光の国の恋物語





104









 「王」

 扉を叩き、返事がある前に王洸英の執務室に入った和季は、驚きに目を見張るという珍しい洸英の顔を見て目を細めた。
無表情な顔はそれだけでも随分と変わり、洸英は笑われたのかと思ったようで直ぐに表情を憮然としたものへと変える。
(本当に・・・・・まだ子供のようなお方・・・・・)
賢王と呼ばれる程の政治手腕を持ち、私生活でも今だ歳若い愛人を何人も持つという精力溢れる男。成熟した男の魅力と
子供のような無邪気さを持つこの男を、自分は確かに愛おしいと思っていた。
 「和季」
 「・・・・・」
 「お前が守るべき私は、こんな狭い部屋の中にずっと押し込められているというのに、影であるお前が自由に出歩くなどとはどう
いう了見だ」
 「・・・・・」
 どこに、行っていたのか。
誰と、いたのか。
本当に聞きたいことを一切口にせず、洸英は和季の部下としての行動を諌めてきた。
そんな男の態度は予想出来ていたので、和季は少しも動揺することも無くゆっくりと歩み寄ると、椅子に座っている洸英の足元
に両膝を着き、額を床に着けるほど下げて・・・・・言った。
 「影の任を解いて頂きます」



 その言葉を、もしかしたら想像していたのかもしれない。
洸英は驚いているくせに妙に納得している自身の気持ちを冷静に見つめ、内心皮肉気な溜め息を漏らした。
任を解く許可を貰うのではなく、既に決定した事項を認めてもらうという和季の言葉。
それは、王が影を選ぶのではなく、影が王を選ぶという事実を踏まえてのことだろう。
(私を・・・・・切るか)

 全ての王に付くわけではない影は、有能な側近や王妃のいない不遇な王を助ける為に、不意に姿を現すといわれる一族だっ
た。
彼らがどこの国に住んでいるのか、それは代々影が付いた王達にも分からなかったが、伝えられていることはただ一つだけあった。
それは、彼らが両性だということだ。
 男でもなく、女でもない彼らには、個人的な欲というものがない。
自分の子供を残すことも、生むことも無く、誰かの愛情を欲するというわけでもなく、ただその時の光華国の王となった者に対して
絶対的な忠誠を誓うという影。
彼らは高い身体能力と頭脳の持ち主だが、どんなに仕えた王に不遇な扱いをされても裏切ることは絶対に無く、王が亡くなって
代替わりをする時か、自身の命が尽きるその時でしか、王の側から離れることは無いと言われている。
 ただ、影自身がどうしてもその王の側にはいられないという事項が起きてしまった時、影が涙を流すほどの感情の崩壊があった
時、影は自ら王を見限り、二度と姿を見せることが無いという話も聞いた。

 過去に、影に見限られた王は、数百年前のたった1人だ。
両性である影に自らの子を生ませようと数ヶ月に渡って陵辱し続け、その命が尽きてしまう寸前、その影は自ら王を切り捨てたと
いう話だった。
(私とのことは、お前の意に沿わぬことであったのか・・・・・?)
 女よりも美しく、たよやかな容姿の和季に心を奪われ、会った瞬間に欲しいと率直に告げた。
さすがに驚いたように目を瞬かせていた和季だったが・・・・・それでも否とは言わなかった。過去、影と肉体関係を結んだという者
の記述は無かったが、この影・・・・・和季と自分は、今までの者達との関係とは違うと信じていた。
そう思うことは、もしかしたら自分の傲慢だったのだろうか。

