光の国の恋物語
115
「お、王っ?何をなさるおつもりですかっ?」
「これは私のものだ、連れ帰る」
「し、しかし、この者は反逆罪で、間もなく判決を待つ身でっ」
「王である私が、反逆など無かったと証言しよう。元々ただの痴話喧嘩だ、後の処理は全て私がする」
門番にそう言い放った洸英に半ば担がれるようにして男の私室に運ばれてしまった和季は、連れ去ったという荒っぽさに似合わ
ない優しい仕草で寝台に下ろされた。
「和季」
「・・・・・」
洸英は和季の前に跪き、その足を手に取る。履物も無かった為、白い足は岩で傷付き、土で汚れていた。
「・・・・・」
それを見て眉を顰めた洸英は、手を伸ばして椅子に掛けていた夜着の上に羽織る上着を取ると、無造作に足の汚れを拭ってい
く。王の肌に触れる物なのでもちろん生地も上等な物だが、それで足を拭くことなど何とも思ってはいないようだった。
(この方は変わらないな・・・・・)
手に入らなければ、切り捨てようとしたくせに、切り捨てられようとすれば、手を伸ばしてくる。
我が儘な暴君の、それでも正直なその行動には、和季も苦笑を漏らすしか出来なかった。
「・・・・・どうされるのですか?」
「どうもしない。私のものであるお前に罰を与えることが出来るのは私だけだ」
「・・・・・逃げられていたのに?」
「・・・・・」
「私のような不完全な人間ではなく、あなたなら望めば美しい女性を誰でも、何人でも手に入れることが出来るのではないです
か?」
歪な考えしか出来ない自分ではなく、素直に洸英のことを愛していると言える相手を側に置いた方がよほどいいと思うのだが、
そう言った和季の足を更に強く掴んだ洸英は、そのまま細い足に舌を這わせた。
「・・・・・王」
「名を呼べ」
「・・・・・」
「私の名を呼べ、和季。私が王である限り、お前は私から離れないのであろう?」
「では、王でなくなったら?」
「何?」
「あなたは、洸聖様に譲位をするとおっしゃったではありませんか。そうなればあなたは当然王ではなくなる。影は王の為の存在
です。王でなくなったあなたに私が付いている必要は無い」
「・・・・・っ」
チクッとした痛みを足に感じた。
視線を下に向けると、洸英が足に歯を立てている。
「・・・・・子供ですか、あなたは・・・・・」
和季の言ったことが真実なので、言い返すことが出来ないのだろう。それでも、何とか自分の意思を伝えたい・・・・・それが、こん
な言葉の言えない子供が取るような手段だとは、和季は彼の性格を思って思わず笑む。
(本当に・・・・・可愛い方・・・・・)
政に関してはあれ程冷徹に、あるいは大胆に、自分の持つ力を最大限効果的に利用して、元々大国だった光華国を更に繁
栄させた賢王と褒め称えられる存在なのに、思えば和季にだけは何時も我が儘で甘えた、子供のような態度を見せていた。
それが自分に心を許してくれているのだと思えて嬉しいと思っていたが・・・・・今も、洸英は昔のまま、自分にだけは王ではない、た
だの洸英としての顔を見せてくれる。
(囚われているのは、私の方だ・・・・・)
強引な手段を取らなければ、洸英から離れることなどとても叶わない。いや、もう既に遅いことは分かっていた。
(もう、逃げられない・・・・・)
和季は・・・・・ここにいる自分はもう、既に洸英のものだった。
「・・・・・っ」
洸英は軽々しく譲位をすると言ってしまった自分の浅はかさに舌打ちを打った。
あの時は、王でなくなれば和季を堂々と愛する対象として手に入れることが出来ると思ったのだが、今和季言われて改めて気が
付いた。
確かに、影というのは王に付く存在で、その王が王でなくなった時、影も同時に姿を消していたと聞く。
今までは、王は戦で戦死したり、老衰で亡くなったりと、その命を引き換えにしての譲位がほとんどで・・・・・。
「私は・・・・・今までの王達とは違う」
「・・・・・」
「この若さで王位を息子に譲るのだ。まだ先の長い人生を、愛する者と過ごしたいと思ってもおかしくはないであろう」
