光の国の恋物語
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部屋に入る前、さすがに洸聖は一瞬躊躇したものの、直ぐに決意したように扉を開けた。
「あ」
洸聖が帰るとは思わなかったのか、1人椅子に座っていた悠羽はいきなり開いた扉の方を振り向いて大きく目を見開いている。
それには何も言わず、何時もの飾り台に腰の剣を置いた洸聖は、一度大きく深呼吸してから、ようやく悠羽の方を振り向いた。
「すまなかった」
「・・・・・洸聖様?」
「お前と言い争いをしたくなくて避けていた。この国に身内がおらぬお前にとっては、その方法がよりこたえるというのに・・・・・すま
なかった。もう一度、よく話し合おう」
自分の弱さを見せるようなことはしたくなかったが、もちろんこのまま悠羽と気まずいままではいたくない思いの方が強いので、洸
聖は悠羽の前の椅子に腰掛けると、静かに話を切り出した。
「悠羽、お前は私との結婚を後悔しているか?」
「!いいえ!」
突然の洸聖の言葉は思い掛けなかったものなのだろう、悠羽は弾けるように顔を上げると慌てて頭を横に振った。
「では、この結婚はお前も望んでいると思って良いのだな?」
「はい、私も、洸聖様との結婚を嬉しく思っています」
「・・・・・それでは、婚儀の後の視察旅行が気に食わないのか?」
「・・・・・気に食わないとか・・・・・そういうことではないのです」
悠羽は自分の考えをまとめるように少し黙って俯いていたが、やがて顔を上げると洸聖に向かって言う。
「私と、洸聖様とでは・・・・・少し、考え方が違うのだと思います」
「・・・・・」
「私の祖国、奏禿は、とても貧しい国です。主だった産業もなく、土地も痩せていて、民は何時も苦しい生活を強いられていま
した。それは、王族である私達も同様で、父上のお考えからも、贅沢はするものではなく、想像して楽しむものだと教えられてきま
した」
ゆっくりと話し始める悠羽の言葉を、少しも聞き逃さないようにと洸聖は耳を傾ける。
愛しい者の心の内を、今きちんと聞いて、理解しなければならないと思っていた。
どう説明したら自分の気持ちを理解してもらえるか、悠羽はいったん言葉を止めて考えた。
洸聖のことを尊敬し、好きになったからこそ、同性でも結婚しようと決意した。いや、元々国のために名目だけの結婚はする気で
はあったが、もちろん身体も、心も、許すつもりはなかった。
その思いが何時しか変わり、今は洸聖と共にこの光華国をより栄えさせようとまで考えている。
そこまで大切だと思う人の、きっと自分のためを思っての視察旅行だからこそ、気が進まないという自分の気持ちをちゃんと納得し
てもらいたかった。
「・・・・・」
「奏禿のような国ならばともかく、光華国は大国です。そして、洸聖様はいずれはそこの王となられる方。視察旅行も、大勢の
供や警備の者が同行するでしょう?」
「・・・・・それは、私の立場からすればやむを得まい」
「はい、それは理解しているつもりです。洸聖様に万が一のことがあってはならないと思うし、そのためには様々な準備や時間も
掛かり、そして・・・・・お金も掛かってしまうと思います」
「・・・・・」
「民がどれ程の苦労をして、租税を納めているのか・・・・・それを思うと、私は自分がそれを使って旅に出るなど考えられないの
です」
「悠羽、今回の旅はお前の披露目の意味はもちろんあるが、同時に各国の世情を見ることも・・・・・」
「分かっています」
「悠羽」
「でも、私には・・・・・洸聖様と一緒にいるということだけで、贅沢な旅だと思えてしまうのです」
多分、自分の言っていることは感情的だというのは分かっていた。大国の王子といえど堅実な洸聖が、ただ遊ぶだけに無駄な
金を使うとは思わないし、豪奢な新婚の旅にするつもりもないと思っている。
それでも、悠羽の中では洸聖と共に旅をするということはとても楽しく、心踊ることで、働く民に申し訳ないと思ってしまうのだ。
これは、育ってきた環境と同時に、想いの種類の違いもあるかもしれない。
(私にとって、洸聖様は初めて好きになった方だから・・・・・)
共にいるだけで嬉しく、嬉しく思えは楽しいだけの遊びに思えてしまう。そんな遊びに、大切な民の租税は使いたくない・・・・・そ
れが、結婚後の視察旅行を渋る真の理由だった。
悠羽の言葉は半分分かって・・・・・半分分からない。
無駄なことは出来ないというのは分かるし、それが贅沢だということも分かる。
しかし、今回の視察旅行は洸聖にとっては一緒に国を背負っていく悠羽に広い世界を見せたいからで、それがそのまま贅沢には
繋がらないとも思うのだ。
「・・・・・悠羽」
視野の狭かった自分に、こんなにも豊かな感情を芽生えさせ、新たな国づくりへの活力を与えてくれた悠羽。
きっと、世界を知れば、もっともっと様々に、鮮やかに変化してくれると思う。そのよい切っ掛けを、このまま潰してしまうのはやはり
惜しいと思った。
(・・・・・贅沢でなければいいのだろうか?)
