光の国の恋物語
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夜が明けるにはまだかなり時間がある。
そんな、静まり返った廊下に、鐘の音が鳴り響いた。
「・・・・・悠羽様」
「うん」
それが合図に、悠羽は椅子から立ち上がる。
夕べは、洸聖の部屋ではなく、以前自分に宛がわれていた部屋で休んだ悠羽は、今から今日の婚儀の儀式に赴かねばなら
なかった。
この部屋を一歩出れば、悠羽は挙式前の洸聖と会うまで一切口を利けなくなってしまう。その前にと、気懸かりであることをサ
ランに告げた。
「サラン、今日は父上達がいらっしゃると思うけど・・・・・」
「お任せ下さい。皆様のお世話は私が」
「うん、頼む」
本当はもっと早く来国してもらい、自分の愛しい家族に、これから自分が生きていく国をじっくりと見て欲しかったし、洸聖も書
面でそう促してくれたらしいが、光華国とはあまりにも国力が違い過ぎる自分達が早く到着してしまうと、悠羽が余計な気を遣っ
てしまうだろうからと、父はわざと結婚式当日にやってくることにしたらしい。
(洸英様も洸聖様も、そんなことを気になさる方じゃないし、私も大丈夫なのに・・・・・)
身分違いということは、今でも堂々と言われている言葉だ。
宮殿に仕えている者達は悠羽のことを受け入れてくれているが、滅多に会うことのない高官達は今だ悠羽の存在に眉を顰める
者達はいる。光華国ほどの大国の、しかも皇太子である洸聖の相手ならば、奏禿の王女以上の姫君が他にも数多くいるはず
だろうと思っているらしい。
今回の婚儀に列席する各国の王族の中には、わざわざ自分の娘や歳若い親類の女性を連れて来ている者達もおり、きっと
遠からず悠羽は妾妃に、そして、正妃は大国の姫を改めて娶るだろうと考えているのだろう。
「洸聖様ほどの方が選ばれた花嫁様はどのような方かと思っていましたが・・・・・」
「ふふふ、まるで、まだ子供のような」
「あら、あの赤いふわふわの髪は、婚儀の時にきちんと結うことが出来るのかしら」
洸英や洸聖がその場にいない時、何度そのような嫌味を言われたか分からない。ただ、悠羽も言われてばかりいる方ではない
ので、その言葉に一々丁寧に返答した。
「どうしてもわたくしが良いと望まれたらしいので。お断りする言葉も見付かりませんでした」
「胸だけが発育されている年上の方よりは、これから成長する身体の方が育てる楽しみもあるのでしょう」
「一応、櫛は通りますので、光華国の技術の粋を結集すれば、何とか見られるようになると思いますよ」
(全く、そこで黙ってしまわれるのなら言わなければいいのに)
扉に向かいながら悠羽がそんなことを思い出していると、
「悠羽様」
サランの声に振り向いた悠羽は、歩み寄り、自分の足元に跪いてその爪先に口付けをするサランを驚いて見つめた。
召使いというよりは、義兄弟のように思っていたサランに、そんな服従の態度を示されても戸惑ってしまうだけで、悠羽はどうしよう
かと自分もその場に膝を着こうとする。
その前に、サランは深く頭を下げたまま言った。
「このたびは、光華国皇太子、洸聖様とのご結婚、真におめでとうございます」
「サラン・・・・・」
「あなたの幸せを、心より祈っています」
「・・・・・ありがとう」
召使いと主人という関係。サランはそれを前提にしてこんな風に祝いの言葉を贈ってくれたのだろう。もちろん、その気持ちは嬉
しいが、悠羽の気持ちは・・・・・。
「サラン」
「悠羽様」
悠羽はサランと同じようにその場に膝を着いた。
無表情なサランが少し困ったような表情になったのに少し笑って、悠羽はサランの肩を抱きしめる。
「私も、お前の幸せを願っている」
「・・・・・」
「お互いを羨ましがらせるほどの幸せを、互いに大事にしていこう。サラン、これからもよろしく」
