光の国の恋物語





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 「もう、そんな時間か」
 洸英は窓を開け放ち、眩しい朝日を全身に浴びながら欠伸をした。
王である自分が今日の儀式の中ですることはそう多くはない。今日一番忙しいのは、きっと悠羽と儀式を取り仕切る神官くらい
なものだろう。
 自身も一度だけだが経験のある洸英は、あの時のことを一瞬思い出した。
既に亡くなってしまった、唯一正妃の地位にいた妻。皇太子を生むという役目を立派に務め上げながら、その数年後には若い命
を散らしてしまった。
 始めから決められてしまっていた婚約者の妃に、燃えるような愛情は抱いていなかったのも確かだが、今から考えればもう少し優
しくしてやれば良かったと思う。
 「・・・・・」
 「洸英様?」
 今、目の前には、長い間欲しいと思っていた唯一の存在がいる。この存在と比べれば、やはり妃への愛情は親愛の域を超えな
かったと感じた。
 「目が覚めましたか?」
 「お前が口付けをしてくれたらな」
 「・・・・・また、そんな戯言を」
 「戯言ではないぞ、私の本当の気持ちだ」
 甘えるように言えば、冷たい外見とは違って心の優しいこの存在は、困ったような表情(傍目にはその変化は見られないかもし
れないが)をして歩み寄ってくれる。
 「今日は洸聖様と悠羽様の大切な日です。王としてのお務め、立派にはたして下さい」
 「分かっておる」
 手を伸ばせば届くほどに近寄ってきた時、洸英は待ちきれずに和季の腕を掴むと、そのまま強引に身体を抱き寄せて冷たい唇
を奪った。



 莉洸は目の前の礼装の服の山に思わず溜め息をついた。
 「兄様達ったら・・・・・」
夕べから続くこの溜め息は、夜が明けても変わることはない。あれは夢だったのかもしれないと、服が消えていることを願ったが、や
はりそれは、そのままそこにあった。

 「莉洸、式にはぜひこの衣装で出席してくれ」

 夕べ、最初に部屋を訪れてきたのは長兄、洸聖だった。
莉洸が稀羅と同じ部屋にいることを面白くは思っていないようだったが、それでも表立っては文句は言わないまま、洸聖は以前莉
洸が好んで着ていた、明るい黄色の礼装を数種類持参してきてくれた。

 「莉洸、ちょうど可愛いお前に似合いそうな服を見つけてね。これを着て兄上を祝ってやってくれないか?」

 洸聖が部屋を辞して間もなく、やってきたのは次兄、洸竣だ。
洸竣は鮮やかな紫色と瑠璃色の礼装を一着ずつ持ってきてくれた。

 「莉洸、お前の礼装は父がちゃんと用意している。安心していなさい」

 続いて現れたのは王である父、洸英だ。
合図と共に中に入ってきた召使い数人が運んできたのは、数を数えることも出来ないくらいの大量の礼服と装飾品。
父は直ぐに兄達が持ってきた服に視線がいったようだが、自信たっぷりに笑うと、莉洸の髪を優しく撫でながらこう言った。
 「お前に似合うものは、この父が一番よく知っている。莉洸、兄達のことなど気にせず、自分が一番好きな物を着て列席しなさ
い、いいね?」

 皆の気持ちはもちろん嬉しい。離れていても自分のことをきちんと考えていてくれたことが嬉しく、自分の家族はここにいるのだと
ちゃんと確認出来た。
 しかし・・・・・この服の攻撃には参ってしまう。
 「・・・・・凄いな」
 「稀羅様」
途方に暮れたように服の山を見つめていた莉洸は、肩を抱き寄せてくれた大きな手に振り返る。そこにいたのは、この世で一番愛
しいと思える相手だ。
 「お前の兄弟達のお前への愛情は凄いな」
 「・・・・・困ります」
 「ん?」
 「僕には、ちゃんと蓁羅の礼装があるのに・・・・・」
 今回の婚儀に列席するために、稀羅が莉洸が恥ずかしくないようにと精一杯の気持ちで用意してくれた蓁羅の礼服。
もちろん、仕立ても生地も、光華国で用意されているこれらの物の方が遥かに上等だとは分かるものの、それでも莉洸は稀羅の
用意してくれた物を着たい。
 ただ、兄達や父の気持ちも嬉しいことは本当で、せっかくの好意をどう断っていいのか、何を着ようか悩んでいるのではなく、その
ことに悩んでいるのだ。
 「・・・・・」
莉洸が再び溜め息をつくと、稀羅は笑いながら助言をしてくれた。
 「悩むことはない。夕べ、光華の王もおっしゃられていただろう、自分が一番好きな物を着て列席しなさいと」



