光の国の恋物語
125
稀羅は二度ほど扉を叩いてから開くと、そのまま奥の寝台へと足を向けた。
「莉洸」
「・・・・・稀羅様。本日も政務、お疲れ様でした」
稀羅の顔を見て莉洸がそう言うと、稀羅はそのまま視線を莉洸から寝台に横たわる人物へと向けた。
「容態は?」
「朝よりも呼吸が楽になられたような気はするんですが・・・・・一度も目を開いてくださらないので・・・・・」
光華国の王子を何時までも国境の詰め所には置いて置けないと、煎じた薬草を飲ませてから多少は容態が落ち着いた洸竣
を、稀羅は離宮の客間へと運ばせた。とても光華国のような豪奢な建物ではないが、それでもきちんとした寝床だ。
莉洸はずっと洸竣の傍についていて、定期的に薬を飲ませ、傷付いた身体に貼り付けている薬葉も交換していて、少しも休ん
だ様子が無いのが気になった。
さすがに、傷付いた兄弟を心配することに妬くことはないが、それでも元々身体が弱い莉洸の身が心配で、稀羅はその肩を抱
き寄せるようにして言った。
「先程、光華国より早馬が来た」
「えっ?」
「直ぐに医師団を寄越すようだ。医師よりも我が国の薬の方が毒には遥かに効くとは思うが・・・・・一国の王子が倒れたのだ、そ
の対応も仕方あるまい」
「お医者様がいらっしゃるのですね」
「医師団には悠羽も同行するようだ」
「悠羽様が!」
パッと、莉洸の顔が明るくなった。莉洸にとって、悠羽の存在は既に兄弟と同様のものになっているようだが、稀羅としても他の
兄弟達に来られるよりは、あの面白い存在の方が目の前にいても苦痛ではない。
(今回は、そんなのんびりとした話ではないがな)
「多分、明日の夕刻までには到着されるだろう。莉洸、お前も少し休め。第二王子の容態は、我が国の医師達が手抜かり無
く診ておる」
「・・・・・それは、分かっているんですけど・・・・・」
「お前が倒れてしまえば、第二王子も不本意だろう。命の危険は取りあえず無いということだ。明日、光華国の使いが来るまで
に、お前のその顔色を戻しておかなければ余計に心配されるぞ」
「・・・・・」
俯く莉洸に、稀羅はさらに言葉を継いだ。
「休むな?」
「・・・・・はい」
「では、医師を呼ぼう」
稀羅は莉洸の身体から手を離して部屋から出た。
蓁羅の薬草の力か、3日前に倒れた時から比べると、洸竣の容態は僅かずつだが回復に向かっていた。
元々頑強で、それなりに身体を鍛え、栄養も良かった若い男の身体は、簡単にはその命を縮めることは無かったようだ。これが、
もしも莉洸だったらと思うと・・・・・その方が稀羅には恐ろしく感じた。
莉洸が自分の前からいなくなってしまうことなど考えられず、ましてや、誰かの手によってなどと・・・・・そんなことになれば、稀羅は
再びただの狂王になってしまうだろう。
(討伐をしなければならんな)
たかが盗賊、領地外の問題。
しかし、そんなことは言っていられない。今後、万が一にも莉洸や自国民に危害を与えられないよう、稀羅は隣国と協力して盗
賊討伐の為に動かねばならないと思った。
翌日、夕刻 --------------------- 。
蓁羅の国境の門には、三十人はいるかというほどの旅団が到着した。
「悠羽様!」
「莉洸様っ」
国境の門前で、光華国からの使者達が何時来るのかと待ち続けていた莉洸は、先頭の馬に乗っていた悠羽の顔を見た瞬間
に思わず叫んでしまった。
悠羽は直ぐに馬から飛び降り、羽織っていた被り物を取って莉洸を抱きしめる。
「よく頑張りました!」
「・・・・・っ」
「莉洸様、あなたは大丈夫ですね?」
毒矢に倒れた洸竣のことが気になるだろうに、先ず自分のことを気遣ってくれた悠羽の心遣いに胸が一杯になり、莉洸は悠羽
