光の国の恋物語





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 まだ成人していない洸莱は、国政のことはよくは知らない。
それでも、父や兄達の話を漏れ聞けば、近年重罪を犯す者はおらず、この離宮の地下牢もかなり長い間閉ざされたままだという
ことだった。
 「洸莱様」
 「許可は頂いている」
 突然地下牢の入口に現れた洸莱を驚いたように見つめた門番に、裁判長から貰った許可状を見せると恭しく頑丈な鍵を開い
ていく。ここから見ても、中は薄暗かった。
 「そこにある灯火器をお使い下さい。油を使っているのでお気をつけて」
 「ありがとう」
一日中絶やすことの無い篝火から火を貰い、移動用に手に持つ灯火器に火をつけると、ぼんやりとした明るさが広がった。
 「サラン、滑るから気をつけて」
 「はい」
染み出した地下水が岩肌に染み出して滑りやすくなっていると見て気付いた洸莱は、器を持っているのとは反対の手でサランの
手をしっかりと握り締める。
(さすがに・・・・・冷えるな)
 自然の地下洞窟を利用したせいか、下から感じる風は身を竦めてしまうほどに冷たい。和季は何を思ってここにいるのか、洸莱
はサランの為にだけでなくても知りたいと思っていた。



 「サランが、ですか?」
 「ああ。今頃は洸莱と共に和季に会っているはずだ」
 悠羽は洸聖の言葉に僅かながら眉を顰めた。
自分が全てのことに関わることは出来ないと分かってはいるものの、誰よりもサランの側にいると思っていただけに、サランが頼った
のが洸莱だということに寂しさを感じてしまう。
(私の方が・・・・・先に手を離したのに・・・・・駄目だな、こんな我が儘を言っては)
 元々、本当に結婚するつもりで来たわけではない光華国。しかし、悠羽は洸聖と出会い、彼の不完全さも全て愛しいと思い、
身も心も捧げる決意をした。
自分には特別な相手がいるというのに、その上サランの手も離したくないというのは・・・・・子供の我が儘だろう。
 「悠羽」
 そんな悠羽の気持ちを知っているのか、洸聖が柔らかな髪をクシャッと撫でてくれた。
 「・・・・・痛っ」
 「ああ、すまぬ」
細くて癖のある髪はよく絡まってしまうが、今も洸聖の指がそれを引っ掛けてしまった。少し痛かったが、可笑しくもなって、悠羽は
先程までの顰めた眉を解く。
 「洸莱様、本当にサランを大切にしてくださってますね」
 「あれは情の深い人間だ」
 「・・・・・洸聖様は、反対なさらないのですか?」
 「たとえ私が反対したとしても、洸莱はそれくらいで諦めるような男ではない」
 「でも・・・・・跡継ぎのこと、とか・・・・・」
 「悠羽」
 「・・・・・」
(どうしよう・・・・・顔が上げられない・・・・・)
 自分の心の中では既に決着がついていることだ。今は、洸聖は自分だけだといってくれるが、いずれ国を継ぐ跡継ぎが望まれた
時、洸聖が他の姫を手に抱くことも覚悟している。
(私だって、小国とはいえ一国の王族。血統の大切さは分かっている)
一々こんな反応をするから洸聖が困るのだと頭の中では理解をしていても、やはり気持ちがざわめいてしまうのはしこりが残ってい
るのだろう。
 「確かに、本来ならば私の子や・・・・・父上の血を受け継ぐ兄弟達誰かの子がいることは望ましいと思う。だが、私はお前を手
放すつもりはないし、子を生す為だけに妾妃を迎え入れるつもりもない」
 「・・・・・洸聖様」
 「自分の我が儘だけを通して、弟達の気持ちは無視するなどとは出来ないからな」
 「・・・・・」
 「悠羽、サランが洸莱を受け入れてくれるかは分からないが、子を望むことが出来るのはあの者達だけだ。今は静かに見守るこ
とにしよう」
 「・・・・・はい」
 「それに、今は洸莱達よりも父上の方が問題だしな」
 それまでの希望に満ちた物言いとは違い、溜め息混じりになった洸聖に、悠羽もそういえばと訊ねた。
 「王はお戻りになられてないのですか?」
 「ああ」
 「もう、和季殿の判決が出るというのに・・・・・」
 「今まで自由気ままにやってきたあの人だ。初めて拒絶されたのが最愛の者だったというのがよほどこたえたようだな」
今現在、洸英がどこにいるのかは洸聖は把握しているらしい。思った通り高級酒場の女のもとだったが、珍しくまだその腕に抱い
てはいないらしかった。
相手の女が酒場の店主に愚痴を零していたというから、多分それは間違いが無いだろう。
 「さすがに、こういう時に女に手を出す気持ちにはならなかったとみえる」
 それでも王宮を不在にしていることは確かで、洸聖と洸竣の負担はかなり増してしまっていた。
 「幾ら譲位を決意されたとはいえ、まだ王であるお立場なのだが」
 「・・・・・怖いのでしょうか」
 「怖い?」
 「和季殿に必要とされないことが怖いのではないでしょうか」
光華国の王に、その命までも捧げるという影。
だが、譲位を口にした洸英は、近いうちにその王座から降りてしまう。そうなれば影として和季が洸英に付く意味が無くなってしまう
のだ。
(王は、和季殿と完全に絆が切れてしまうのを見届けるのが怖いのかも・・・・・)
 「自分で巻いた種だ。今更後悔しても遅い」
 生真面目な洸聖はそう言うが、悠羽は洸英の気持ちも分かるような気がする。
(忘れられるよりも、憎まれた方がまだいいのかもしれない)



