光の国の恋物語





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 熱い砂漠を、ずっと1人で歩いていた。
喉が渇き、足が棒のように疲れても、歩き続けなければならないと思っていた。
このまま・・・・・歩きながら死ぬのではないかとさえ思っていたが、心が挫けそうになった時、必ず、優しい雨が降って火照った身体
を鎮め、渇いた喉を潤してくれた。
 後、どのくらい歩いたらいいのかも分からず、それでも歩き続け・・・・・ふと、今まで聞こえなかった自分の名前を呼ぶ声が聞こえ
てきた気がして立ち止まり、ゆっくりと振り返ってみた。






 その時、急速に重たかった身体が軽くなったかと思うと、洸竣は長い眠りからようやく意識を浮上させることが出来た。
 「・・・・・洸竣、様?」
 「・・・・・あ、あ、おは、よ・・・・・黎」
思った以上に、掠れてしまった弱々しい声。
真上から自分を覗き込んでいる丸い目が更に大きく見開かれ、まるで洪水のように涙が溢れ出てくるのが分かる。
零れた熱い涙が自分の顔に掛かり、その感触が夢ではないと分かった洸竣は、そこで初めて、自分が生きて再び愛しい者の姿
を見ることが出来たことを実感した。



 洸竣が目を開いてくれた。
弱々しいながら自分の名前を呼んでくれた。
黎は、それが自分にとっての都合の良い夢ではなく真実だということが分かり、こみ上げる感情のまま涙がとめどなく溢れてしまっ
た。
 命の危機は去ったと医師は言っていたが、黎達が蓁羅に来て2日経っても洸竣は目を覚ましてくれなかった。
毒矢に倒れてからもう直ぐ5日経ってしまう。このまま目が覚めないということがあるのかもしれない・・・・・そんな風に黎が恐れてい
た時の洸竣の目覚めは、喜びと共に驚きも多分に含まれていたのだ。
 「洸竣様、ご気分はいかがですか?」
 「・・・・・水を、くれる?」
 「は、はい!」
 枕元には水分補給用の水差しが常備されていた。解毒剤が効いてくると喉が渇くものだと言われ、眠っている洸竣に時間を決
めて少しずつ飲ませていたのだ。
 「・・・・・」
 用心深く黎が洸竣に水を飲ませると、眠っている時とは全く違ってゴクゴクと喉を動かしていた洸竣は、やがてはあ〜っと大きな
溜め息をついてから黎に笑い掛けてくれた。
 「ここは、光華国?」
 「い、いいえ、蓁羅です」
 「蓁羅・・・・・じゃあ、黎はわざわざここまで来てくれたのか」
 「わざわざではありませんっ。僕が、無理を言って連れて来ていただいたんですっ」
 「黎?」
 「洸竣様がっ、洸竣様が・・・・・っ!」
 我慢していようと思ったが、どうしても高まった感情を抑えることが出来ず、黎はそのまま寝台に横たわっている洸竣の身体に顔
を伏せてしまった。
恐れ多いと、まだ身体の弱っている洸竣には負担だろうと分かっていても、黎はこうして自分と会話をしてくれている洸竣を見てい
るとたまらなく嬉しくなったのだ。
 「えっ、えっ・・・・・っ」
 「黎」
 「え・・・・・っ」
 嗚咽交じりに泣き出してしまった黎は、ますます洸竣にはこんな姿を見せられないと掛け布に顔を埋めてしまう。
 「・・・・・っ」
少しして、自分の頭にそっと大きな手が触れ、髪を撫でてくれるのが分かる。黎は嬉しくて口元を緩めながらも、流れる涙は止め
ることが出来なかった。