「・・・・・私の方こそ」
サランのほっそりとした手が伸びて、悠羽と同じように抱きしめてくれた。
「洸聖様、お時間です」
鐘の音が鳴ってしばらくして、洸聖の部屋の扉が叩かれた。
これから夜が明けるまで、神に対しての祈りや、誓約の書類を共に作るということをしていかなければならない。花嫁の悠羽と顔
を合わせるのは多分昼近くだろう。
(どんな花嫁になるであろうか・・・・・)
衣装合わせの時、自分にはとても似合わないというような複雑な表情で衣装を見つめていたが、洸聖の目から見れば、どんな
花嫁衣裳でも悠羽は悠羽らしくなると思う。
絶世の美女を手に入れようとしているわけではなく、愛しい魂を持った悠羽という人間を花嫁にするのだ。もちろん、愛しい悠羽
の晴れの姿を人々に披露目したいと思っているが、それは飾り立て、本来の悠羽の面影を全く消し去ってしまうということとは違う
と思う。
(そんなことを言ったら、何のためにあれ程の衣装替えをするのかと文句を言いそうだが・・・・・)
その様子さえ想像出来て、洸聖は思わずフッと頬を綻ばせた。
「洸聖様」
「今参る」
(さて、意識を切り替えねばな)
今後、この光華国の王となる自分を見に来る人間も多いだろう。その国力と結束力を見せ付けるためにも今日の婚儀は滞りな
く行わなければならないと、洸聖は表情を改めて扉を開ける。
「洸聖様」
「・・・・・」
「それでは、参りましょう」
婚儀の世話係をする男の言葉に軽く頷いた洸聖は、そのまま黙って男の後を悠然と付いて歩いた。
「ん〜」
「こ、洸竣様」
「ん?もう少しじっとしていなさい」
「あ、あの・・・・・」
黎は落ち着きなく視線を彷徨わせるが、洸竣の言った通り身体を動かすこともなく(と、いうより固まったように動かない)立って
いた。
「どんな服で列席するんだ?」
夕べ、洸竣にそう言われるまで、黎は自分が悠羽と洸聖の結婚式に出るとは夢にも思わなかった。
縁あって洸竣の情けを受け、今こんなにも傍にいることが出来るものの、黎はまだ洸竣の世話係という立場だ。王族の結婚式に
出れるはずがない。
しかし、洸竣は全く聞く耳を持ってくれず、夕べ遅くに仕立て屋を呼ぶと、黎に似合う衣装を選んだ。
「本当は生地から選んで、黎が一番可愛く見える衣装にしたかったんだが・・・・・それは次の機会に、ね」
そして・・・・・黎は朝から洸竣が選んだ衣装を着せられ、髪まで洸竣がといてくれた。
嬉しさや戸惑い、そして、気持ちの大部分を占める申し訳なさに、黎の顔は自然に俯いてしまうが、そのたびに洸竣は顎を取って
上を向かせると、満足げに頷いた。
「うん、似合う」
「そ、そうでしょうか」
「明るい緑の色が、色白の黎の肌に良く似合う。後は、俯かなくて、今のようにきちんと前を向いていれば、どこの貴族にも負け
ないくらいだ」
「・・・・・」
お世辞だとしても、そう言ってもらうのは嬉しい。黎は、少しだけ頬を緩める。
「あ」
「え?」
笑ったのがいけなかったのかと、黎は急いで笑みを隠したが、洸竣は大げさに天を仰いだ。
「そんな笑顔を浮かべたら、皆がお前を欲しがってしまう」
「え?あ、あの・・・・・」
驚く黎に、洸竣は視線を合わせて、眉を顰めながら言う。
「黎、私の前以外では膨れた頬をしているように。可愛いお前の可愛い笑顔は、私だけが知っていればいいことだからね。他の
人間に目を付けられてはいけないよ?」
「・・・・・」
「分かった?」
きっと、黎の緊張を解すためにそう言ってくれているのだろうが、なんだかそんな洸竣が幼い子供のように思えて、黎は思わず声を
たてて笑い、洸竣に向かってはっきりと頷いてみせた。
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