に抱きついたまま頷くことしか出来なかった。
「悠羽」
「稀羅王」
そんな莉洸の後から、稀羅が声を掛ける。
悠羽は顔を上げるとそっと莉洸から手を離し、深く頭を下げて感謝の意を述べた。
「このたびは的確な処置をしていただき、光華国王族、そして国民共に深く感謝しております」
「感謝など必要ない。光華国の第二王子は私にとっても大切な兄弟。出来ることをするのは当たり前だ」
言い切った稀羅をじっと見つめていた悠羽の顔に、少しだけ笑みが浮かんだ。
「ありがとう・・・・・」
「さあ、早く離宮に参ろう。我が国の薬草の効果に、そちらの医師団もきっと驚くだろう」
「はい。急ごう、皆!」
悠羽は自分の後ろを振り返って言う。
今この場にいる光華国の人間の中では、皇太子妃となる悠羽の立場が一番上になる。いずれは王妃という立場になる悠羽の
堂々とした振る舞いに、莉洸は自分もただうろたえているばかりではいけないと思ってしまった。
「行くぞ、黎っ」
「は、はい」
離宮に付いた途端、悠羽は黎の腕を掴んで、案内してくれる稀羅と莉洸の後を歩く。
本来なら、ただの召使いという立場の自分が、医師達よりも前に歩くなどありえないはずだが・・・・・きっと、自分の気持ちを考え
てくれた悠羽の考えなのだろう。
(洸竣様・・・・・っ)
ただ、祈るしか出来なかった。
国境の門前で、莉洸から命の危険は去ったようだと聞かされても、自分の目で確かめるまでは不安は消えなかった。
そして、どうして自分はもっと早く、洸竣の想いを心から受け入れなかったのだろうかと、後悔ばかりが後から後から湧いてきて、
これは優柔不断な自分への罰ではないかとさえ思ってしまった。
(罰ならば、洸竣様にではなく僕に与えてくれればよかったのに・・・・・っ)
王宮は以前見知っていたが、離宮に足を踏み入れるのは初めてだった。
前回、莉洸を助けるための来国は、出来るだけ自分達の存在を知られないためにわざと遠回りをし、一番光華国から離れた国
境の門から入国したのだが、今回は2日掛からずに(離宮だが)着いた。
二つの国がこんなに近いのだと改めて思った悠羽は、質素な佇まいの内部を感慨深げに見る。
(それでも・・・・・雰囲気は以前とは違う気がする)
活気に満ちていたとはいえ、どこにいても張り詰めた雰囲気があった蓁羅。
しかし、王である稀羅が愛する存在を得て余裕が出来たのか、落ち着いたのか、国の雰囲気は以前よりも遥かに良好になって
いるようだ。
これで他国との国交がもっと盛んになれば、国が潤うことは間違いはないだろう。
「こちらだ」
「・・・・・っ」
稀羅に声を掛けられ、悠羽はハッと意識を戻した。
命の心配がないと聞いた途端他のことが気になってしまった悠羽は、そんな自分を叱咤しながら直ぐに稀羅に指し示された部屋
へと足を踏み入れる。
「・・・・・洸竣様・・・・・」
青白い顔の洸竣が寝台に横たわっていた。
生きていると分かるのは、微かに上下する胸の動きだけだ。
「・・・・・本当に、命は?」
(こんなにも深刻そうなご様子なのに・・・・・)
「大丈夫だ。王子の部下が直ぐに毒を吸いだしたことと、その毒に効く薬草が我が国にもあったからな」
「・・・・・そうですか」
深く、深く、安堵の溜め息をついた悠羽は、痛いほどの力で自分の腕にしがみ付いている黎に傍に行くようにと促した。
「ほら、黎」
「・・・・・」
「黎」
少し強引に身体を押し出すと、黎は数歩足を踏み出し・・・・・やがて、泣きそうに顔を歪めながらか細い声で名前を呼んだ。
「洸竣様・・・・・」
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