光の国の恋物語
114
洸莱が黎の腕を掴んで執務室にやってきた時、そこには当然洸聖もいて、2人はいきなり現れた一行に怪訝そうな視線を向け
てきた。
「どうした、悠羽」
本来ならば、先頭で部屋の中に入ってきた弟の洸莱に訊ねるのが普通だと思うが、洸聖は当たり前のように悠羽へと声を掛け
た。洸聖の、悠羽への信頼の比重が分かるようで、洸莱は真面目な人ほど入れ込んだら激しいんだなと感心したように思った。
「洸竣兄上に話が」
「私に?」
それまで、自分には関係ないだろうと構えていたらしい洸竣は、洸莱に名指しされて不思議そうに首を傾げた。
確かに、今ここにいる人間を見ても、なかなか話の要点は掴めないだろう。自分に黎に、悠羽にサラン。
いったい何のことだと、それでも立ち上がってこちらに足を向けてくれた洸竣に、洸莱は自分の隣に立つ黎の身体を面前に押し出
すようにして言った。
「兄上、黎の身体を手に入れた後、いったいどうされるおつもりですか?」
「は?」
いきなり核心を告げると、洸竣は一瞬面食らったような顔をして洸莱を見た。
続いて、その前に頑なに俯いたままの黎を見て、ようやく今洸莱が言った言葉の意味が頭の中に入ってきたらしく、珍しく困ったよ
うな笑みを頬に浮かべてしまう。
(・・・・・そんな顔をしたら駄目だ)
洸竣が迷っている素振りを見せたら、黎はますます萎縮して自分の正直な気持ちを言わなくなってしまう。それだけは避けなけ
ればと、洸莱は更に言い募った。
「黎は不安に思っています。これまでの兄上の所業を考えれば無理の無いことですが」
「・・・・・」
「今までの遊ばれてきた女性達のように、一時の熱が冷めてしまったらそれきりになるのではないかと恐れています」
「洸莱」
さすがに洸聖が止めようとしたが、洸莱は普段の無口さが嘘のように舌鋒鋭く洸竣を追い詰めていく。
「兄上が本当に黎を欲しているのならば、もっと言葉を重ねてもよろしいのではないかと思います。黎は兄上とは違い、色恋事
に慣れているわけではないのですから」
「・・・・・」
「手を差し伸べておいて、そのまま逃げ出すのは卑怯ですよ、兄上」
自分の言葉が洸竣にどんなふうに届いているのかは分からない。ただの子供の、意味の無い正義感だと聞こえるかもしれない。
それでも洸莱はこの言葉が無駄にならないようにと願ったし、また、そうでなくてはそれこそ意味の無い言葉になってしまうと思った。
洸莱の言葉は一々胸に痛かった。
普段あれ程口の重い洸莱が、こんなにも言い募るのは黎の為もあるだろうが、それと同様に自分の為を思ってくれているのだとい
うのも十分分かる。
(弟にこんな心配をされるとは・・・・・情けない)
それでも・・・・・くすぐったいほど嬉しい。
「・・・・・黎」
「・・・・・っ」
他の人間がいる前でこんなことを言うのはさすがに躊躇ってしまうものの、心配を掛けたであろう洸莱や、悠羽やサラン、そして
洸聖にも知っておいて貰った方がいいかと洸竣は思った。
「私は、お前を愛しいと思っている」
「!」
「その気持ちは、以前お前に伝えた時と少しも変わってはいない」
「こ、洸竣様」
黎が泣きそうな眼差しを向けてくる。
洸竣が考えていた以上に、黎は不安に思っていたのだろう。思わず手を伸ばした洸竣は、震えている黎の小さな身体を引き寄
せて・・・・・抱きしめた。
「黎、お前は知らないかも知れないが、私が心の底から愛しいと思ったのは・・・・・お前が初めてなんだよ」
「え・・・・・」
「お前も・・・・・いや、この国の者が皆知っているように、私は愚かなほどの遊び人だった。数々の女性と快楽を分かち合い、そ
の時は身体が欲しいと思ったが、心まで欲しいと思える者は1人としていなかった」
「・・・・・」
「今では、自分がどんなに誠意の無い男だったか・・・・・。こうして、本当に欲しいものが出来た時、簡単に動くことが出来なくな
るほどに臆病になってしまったのは、全て自分のせいだと分かっている」
「洸竣様、僕・・・・・」
「お前が、恩の為に私に身体を与えようとした時、私は王子という自分を情けなく思った。もしも、私がただの男だったら、黎は私
など振り向いてはくれないのではないかと・・・・・」
黎を王宮に召し上げられたのは、王族としての自分の力を使ったせいだ。
王子でなかったら、どんなに黎が苦しんでいたとしても、洸竣は助けることも出来なかった。黎が自分に感謝をし、仕えてくれるの
も、全てがこの身分のせいで、これで身体までこのまま奪ってしまったら・・・・・。
「男として、一生愛が勝ち得ないかと思うと、なかなか手を出すことが出来なくて・・・・・すまなかった、黎。そのことが返ってお前
を混乱させてしまったんだな」
誰よりも愛おしいと思った相手を悲しませたことを、洸竣は痛烈に反省しなければならなかった。
洸竣に抱きしめられた瞬間、黎は自分でも自覚しないまま身体を強張らせてしまった。
それは、洸竣に対する恐怖というよりも、自分などにまだ触れてもらえるのかという戸惑いの方が大きかったのだが、今耳に聞こえ
てきた洸竣の告白には更に戸惑いが大きくなる。
(洸竣様も・・・・・怖かった?)