自分と共に旅をすること自体を厭うていないのならば・・・・・。
「・・・・・」
「それならば、私と2人だけでならばいいのか?」
「え?」
突然の提案に、悠羽は驚いたように顔を上げた。
「何をおっしゃって・・・・・そんなことは無理です」
「無理かどうかは、私が決めればいいことだ」
「洸聖様っ!」
「王になれば、容易に国外に出ることも叶わなくなる。それならば今のうちに、お前と2人、苦労しながらも様々な国を回るのも
良い経験になるかもしれぬ」
唐突に思いついたことだったが、考えれば考えるほど良い提案に思えた。
「よし、そうしよう」
早速手配をしなければと言う洸聖に、悠羽はどうしようかと戸惑った眼差しを向けてきた。
(洸聖様、本気でおっしゃってるのかっ?)
この大国の皇太子が、1人も供を付けないで旅に出ることなど到底出来るはずがないとは分かっている。たとえ洸聖が強引に
話を進めたとしても、必ず反対の声が出て・・・・・。
(でも・・・・・)
今の彼ならば、強引にでも話を進めそうな勢いを感じてしまう。
「洸聖様、私は・・・・・」
「悠羽」
悠羽の言葉を遮ると、洸聖は手を伸ばした。卓の上で硬く両手を握り締めていた悠羽の手を取ると、そっと自分の口元へと運
んで口付けをする。
「・・・・・っ」
「私は、お前を自慢したい」
「・・・・・」
「お前が世界一素晴らしい伴侶だと、世に知らしめたいのだ。私の自慢の宝を隠さないでくれ、悠羽」
「私が・・・・・宝、など・・・・・」
「何よりも得難い、私の宝だ」
包み込まれている手が熱い。
俯く首筋が染まる気がする。
真っ直ぐな洸聖の言葉は飾りがないだけに真摯に響き、悠羽は自分の固い決意が脆く崩れ落ちそうになるのを止めることが困
難になってきた。
(私は・・・・・私、は・・・・・)
「式までにはまだ間がある。ゆっくりと考えて答えを出してくれ」
「・・・・・」
「だが、出来るはずがないという答えは無用だ。お前が頷けば、私は必ずそれを断行してみせる」
きっぱりと言い切った洸聖は、そっと手を離した。温かい温もりが急に薄れたようで、悠羽は反射的に顔を上げてしまう。
そんな自分に、洸聖は笑みを向けた。
「お前と話せないのは辛い」
「・・・・・」
「今日からは、また一緒に休もう」
「・・・・・はい」
悠羽は頷いた。
確かに、まだ問題が全て解決したわけではないが、それでも、悠羽も洸聖と口を利けないのは辛い。傍にいるのに視線を交わす
ことさえしないなんて、寂しくてたまらないのだ。
「一緒が、いいです」
「ああ」
悠羽の言葉に満足げに頷いた洸聖は、立ち上がると悠羽の座っている椅子の傍に立つ。
無言のまま手を伸ばされ、それに少しだけ躊躇ってから手を重ねた悠羽は、そのまま強引に手を引かれて洸聖の腕の中へとすっ
ぽりとおさまった。
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