 「それはもう決断したことか?」
 「はい。我が王には、この命尽きるまでお仕えする覚悟でございましたが、既に私という存在が必要の無いものだということが分
かりましたので」
 「・・・・・っ」
 馬鹿が!・・・・・洸英はそう叫びたいのを辛うじて抑えた。
自分がどんな危険な決断をしようとも、必ず側にいて正しいと言ってくれた和季。
花の間を飛び交うように、様々な女を手にしても、僅かな苦笑を浮かべたまま許してくれた和季。
あまりにも身近にいたので、その存在の大切さを改めて言葉にはしてこなかったが、それでも和季は分かってくれていると思ってい
た。
それが、何時、どんな時に、自分が必要とされていないと思ったのだろうか。
 「和季」
 「はい」
 「お前・・・・・私が憎いか」
 「・・・・・」
 「その細い手で手に掛けたいと思うほど・・・・・私を嫌うておるか」
 「・・・・・いいえ、王。私は今でも、あなたを愛おしいと思っています」
 「ならば!!」
洸英は和季の腕を掴むと、強引に俯いている顔を仰向かせた。
 「なぜに私から離れようとするのだ!!」
感情的な洸英の言葉に、和季はただ静かな眼差しを向けている。
そして・・・・・射るように見つめていた洸英の眼差しを真っ直ぐに見返すと、少しだけ声を落として言った。
 「あなたが私を・・・・・ただの慰めの相手にしてしまったのです」



 サランと共に洸英の部屋の前に駆けつけた悠羽は、はしたないとは思いながらもバンバンと大きな音を立てて扉を叩いた。
今この中で何が行われているのかは分からないが、一刻も早く、早くと心が急いたのだ。
 「王!洸英様!悠羽です!お開け下さい!」
 多分、鍵は掛かっていないだろうが、さすがに勝手に扉を開けることは出来ない。
間を置かずに扉を叩き続けると、やがて中からゆっくりと開かれた。
 「和季殿!」
 「・・・・・悠羽様・・・・・サラン」
綺麗な青い目を悠羽に向け、続いてサランを見つめた和季は、2人に分かる程に口元を緩めた。
無表情な彼のその変化は雄弁で、一瞬見惚れてしまった悠羽は声が出なかった。
 「どうしました」
 「あ、あの、王は・・・・・」
 「王ならば奥に。どうぞ」
 和季に促されて部屋の中に入った2人は、奥の椅子に腰掛けている洸英の姿を見付けた。
普段は末王子の洸莱よりも無邪気に笑う、まるで少年のような洸英だが・・・・・今の表情は何と言ったらいいのだろうか。
(既に、何かあったのか・・・・・?)
強張った頬に、顰めた眉。椅子の肘掛を忙しなく叩いている様は、とても何時も余裕がある王には見えなかった。
 「王」
 「・・・・・ああ、悠羽か、何用だ」
 悠羽が声を掛けると、洸英は顔を上げて笑いながら声を掛けてくる。しかし、その目は全くといっていい程笑っているようには見
えなかった。
 「和季殿が、もしかして・・・・・この国を出て行かれるのではと思いまして」
 「・・・・・っ」
言葉が無くても、その表情の変化で直ぐに分かる。悠羽は洸英から和季に視線を移した。
 「理由はお聞きしませんが、どうか思い留まってください」
 「・・・・・」
 「どうかっ」
 「何の為に?」
 「何の・・・・・為?」
 「私がこの国に存在してもいなくても、この国の未来に変化は無い。あなたは、洸聖王子と立派にこの国を支えてくだされば、
いずれ私のことなど思い出すことも無いでしょう」
 自分の存在などそれ程の価値も無い。淡々とそう言う和季の言葉が悲しくて堪らず、悠羽はぎゅうっと両手を握り締めて首を
振った。
 「変化はある!」
 「悠羽様」
 「少なくとも、私も、サランも、あなたがいなくなったら寂しいと思っている!」
 「・・・・・」
 「王が要らぬのなら、私が貰い受ける!和季殿、どうか私と洸聖様に力を貸して欲しい。共に、この洸華国を更に発展させよ
うっ?」
 「・・・・・」
和季が笑った。
少し、眩しいものを見るような眼差しを向けてきた和季に更に言葉を継ごうとした悠羽だったが、
 「それは私のものだぞ、悠羽」
 それまで黙って話を聞いていた洸英はそう言いながら立ち上がると、悠羽の前に立っている和季の手を掴んで自分の胸の中へ
と抱きしめた。
 「これは誰にもやらぬ」