(全く、あの兄弟達にも困ったものだな。・・・・・いや、王もか)
 山と詰まれた衣装を見れば、彼らの莉洸に対する愛情に少しの翳りもないことは伺えるものの、いずれ莉洸の夫となる自分か
らすれば厄介なものだ。
 これで、莉洸の気持ちが揺れてしまっていたならば多少は困るが、幸いにというか・・・・・莉洸の気持ちに揺れはないようで、そ
のことに稀羅は驚くほど安心している自分に気が付いてしまった。
 「・・・・・そうだ、莉洸」
 「はい」
 「お前は蓁羅の礼服を着てくれるようだが、兄弟や王の用意してくれた物も、少しずつ身に付けるというのはどうだ?」
 「少しずつ?」
 「例えば・・・・・」
 稀羅は先ず洸英が持ってきた服の山の中から、礼服の中に着るシャツを取った。柔らかな肌触りで、優雅な形のそれは、きっと
蓁羅の礼服をさらに良い物へと見せてくれるだろう。
 「次は・・・・・」
 洸聖の持ってきたものからは、靴だ。どうしても硬い革しか用意出来なかったが、この上等な靴ならば莉洸の足の指を痛めるこ
ともない。
 「こちらからは・・・・・」
 華やかな容姿の洸竣は用意したものも随分派手なものが多いが、その中で白い花の胸飾りは、清楚な莉洸によく似合うよう
に思えた。
 「・・・・・でも、皆の分を受け入れていては、蓁羅の礼服の意味が・・・・・」
 「お前が私の隣で着ている服が、蓁羅の礼服だ」
 「稀羅様・・・・・」
 「ほら、早く着替えなければ遅れてしまうぞ」
 「はいっ」
 稀羅がきっぱりと言い切れば、莉洸は安心したように頷く。
どちらにせよ、見える大部分は蓁羅の物なので、稀羅は光華の皆がどんな顔をして莉洸の艶姿を見るか、想像するだけで楽しく
なった。



 礼服に着替えた洸莱は、腰に短剣を携える。
まだ成人になっていない洸莱は、正式な場では長剣を持つことは許されていないのだ。
 「・・・・・」
 結果的に、それはまだ自分が子供だということを思い知ることになるのだが、洸莱はもう焦ることはなかった。いや、早く大人にな
りたいという気持ちは消えてはいないが、それに確かな理由が付くことになったからだ。
 いずれ、一緒になるサランと、きっと生まれる自分の子供を守るために、自分は急ぐというよりも、確実に、ちゃんとした大人にな
りたいと思う。
自分の周りには、尊敬出来る大人がたくさんいるのだ。
 「・・・・・」
 扉が叩かれる。
もう一度、自分の服を見下ろした洸莱が扉に向かい、それを開くと、そこには既に奏禿の青い礼服を身にまとったサランが静かに
立っていた。
 「サラン」
 サランをじっと見た洸莱は、小さく綺麗だと呟いた。その洸莱の言葉はサランの耳にも届いたらしく、少しだけ驚いたような表情に
なり・・・・・その表情は直ぐに消えてしまった。
 「式をお手伝いする前に、洸莱様のお顔を見たくて」
 「・・・・・どう?」
 「落ち着きました。今から悠羽様のお世話をしに参ります」
 「大変だ・・・・・気をつけて」
 洸莱はそう言うと、そっとサランの頬へ口付ける。それを大人しく受け入れたサランは、少しだけ微笑んで・・・・・ゆっくりと一礼す
ると、洸莱に背を向けて歩き始めた。