恋愛など今までしたことも無かった自分と同様、洸竣も黎に触れるのが怖かったとは思いもよらなかった。
そうでなくても、経験豊富で、どんな恋愛も軽く受け入れているように見えた洸竣が、こんな子供の自分のことを恐れているなどと
誰が思い付くだろうか。
「洸竣様・・・・・」
おずおずと、黎は洸竣の背中に手を回す。
広い背中に、一瞬触れていいのかどうかと迷ったが、それでも思い切って抱きしめた。
「お前を愛してるよ」
「・・・・・」
「お前が欲しいんだ」
「・・・・・」
「お前が私に恩を感じているというのならば、それでももう、構わない。ただ、その感情を別のものに育てるように、どうか・・・・・どう
か、黎・・・・・」
「・・・・・っ」
痛烈に、黎は洸竣が愛しいと思った。
自分にだけ弱い姿を無防備に晒してくれる洸竣が、王子ではなく、自分に思いを寄せてくれるただの男に思えて・・・・・深く愛され
ているとようやく思い知って、黎は今この瞬間に自分の気持ちを確信してしまった。
「ぼ、僕も、好きです」
「黎?」
「確かに、あの屋敷から僕を連れ出してくれたことに感謝をしています。でも、それだけで、恋など出来ない。感謝だけでは、この
身を投げ出そうとは思わない。洸竣様、僕はまだ、間に合いますか?あなたの愛情を受け入れても・・・・・よろしいのですか?」
身分違いは分かっている。もしかしたらこの恋は、途中で引き裂かれてしまう可能性もある。
しかし、ようやく気付いたこの自分の想いを押し殺すほどに黎は大人ではなく、今こそ子供のように正直になりたいと思った。
抱き合う弟と、恋人になりたての少年を見つめていた洸聖は、はあ~っと深い溜め息をついた。
「いい加減にしろ、洸竣」
「兄上」
洸聖が声を掛けると、我に返ったのか黎が慌てて身を引こうとする。しかし、洸竣はそれを許さずに黎を抱きしめたまま、眉を顰め
ている兄を振り返った。
「兄上は、私と黎のことに反対なのですか?」
「仕事中だ」
「は?」
「そのような恋人同士の戯れは、仕事が終わってからすればいい。ほら、お前達も下がりなさい」
洸聖としては極当たり前のことを言ったつもりだったが、なぜか洸竣はプッとふき出し、悠羽も頬を緩めて笑い出した。
「・・・・・何がおかしい」
「兄上は真面目だなと思って。ねえ、悠羽殿」
「それが洸聖様の素晴らしいところではありませんか。ねえ、洸聖様」
「・・・・・」
少し含みがあるようにも感じたが、悠羽の言葉は素直に嬉しい。
洸聖は知らずに頬を緩めかけたが、一同の視線が自分の方に向けられていることに気付くと、コホンと咳払いをして真面目な顔
を作った。
「私をからかうのではないっ」
賑やかな笑い声が、更に部屋の中に広がる。
洸聖は唇を引き締めたが、何時しか自分も笑みの形に崩れてしまっていた。
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