光の国の恋物語
105
「これは誰にもやらぬ」
慌てたように廊下を走る悠羽とサランを見掛けて後を追った洸聖は、洩れ聞こえてきた声に思わず溜め息を付いた。
「父上」
「洸聖様っ?」
いきなり現れた洸聖に思わず声をあげた悠羽に笑みを向けると、まるで我が儘な子供のようなことを言う父に、洸聖は呆れたよう
な眼差しを向けた。
どう考えても、和季がこんな決断をしたのは父洸英のせいで、誰にもやらないということを言える立場ではないはずだ。
洸聖も文献を読んだだけではあったが、王と影の関係では、一見表に立つ王の方に主導権がありそうなのだが、むしろ全ては影
の意思次第で決められることだということを知っている。
王を選ぶのも、王を見限るのも、全ては影次第なのだ。
「父上」
洸聖は悠羽の肩にそっと手を置いて落ち着かせると、和季を抱いたまま眉を顰めている洸英を見つめた。
「歴代の王の中に、影を抱いた者はいないはずです」
「私と過去の王は違う」
「和季は我が儘な父上にこれまでよく仕えてくれました。父上のどんな身勝手な行動にも、それこそ派手な女遊びも、全て後始
末は影にさせて」
「・・・・・」
「私が物心付く頃、母上が亡くなって、それ以降、正妃を娶られないのは和季がいるせいでしょう」
洸聖が3歳になるかならない頃、洸聖の母でもある正妃が亡くなった。
その頃、洸英は臣下達の勧めた妾妃を既に持っており、その間に洸竣という子もいたので、誰もが次期正妃はその妾妃がなる
のだろうと思っていた。
しかし、洸英は妾妃は妾妃のままに置き、それ以降今まで、正妃の位置を空席にしていた。
「和季が、現れたからでしょう?」
「・・・・・」
「私は、微かながら覚えています。白く美しい人が、母を亡くして泣いてばかりいた私の身体を優しく抱きしめてくれたことを。その
頃はまだ洸莱の歳くらいだったな・・・・・和季」
洸聖の言葉を和季は否定も肯定もしない。
ただ、口元に浮かぶ微かな笑みが、全てを表しているように見えた。
「洸竣の母親は、臣下達が王家の繁栄の為にと連れて来た方で、正妃になる身分も教養も十分にあった。それでもあなたは
早々にその方を里に帰し、数年して・・・・・今のような色恋事が派手になられた。子を作ることは注意されていたようですが、莉洸
と洸莱の母は、貴族の姫だから子を作ったのですか?」
「・・・・・兄弟は多い方が良いだろう」
「今となっては、莉洸も洸莱も私にとっては大切な兄弟です。でも、まだ幼い頃は、女に会いに王宮を抜け出すあなたの姿を寂
しく見送っていた。・・・・・そんな私や、まだ言葉さえ話せない洸竣の世話をしてくれたのは和季です。父上、私は幼い頃の私の
寂しさを受け止めてくれた和季の味方です。彼が父上から離れたいというのなら、全力で協力しますよ」
「わ、私も!」
それまで、初めて聞く話にただ驚いていた様子だった悠羽も、真っ直ぐに洸英を見つめながら言う洸聖の腕を掴んで叫んだ。
今の自分の一番の味方はここにいる。
これ程に得がたい存在を手にした自分は、父のような影が付くことはないだろう・・・・・洸聖はそう確信していた。
生真面目な長男の言葉に、洸英は何も言い返すことが出来なかった。
全てが、というわけではなかったが、洸聖の言葉は一々胸に響いたのだ。
(お前には分からないだろう・・・・・)
愛し合って結婚したわけではなかったが、それでも大人しく穏やかな正妃を大切にしていた。身体が弱い彼女を気遣い、慈し
んできたつもりだった。
身体の弱い正妃が、皇太子である洸聖を生んで亡くなってしまい、幼い我が子を抱えてどうすればいいのかと途方にくれてしまっ
た時、まるで星が舞い落ちるように現れたのが影・・・・・和季だった。
その頃、和季はまだ17歳だった。
どこから来たのかも、どんな身分なのかも言わず、ただ、和季という名前と、影であるということだけを伝えてきた。
影のことは、洸英も父王から聞いていた。代々の王になる者だけに伝えられてきた存在。
