光の国の御伽噺
8
蓁羅の王宮の大広間には、既に各国の王族が詰め掛けていた。
今までの蓁羅ならば使者を送る程度か、もしくは祝いの言葉さえも贈らない国が多かったろうが、今回の花嫁が大国光華国の第
三王子ということで、光華国とのつながりを重視する国々は蓁羅へも相応の対応をしなければならなくなった。
蓁羅も、花嫁の立場を考え、今この国で出来る最高のもてなしをするために準備を重ねてきた。
数ヶ月前の光華国の皇太子の婚儀には遠く及ばないものの、それでも華やかで荘厳な式は静かに始まった。
式が始まる直前だというのに、自分や父に挨拶をしてくる者達の存在が煩い。
(ここは、莉洸と稀羅王の結婚を祝うところだろう)
元々が生真面目な洸聖は、ここぞとばかりに自分達にすりよってくる相手が疎ましくて仕方が無かった。今日は大切な弟である
莉洸の晴れの日で、自分達は来賓の一人なのだ。
「洸聖殿、私は」
「失礼ですが」
「は?」
「今は蓁羅の国王の婚儀を祝うべきではありませんか?私は礼節をわきまえない方と話すつもりはない」
きっぱりと言い切ると、その王族はそそくさと傍から離れて行った。
それならば最初からきちんと物事を考えていればよいのにと思わずにはいられないが、少しでも近付きたいと思わせるほどに自分
の国が大国であることも十分分かっていた。
「・・・・・」
面白くない思いを抱いていた洸聖は、自分の手をそっと握る存在に視線を向ける。隣にいた悠羽はその視線に気付くと、さらに
握っていた手に力を込めてきた。
「洸聖様、笑顔笑顔」
「・・・・・」
「もうじき莉洸様がいらっしゃいますよ?」
「・・・・・分かっている」
こんな風に面白くない思いをしているのは自分の勝手だ。
洸聖はそう言い放つと、自分からも悠羽の手を強く握り締めた。
「蓁羅国王、稀羅様、御入室!」
その時、入口に立つ神官の格好の男が大きな声で宣言をする。ようやく式が始まったのだと、大広間にいた者達の視線はいっ
せいに開かれた扉へと向けられた。
「・・・・・綺麗、莉洸様」
黎の呟きに、洸竣も笑みを浮かべたまま頷いた。
「なんだか、本当に旅立つんだなと思ってしまうね」
悠羽の時は花嫁衣装は純白で、清楚で初々しい雰囲気だったが、莉洸の花嫁衣装は前回礼服として着ていたものと同じ、深
紅を基調としたものだった。
本来男である莉洸に合わせたのか、その花嫁衣装は女物とは違い、どこか中性的な輪郭を伴っていた。
「赤い衣装というのもとても美しいです」
「ああ、もっと煌びやかなものになるかと思ったけれど、あの色は落ち着いて気品がある。莉洸も少し年上に見えるな」
「ええ」
弟という立場だからか、洸俊からすれば莉洸はどうしても子供という意識があるが、今回こうして見る莉洸はとても大人びていて、
愛らしい弟とはとても思えなかった。
(赤と黒、か。本来負の色の黒を婚儀で着るなど考えられないが・・・・・)
いくらそれが蓁羅の男の礼服とはいえ、漆黒の武官の服を着、堂々と胸を張って入場してきた稀羅の強い意志は称賛に値す
るだろう。
(ほら、周りも戸惑っている)
死を意味する黒い服を着た新郎を、列席者は戸惑った様子で迎えている。多分、この場で温かく迎えているのは自分達莉洸
の身内だけだ。
「それでも、十分か」
「洸俊様?」
「ん?」
「・・・・・」
「・・・・・ほら、黎、ちゃんと莉洸を祝ってやってくれ。お前も莉洸の大切な身内なんだから」
「そ、そんな、僕は・・・・・」
「ね?」
洸俊はそう黎に伝えてから、再び視線を今回の主役達に向けて手を叩く。静まり返った大広間の中に響いたたった一つの拍手
の音は、やがて他の拍手も誘って大きなうねりとなった。
身を清め、今日の花嫁衣装に袖を通した時、莉洸は覚悟をしていたはずなのに・・・・・身震いするほどの緊張感と怖れを感じ
てしまった。
(僕は、本当に大丈夫なのかな・・・・・)
緊張感が頂点に達したせいで、気持ちが後ろ向きになってしまっている。
今回の自分達以上の列席者がいる中、悠羽は堂々と顔を上げて真っ直ぐに歩いていたというのに・・・・・自分はどこまでも臆病
者なのか。
「莉洸様、こちらに稀羅様がお待ちです」
大広間の直ぐ傍の小部屋に先に到着していたらしい稀羅は、莉洸の姿を見て深い笑みを向けてきた。
