光の国の恋物語
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「兄様!」
稀羅に馬を出してもらい、国境警備の詰め所に駆けつけた莉洸は、仮眠を取る為の部屋へと飛び込んだ。
「・・・・・」
「兄様!」
簡易な寝台に横たわっている洸竣は、青白い顔色で眉間に皺を寄せ、荒い呼吸をついている。
「莉洸様っ」
洸竣の傍にいた数人の兵士は、莉洸にも顔馴染みの者達だった。
衣は土埃で汚れ、身体から血を流して傷付いた者もいるようだが、誰もが自分の身体のことよりも洸竣に傷を負わせ、こうして命
の危機に晒してしまったことを深く後悔し、責めているようだった。
「申し訳ございません!」
「我らがついていながら、このような大事!」
「死してお詫びしようにも、王子の容態が気になって・・・・・自害することも出来ませぬっ」
「皆・・・・・」
光華国の兵士達の言葉に、莉洸は泣きそうになりながら首を横に振った。
「死ぬことは・・・・・許しません。兄も、皆の命を犠牲にすることは望まないはずです」
「王子・・・・・」
「兄様は、きっと大丈夫です」
そう、自分に言い聞かせなければ、自分自身が不安で押し潰されそうになってしまう。必死にその場に立つ莉洸の耳に、国境の
衛兵が稀羅に報告する声が聞こえてきた。
「どうやら、毒矢を使われたご様子でございます。矢じりの突き刺さった肌が変色し始めておりました」
「毒矢か」
「今、薬材所(薬を精製、備蓄している施設)に薬を取りに行かせております」
「分かった」
「・・・・・兄様・・・・・」
(毒矢なんて・・・・・)
「兄様、洸竣兄様、目を、目を開いてください・・・・・っ」
耳元で莉洸が何度名を呼んでも目を開けてはくれず、莉洸はこのまま洸竣が死んでしまうのではないかと自分の方が気を失
いそうになってしまった。
「莉洸っ」
ふらっと身体を揺らした莉洸をしっかりと抱きしめてくれた稀羅は、大丈夫だと力強く言ってくれる。
「我が国の薬草は、近隣諸国の中でも随一の効き目が良いものだ。解毒の良い薬も、今至急に取り寄せに走らせている。莉
洸、お前の兄を我が国で死なすことはせぬ」
「稀羅様・・・・・」
稀羅の言葉は嬉しい。
それでも、莉洸は一度も目を開いて自分を見てくれない兄に、消えない不安がますます大きくなるばかりだった。
「王っ、蓁羅より火急の使いが参っております!」
その日、光華国王、洸英と、皇太子洸聖、そして悠羽の3人は間近に迫った婚儀の打ち合わせをしていた。
派手なことは嫌う悠羽を、洸聖が理論で説得し、そんな2人を洸英が笑いながら見つめているといった平和な午後、いきなりの
衛兵の知らせに、3人は同時に立ち上がった。
「使いはっ?」
「今使者の控え室に・・・・・王子っ!」
大国であるがゆえに、光華国には頻繁に他国からの使者や使節団、国賓や公賓も多い。その為、王や王子達が他の来客
に会っている間の待合所のような部屋は幾つも用意されていた。
その中の一つの部屋に洸聖は飛び込み、その勢いに驚いた使者が慌てて礼を取るのももどかしく訊ねた。
「莉洸に何があったっ?」
蓁羅からの使いなど、莉洸のことしか考えられない。
大切な弟に何か緊急の事態が襲ったのかと洸聖が使者を問い詰める間に、洸英と悠羽も部屋に到着した。
「い、いいえっ、莉洸様においてはお健やかにお過ごしでございますっ」
「・・・・・健やか?」
「はい、我が王は、莉洸様に掠り傷さえ付けてしまうことを厭われておいでで、それは大切に扱われております」
「・・・・・」
その言葉に、洸聖も、そして洸英も悠羽も安堵の息を付いた。
あれ程莉洸を欲して攫って行った稀羅が、莉洸に無体な真似をするとは思えなかったし、傷を付けることもあるはずがないと改め
て思い知る。
(そうだとすれば・・・・・)
「では、いったい火急の用件とは?」
洸聖ではなく洸英が問うと、使者は恐れながらと書状を差し出しながら言った。
「先日、我が国の国境近くで、貴国の第二王子、洸竣様が盗賊に襲撃されましたっ」
「!」
「洸竣様がっ?」
「傷は腹に受けた矢と、落馬された折の背中と足、手にも傷がございます。その矢は毒が仕込まれているもので、ただいま我が
国の解毒を施している最中で・・・・・詳しいことは、我が王稀羅様からの書面に書かれてありますっ」
差し出された書状に目を通した洸英が、それを洸聖に渡す。
簡潔に事実だけが書かれた書面に、洸聖は思わず唸ってしまった。
「黎!黎!」
洸竣が不在の今、黎はサランを手伝って悠羽の世話をしていた。
サランは洸莱と一緒にいる時間を取るようになったので(それは悠羽が強く勧めたらしい)、夕食後は黎が悠羽の世話をすること
が多かった。
今は、悠羽が最近気に入っている菓子を黎が自分でも作りたいと料理長に教わっている最中で、それは悠羽には秘密にして
いるつもりだった。
しかし、
「黎っ、悠羽様が捜しておられるわよっ?」
「僕を?」
「何だか急いでいるご様子だったけれど」
ちょうど、厨房にやってきた召使にそう言われ、黎は慌てて悠羽を捜した。
「あっ」
「黎!」
悠羽も黎を捜し続けていたようで、厨房を出てそれ程時間を掛けることも無く悠羽と出会うことが出来た。
何時も楽しそうで、にこやかな口調で話す悠羽が、青褪めて泣きそうな表情になっている。婚儀が近い今、幸せの真っ只中にい
るはずの悠羽のその表情に、黎は自分まで姿の見えない不安に襲われてしまった。
「悠羽様、いったい・・・・・」
「洸竣様が怪我をされたんだ!」
「・・・・・え?」
「蓁羅の国境近くで盗賊に襲われたらしいっ。その時に受けた矢に毒が仕込まれていたようで、今、蓁羅の王宮で治療を受け
ていらっしゃるそうだっ」
悠羽が何を言っているのか、黎はしばらく理解が出来なかった。
「今、洸聖様が医師団を蓁羅に差し向ける準備をされていて・・・・・」
「・・・・・」
(洸竣様が・・・・・?)
「・・・・・も、一緒に・・・・・」
「・・・・・」
(毒・・・・・を?)
「黎!」
「・・・・・っ」
いきなり、黎は両腕を掴まれて強く身体を揺さぶられた。
目の前にいる悠羽は初めて見るような怖い顔をして、真っ直ぐに黎の顔を見つめてきている。
「ゆ・・・・・」
「しっかりしろっ、黎!私は医師団と共に蓁羅へ行こうと思っている。お前はっ?」
「ぼ・・・・・く・・・・・」
「ここで待つか、私と共に行くか、今決めて欲しい!」
「・・・・・」
黎は、どうしたらいいのか全く分からなかった。
黎の知る洸竣は何時も余裕があり、大きな心で黎を包んでくれていた。自分を抱きしめてくれたあの力強い腕が、力なく寝台に
横たわっている姿を正視出来るだろうか。
しかし、ここで待っていても、何も分からない不安だけが大きくなり、それこそ自分がどうなってしまうのか分からない。
「・・・・・つ、連れて、行って・・・・・くだ、さい」
「分かった!」
黎のその言葉を待っていたかのように悠羽はその手を掴んで、直ぐに旅支度をする為に部屋へと急いだ。
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