「それは、何も私ではなくても良いでしょう?あなたはつい最近まで、街の若い女性と愛を交わしておられた」
「・・・・・」
それには、言い返す言葉も無い。
なかなか心を許してくれない和季に焦れて、妬きもちをやいてもらおうと若い女に手を出した・・・・・いや、それは言い訳かもしれ
ない。
ただ欲求を解消する為に、若い女の身体で快感を貪ったということも否定出来なかった。
(和季が素直に私のものになってくれていたら・・・・・)
「・・・・・」
「・・・・・」
「・・・・・」
和季の足を抱きしめたまま、洸英は後どんな言葉を言えばいいのか分からない。もう、どんな言葉にも和季は心を動かさないよ
うな気がして、いっそこのまま強引に身体だけでも奪ってしまおうかとさえ思った。
「・・・・・王」
その時、和季が静かに自分を呼んだ。
いったい、何を言われるのかと緊張した面持ちで洸英が顔を上げると、和季は真っ直ぐな視線を向けたまま言葉を続けた。
「一つ、お聞きしたいことがあります」
「・・・・・なんだ」
「以前、あなたが初めて私を欲しいと言ってくださった時、私はこんな不完全な身体を差し出すことが出来ないと申し上げたこと
を覚えておいでですか?」
「・・・・・私は、それでも構わぬと言った」
「確かに。お前は子を生む必要など無いとおっしゃられました。その意味を、今・・・・・聞いてもよろしいですか?」
和季がなぜそんな昔のことを言い出したのかは分からない。
それでも、洸英にとってそれは隠すようなことではなく、洸英は先程までの気弱な雰囲気を一変させて堂々と言い放った。
「私にはもう王子が2人もいて、世継ぎを作らねばならないという責務は果たしていた。両性を持つお前がもしも懐妊して子を生
んだとしたら、情の厚いお前の心のほとんどは子供に向くことは分かりきっていた。お前は、私のものだ。たとえ私の子だとしても、お
前の愛情を分け与えたりなどしたくなかった」
当時、自分の子でもない洸聖や洸竣を、言葉少なに、それでも愛情豊かに見守り、育てていた和季だ。自分の子が生まれた
としたら、それこそ溢れるほどの愛情を注いだことだろう。
それだけは、嫌だった。
和季は、自分だけに与えられた大切な存在で、和季にも自分だけを見つめていて欲しかった。
「お前と私の間に子などいらぬ。お前の愛情は全て私に向けられなければならないし、お前の目は私だけを見ていればいい」
それがどうしたと、洸英は不遜に笑った。
和季は、小さな溜め息をついた。
小さいながら、それは長年の思いしこりが解けた意味のあるものだ。
「・・・・・ようやく、分かりました」
「和季?」
「あなたが、まだ幼い子供だということが」
「何っ?」
馬鹿にされたと思ったのか、顔を上げた洸英は身を起こして片手を寝台に着くと、そのまま上から覗き込むように和季を睨みつけ
る。
鋭く強いそれも、和季にとっては愛しい男の目だった。
「愛情を持って、育てねばなりません」
「和季?」
「譲位されたら、それこそあなたは綱のない馬と同じ。御する者がいなければ迷惑になりますものね」
笑いを含んだ和季の口調に、訝しそうに顰められた洸英の眼差しが次第に見開かれていく。
「・・・・・お前が御するというのか」
「私以外に出来る方がいらっしゃいますか?」
「・・・・・おらぬ」
「では、あなたが望まれる限り、お側にいることを誓いましょう・・・・・洸英様」
「!」
途端に、和季の唇が、少し厚い洸英のそれで塞がれた。
何度も交わしたはずの口付けなのに、今の和季にとって、いや、洸英にとっても神聖で深い官能を伝えるものに感じてしまう。
(想いを認めれば、口付けも甘くなるものなのか・・・・・)
自分の心境の変化は身体の感覚さえも変えるものなのかと不思議に思いながら、和季は更に深く自分を貪ってくる愛しい男の
身体を抱き寄せ、自分も相手の存在を確かめるように目を閉じた。
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