「莉洸」
「・・・・・稀羅様」
漆黒の衣装を身に纏った稀羅はとても凛々しく、莉洸はその姿を見ただけで何だか気恥ずかしくなってしまう。その上、見惚れる
ほどに男らしいこの人の傍に自分が立つことがとても信じられず、莉洸は入口から足が動かなくなった。
「どうした?」
「あ、あの」
「・・・・・」
「・・・・・ごめんなさい」
どういえば自分の今の気持ちが伝わるのか分からなくて、莉洸はただ謝るしかない。そんな莉洸を見て何を思ったのか、稀羅の
方から歩み寄ってくれると、そのまま強く抱き寄せられてしまった。
「稀、稀羅様っ、衣装がっ」
せっかく綺麗に身を飾ってもらったというのに、このままでは服に皺が出来てしまう。稀羅が笑われてしまうのは嫌なので必死に
その腕の中から逃れようともがいたが、稀羅はますます腕に力を込めると、莉洸の耳元に唇を寄せて言った。
「何も考えるな。お前は私だけを見ていればいい」
莉洸の緊張は見ているだけで稀羅にも伝わってきた。
大国の王子として生まれたというのに性格がとても控えめな莉洸を愛しく思うし、変に変わって欲しくないとも思っている。
ただ、婚儀の間だけは、堂々と胸を張って自分の隣に立っていて欲しかった。他の者達に見せ付けるためもあるが、稀羅自身も
莉洸が望んで自分の傍にいるのだという自信が欲しかったからだ。
「・・・・・いよいよだな」
「は、はい」
「この時をどれほどに待ったか」
「稀羅様・・・・・」
「光華国でお前と偶然に出会い、無理矢理我が国に連れ去った時は、こんな風に式を挙げるということは想像もしていなかった
が・・・・・」
自分とは違う汚れない存在を手にしたいと思うだけだったのに、何時しか相手の心も欲するようになり、こうして想いを返してもら
えるとは・・・・・。
(それだけでも、私の人生の最良の出来事だ)
「私などと式を挙げるのは、お前にはとても恥ずかしいことかもしれぬが・・・・・どうか、莉洸、各国の使者の前で私と式を挙げて
くれないか?お前が私のものだということを、どうか知らしめさせてくれ」
婚儀の当日に頭を下げる花婿をどう思ったのかは分からないが、莉洸は今自分の隣に立っている。
目は伏せているものの、顔はしっかりと上げて、蓁羅の国王である自分の正妃として、莉洸は逃げないでいてくれた。
「大丈夫か、莉洸」
小声で訊ねれば、コクンと頷きが返ってくる。
「私がいるから、お前はただ、そこにいてくれたらいい」
「・・・・・はい、稀羅様」
今度ははっきりと声を出して答えてくれた莉洸を目を細めて見つめた稀羅は、しっかりと小さな手を取って大広間の真ん中を堂々
と歩き始めた。
稀羅と莉洸には少々歳の差はあるものの、こうして並び立っている姿は不思議としっくりきた。
(本当に、残念ではあるがな)
可愛い莉洸にはもっと別な幸せが幾つもあったと思うものの、これも本人が選んでしまったのならば仕方が無いと諦めなければな
らないだろう。
最前列にいる洸英はしっかりと莉洸と目があった。深紅の花嫁衣装を着た莉洸は恥ずかしそうに、しかし、それ以上に誇らしげ
な表情で稀羅の隣に立っていた。
「ありがとう、お父様」
小さな口が、そう動いた気がする。こんな風に礼を言われると泣きそうな気分だ。
(あまり可愛がっていなかったかもしれないな。今更後悔しても遅いが、もっと一緒にいてやりたかった)
その頃既に和季への愛を自覚していた洸英にとって、莉洸と洸莱の誕生というのは思い掛けないという一言に尽きた。
身体は気に入っていたが、愛があったわけではないそれぞれの母親達。その愛情の偏りから考えても、もっと自分を嫌ってもいい
と思ったが、莉洸はなぜか自分に懐いてくれた。
懐かれれば、やはり可愛い。
産んだ母親のことは別にして、洸英は莉洸を可愛がった。まさか、大切な莉洸を蓁羅などに嫁に出すとは思ってもみなかったが。
「泣かせたら、一気に攻めてやろう」
二度と莉洸が戻れないようにしてやったらいいとほくそ笑んで思っていれば、隣にいる和季が気配を感じたのかたしなめてきた。
「洸英様、無粋なことはお考えになられぬように」
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