 「・・・・・良かった」
 「悠羽殿まで来てくださったのか」
 黎が落ち着くまで待っていた洸竣は、様子を見に来た医師に苦笑を向けた。
その医師が慌てて悠羽を呼びに行き、今部屋の中には悠羽と稀羅、そして、黎と同じように涙を零しながら洸竣に抱きついた莉
洸がいる。
 「情けない。莉洸の様子を見ようと蓁羅まで乗り込もうとしたというのに、その稀羅王に助けられるとは」
 「・・・・・王子は、莉洸の大切な兄だからな」
 「兄でなかったら助けなかったとでも?」
 「・・・・・分からんな。しかし、莉洸の悲しむ顔が見たくなかったからこそ、最善を尽くしたということは言える」
 「・・・・・一応、礼は言っておきます。ありがとうございました、おかげで再び愛しい者達の顔を見ることが出来る」
 目覚めた当初は少し記憶も混乱していたが、今はあの時の記憶はきちんと蘇っていた。
盗賊に襲われるという、予想外のことにとっさの対処が出来なかったとはいえ、毒矢を受けてもなおこうして生きながらえているのは
やはり蓁羅の薬草のおかげだろう。
(そして、この稀羅王の・・・・・)
 「莉洸」
 「に、兄様・・・・・っ」
 莉洸は心配していたような、痩せて、青白い顔をしている・・・・・こともなく、むしろ光華国にいた時よりも少しだけ大人びた表情
をしていた。
(大切にされていることがよく分かる・・・・・)
 「もう、泣くのは止めたらどうだ、莉洸」
 「だ、だって・・・・・」
 「お前が私の為に涙を流すと、稀羅王が私を睨むんだ」
 「・・・・・嘘。稀羅様はそんな方ではないですっ」
少しだけ顔を上げて言い返す莉洸。それは、稀羅の為に言い返しているのだろう。
 「恋する男というのはそんなものなんだよ」
 「・・・・・っ」
 洸竣の言葉に、パッと、莉洸の涙に濡れた頬が赤く染まる。
その表情を見ると、もう莉洸は完全に自分達の庇護の中から飛び立ってしまったことがよく分かって、洸竣はじわりとした寂しさを
味わっていた。



(本当に良かった・・・・・)
 これでようやく、光華国の王や洸聖に嬉しい報告が出来ると悠羽は安堵していた。
必ず毎日容態の報告をするようにと言われ、早馬を頼んでいたが、昨日まではそれは目覚めぬ洸竣の様子を淡々と書き記すし
かなかったのだ。
 どうなってしまうのかと感情的なことはとても書けず、毎回かなり考えて筆を走らせていたが・・・・・ようやく、本当に嬉しい報告を
することが出来る。
 「悪かったね、悠羽殿」
 「いいえ、早く体調を戻されてください。国政が洸聖様の肩ばかりに圧し掛かって大変なんですから」
 「はは、そうだね、兄上には予想外に大変な思いをさせてしまった」
 「早く・・・・・皆に元気な顔を見せに帰りましょう」
 「ああ、そうだな」
しっかりと頷いてくれた洸竣に、悠羽も顔を綻ばせた。






 洸竣の容態は日増しに回復していった。
元々、頑強な成人男子であったし、蓁羅の薬草の力も大きく、目が覚めて3日後にはもう寝台から立ち上がることが出来た。
 後2、3日すればほぼ体調も戻ると医者も言ったが、思い掛けなく眉を顰める事態になったのが背中の傷だった。落馬した時、
ちょうど落ちた場所に木か石があったのか、背中に傷が出来てしまったのだ。
 「・・・・・」
 「・・・・・黎、そんなに溜め息をつかないでくれ。男の身体に傷があってもたいした問題は無い」
 「でも・・・・・」
(こんなにも綺麗な身体に傷が・・・・・)
 滑らかな筋肉を引き裂いたような傷。薬草の効力には目を見張るようなものがあるが、医術はまだ発展途上国の蓁羅の医師
は、その傷の化膿止めをする他手のほどこしようがなかったらしい。
ちょうど、黎の手の平を被せたら隠れるほどの引き攣れた切り傷。これを治すことは出来ないのだろうか。
 「・・・・・」
 再び、黎は溜め息をつく。
 「・・・・・」
もう何度注意しても直らないので洸竣も諦めてしまったのか、背中の傷に薬葉を張り替えてくれる黎に見えないように困ったような
苦笑を浮かべていた。