それを子供のようにという悠羽は、一体自分のどこを見ているのかと、洸聖は思わず眉を顰めてしまった。
「お二方とも、莉洸様のことを考えていらっしゃるのはよく分かっています。洸聖様と洸英様は、その表現方法が少し違うだけで
はないでしょうか」
どこがとは、もう聞かないでおいた方がいいかもしれない。父が和季に弱いように、自分も悠羽には弱いことを自覚している洸聖
は、とにかくと悠羽の身体を離しながら言葉を続けた。
「稀羅王にも、王としての面目があろう」
「はい。どんな式になるのか、今からとても楽しみです」
悠羽の素直な言葉に洸聖も思わず笑みを浮かべたが、直ぐに厳しい現実を思い、表情を引き締めた。
「・・・・・」
「洸聖様?どうかなさったのですか?」
「・・・・・莉洸は、苦労するであろうな」
稀羅が懸命に国力をつけようとしているのは分かっているし、事実、最近の蓁羅の経済的な成長には目を見張ることも多い。
ただ、それでも光華国という裕福な国で、大切に育てられた莉洸が暮らすには、まだまだ蓁羅の状況は厳しいだろう。
住まいだけでなく、服も、食事も。とても満足とはいえない国で、王妃として暮らすことになる愛する弟の未来を憂うのを止められ
ない洸聖は、縋るように目の前の悠羽の手を握り締める。
「国力を今すぐどうこう出来ないのは致し方ありません」
「悠羽」
「私は、それでも共に生きようと思う相手がいることこそ、何よりの力だと思っています。それに、光華国はこんなにも豊かな国だ
というのに、洸聖様を始め、皆様過ぎる贅沢はなさっておられない。大丈夫です、莉洸様もきっと、お幸せになれます」
悠羽の言葉は不思議だ。洸聖の消えない不安を綺麗に拭い去り、それ以上に力付けてくれる。
「悠羽・・・・・」
「ね、洸聖様」
そばかすのある顔が、柔らかく微笑む。羽のように柔らかな赤毛をかき撫でると、洸聖はそのまま小さな唇に口付けを仕掛けた。
(本当に・・・・・父上のことは言えぬな)
些細なことを切っ掛けにして、愛しい存在に触れようとしてしまう。触れずにはいられない悠羽が悪いのだと思うが、それを伝えた
らきっと拗ねてしまうだろう。
(それも、愛らしいかもしれないが)
「んっ」
まだ子供のような身体だが、既に悠羽は抱かれて蕩けてしまうことを知っている。ただ、まだ肌を合わせるには少し時間が早いと
思っているのか、恥ずかしがって身を捩った。
「悠羽」
唇を少しだけずらし、逃げるなと囁く。
「このまま」
「で、でも・・・・・」
「私がお前を感じたい。嫌か?」
ずるい聞き方だが、こう言えば悠羽は絶対に嫌だとは言わないことを洸聖は知っている。それは、悠羽の自分に対する愛情を確
信しているからだ。
「・・・・・」
それが証拠に顔を真っ赤にし、少し戸惑った様子は見せるものの、それでもなお、自分の背中にそっと腕を回してきた悠羽の行
動に、洸聖の唇にはうっすらとした笑みが浮かぶ。
「悠羽」
他のことでははっきりと自分の意見を述べる悠羽も、こと房事に関しては洸聖に逆らうことはない。こういう策を練る自分はとても
子供とは言えないなと思いながら悠羽を抱き上げた洸聖は、二人の寝室に向かってゆっくりと歩き始めた。
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