 かなり長い石の階段を下りると、広い空間があった。
 「・・・・・誰も、いないのですね」
 「逃亡の恐れが無いということで、兄上が見張りを置かなくてもよいと言ったらしい」
 「そうですか・・・・・」
こんな狭い空間で、誰かにじっと見張られているのは息苦しいだろう。
しかし、誰もいなければそれで、気の遠くなるような孤独を感じないだろうか。
(人と交わることを避けている私でも、悠羽様がいらっしゃらなければとても寂しいけれど・・・・・)
 「一番奥の牢だと言っていた。そこならばまだ多少は冷えも避けることが出来るし、広いと」
 「・・・・・」
 広い空間から、更に奥へと延びる道。その片側が牢になっているらしく、冷たい青銅で作られた格子が入口にはめられている。
中は辛うじて大人が1人横たわることが出来る空間があるだけで、そこには地下なのでもちろん窓も無く、横たわる寝台も無い。
ここに入る者は・・・・・。
 「生きて出る者はいなかったんだろうな」
 まるでサランの心の内を代弁するかのように言う洸莱。サランも、同じことを考えていた。
 「・・・・・寂しい場所ですね」
 「寂しいな」
サランの手を引く洸莱の手の力が一段と強くなる。そして・・・・・。
 「あ・・・・・」
薄暗い石牢の中に、白く浮き上がっているもの。それが和季の姿だと分かったサランは、洸莱の手を振りほどいて急いで駆け寄っ
た。
 「和季殿っ」
 「・・・・・サラン」
まるでサランが現れるのを知っていたかのように、和季は少しも驚いた様子も無く、むしろ頬に僅かな笑みを浮かべて静かに口を
開いた。
 「許可は・・・・・洸莱様が?」
 「はい」
 「そう・・・・・大事にされているな、サラン」
 「・・・・・っ」
 サランは格子の前に跪き、和季の顔をじっと見つめた。
 「教えて下さい、和季殿。なぜ・・・・・あなたはそんなにも強く生きられるのですか?」
 「・・・・・」
 「同じような忌まわしい身体を持ちながら、どうしてあなたは真っ直ぐに前を見つめることが出来るのです?」
 「・・・・・」
 同じ性を持つ者として、どうしても聞いてみたかったこと。自分の身体を忌むのならまだしも、なぜそんな風に真っ直ぐに人を見る
ことが出来るのだろうか。
すると、和季はこともなげにその答えを言った。
 「それは、この身体を愛されたからだよ、サラン」