影という名前からはとても想像出来ないほどに、和季は美しく、神秘的な存在だった。まだ声も変わっておらず、涼やかな声で洸
英の名前を呼んできた。
若い洸英が心を奪われるのに時間は掛からなかった。
これまでの王の中で、影と心だけでなく身体を交わした者がいるとは記述されておらず、過去は手を出した影に切り捨てられた王
がいるとあった(その王は数年後、反乱軍によって斃された)。
まだ若い洸英は、そんな過去を恐れなかった。
真正面から和季を欲しいと言い、抱きたいと訴えた。
そんな洸英を、和季も受け入れてくれたのだが・・・・・。
和季は、両性具有という身体の持ち主だった。
その不思議な身体は女になり、男になって、洸英をたちまち魅了し、洸英はぜひ正妃に迎えたいと言った。
両性具有とはいえ、和季のことは国内の誰も知らず、女として正妃に迎えることが出来ると思った洸英に、和季の答えは固い否
だった。
国を共に支えること。
抱き合うこと。
それは今まで通りに受け入れるが、正式な妃として表舞台に立つことだけは頑強に拒絶をした。
和季を抱いている時、確かに愛されていると思っていた。
これ程に得がたい存在はいないと、初めて洸英は愛するということを知った。
しかし、どんなに言葉を尽くしても和季は結婚を承諾はしてくれず、何時しかその苛立ちを和季にぶつけてしまうかもしれないと
思った洸英は、それを欲情という形に変化させて、様々な女を抱くようになった。
一夜だけの遊びの女も。
莉洸や洸莱のように子まで生した女も。
和季はどんな相手が洸英の隣にいようとも感情を荒立たせること無く側にいて、時折思い出したように乱暴に抱いても拒絶せず
に受け入れた。
和季が冷静でいればいるほど、洸英の苛立ちは治まらず、反比例するように女遊びは激しくなる。
何時しか洸英は、女を抱きたいから抱いているのか、それとも和季の感情を荒立たせたいから女を抱くのか、自分でもよく分から
なくなっていた。
「和季」
「はい、王」
名前を呼べば、和季は何時もと変わらずに返事を返してくる。
まるで、つい先程影の任を解いてくれと言った言葉が嘘のようだ。
「お前は、何時の間にか好かれているな。洸聖だけでなく、悠羽だけでなく、多分・・・・・他の子供達もお前を慕っているだろう。
もしかしたら父である私よりも」
「そんなことはありません。王子達は皆、王を尊敬し、愛していらっしゃいます」
「お前はどうだ」
「私?」
「お前は私を愛しておらぬのか?」
和季に真っ直ぐな言葉でこんなことを聞くのはどの位ぶりだろう。
少しだけ声が震えているのを、和季は気付いているだろうか。
「先程も申しました。私はあなたを愛おしいと思っていると」
「それならば、なぜ私の前から消えようとする?」
「消えるのではありません、王よ。以前に・・・・・私がこの国にくる以前に戻るだけです。いずれあなたの記憶の中からも、私の痕
跡は跡形も無く消えるでしょう」
「・・・・・馬鹿がっ」
「王?」
「私がお前を忘れるはずが無いだろうっ。お前が姿を消しても、何日も、何年も経ったとしても、私の中からお前の存在が消える
ことは無い!」
洸英は自分の腕の中にいる和季を射る様に見下ろす。
洸英の愛する綺麗な青い目は、心なしか少し揺れているように感じた。
「本当のことを言え、和季」
「・・・・・伝えたいことは申しました」
「相変わらず素直ではない口だ。それではここで、お前の可愛い洸聖のいる前でお前を組み敷き、その身体を私のもので貫こ
うか」
「・・・・・っ」
「父上!」
今まで黙って様子を見ていた洸聖も、さすがに今の言葉を聞き逃すことは出来なくて声を出したが、そんな洸聖を睨めつけなが
ら、洸英は傲慢に言い放つ。
「子供は黙ってそこで見ていろ。これは夫婦の問題だ」
洸英はこのまま和季を逃すつもりは無かった。
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