光の国の恋物語
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宮殿の裏手にある泉。
湧き水であるそれは澄んでいるが、凍えるほどに冷たい。
「さあ」
「・・・・・っ」
爪先を入れただけで全身が凍るかとも思ったが、花嫁になるためにはこの清浄な水で身体を清めなければならず、また、そこに
浸かる者を王族に嫁ぐ資格があると神が認めれば、その冷たさもじきに気にならないものになるという言い伝えがあった。
(そ、そんなの、本当に言い伝えだと思うけど・・・・・っ)
歯がカタカタとぶつかりそうになるのを防ぐためにしっかりと唇を噛み締めた悠羽は、ゆっくりと泉の中に足を進めた。
「・・・・・?」
(あれ・・・・・?本当に、意外と・・・・・)
泉の表面はそれこそ氷のように冷たいのに、足首を入れ、膝が浸かるくらいに入っていけば、不思議と温く感じてきた。いや、上の
方はまだ冷たいが、中の水は温いのだ。
「・・・・・」
どうしてなんだろうと悠羽は不思議に思ったが、声を出して神官に聞くことは出来ないし、ここで儀式の流れを止めてもいけない
ので、疑問を抱いたまま足を進めた。これくらいだったら、最初の冷たさを我慢すれば耐えられる。
(確か、頭まで入って、10秒くらいそのままにしていなくちゃいけないんだったな)
「・・・・・っ」
悠羽は大きく息を吸い、思い切ってそのまま泉の中に身体を沈めた。
「お次は、これを」
「・・・・・」
洸聖は次々に差し出される書面に躊躇いなく署名していく。
花嫁である悠羽はその身を清めることに重点を置かれるが、花婿である洸聖は実務的な手続きをすることが義務付けられてい
るのだ。
結婚の誓約書(これは、後で悠羽も署名をする)に、自身の所有財産の譲渡(夫婦共通の財産になる)に関する書類、そし
て、王位継承の順位変更。
光華国では、長兄が次期王になるのは決定している。
ただ、その王に世継ぎがいない場合は、妻に王位認証権が与えられるのだ。つまり、洸聖が死亡した場合、次の王には誰がな
るのかを決めるのは悠羽になる。
もちろん、王位任期時に独身であれば、兄弟が後を継ぐのだが・・・・・。
(・・・・・これを知ったら、悠羽はまた怒るだろうな)
死んだ後のことを今から考えるなんてと悠羽は言うだろうが、光華国ほどの大国の場合、過去には王位継承を巡って血生臭い
出来事もあり、それを防ぐためにも、こうして正式に書類にして残すようになったのだと聞く。
「・・・・・はい、結構です」
これは、あくまでも、もしもの場合だ。
洸聖は悠羽を残して死ぬつもりはなかったし、ある程度歳がいけば、洸莱の子に譲位をして、悠羽と自由に生きて生きたいとい
う夢も出来ていた。
「サラン!」
「悠仙(ゆうぜん)様」
悠羽の仕度を手伝いに行こうと思っていたサランは、その途中で召使いの人間に来客を告げられた。その名前を聞いた途端、
サランの足は先ずそちらへと向かう。
「元気そうだな、サラン」
「はい、ありがとうございます」
悠羽の弟である悠仙に丁寧に頭を下げたサランは、その後ろにいる一行にさらに深く頭を下げた。
「長い旅路、お疲れでしょう」
「いや、せっかくの悠羽の晴れ舞台だ。想像しているだけで足も軽くなった」
そう言って笑うのは、奏禿の王で、悠羽の父でもある悠珪(ゆうけい)。
「まあ、サラン、少しふくよかになったんじゃなくて?」
「叶(かなえ)様」
少し、からかうように言って笑ったのは、奏禿の王妃で、悠羽の育ての親である叶。
「叶様、その物言いはサランに失礼ですよ。まるで、奏禿よりもこの光華国の水の方が合っているというように聞こえます。サラン
の故郷はあくまでも奏禿ですよ、そうでしょう?サラン」
王妃である叶に堂々と意見を述べているのは、悠羽の産みの親である小夏(しょうか)だ。
召使いが主人に、それも王妃に意見をするというのは他国ではないかもしれないが、国全体が家族のように温かい奏禿ではご
く当たり前のことで、サランはその見慣れた光景に頬を緩めた。
「皆さん、お変わりなく」
「サランも」
「小夏様もいらしていただいて、悠羽様もきっとお喜びになるでしょう」
「・・・・・始めはご辞退しようと思ったのだけれど」
「あら、小夏が来なければ意味が無いわ。悠羽にとって大切な存在ですもの、ねえ、悠珪様」
「ああ。悠羽の旅立ちの時だ、家族全員で見送らなければな」
各国の来客が大勢いる控え室から、花嫁の家族の控え室へと一行を案内する。
無数の視線が様々なところから突き刺さってくるが、誰もがそれに過敏に反応することもなく、本当に今日の日を喜んでいる風に
見えた。
(人の質というものは、こういう時によく分かる・・・・・)
けして、身にまとっている礼服が立派だというわけではなく、叶や小夏の装飾品も僅かなものしかない。それでも、その態度が少
しも卑屈に見えないのは、堂々と胸を張り、前を向いている眼差しでも感じられた。
悠珪はどの王族よりも威風堂々として。
叶と小夏は、どの女達よりも美しく、気品に満ちている。
(さすが・・・・・悠羽様のご家族)
身贔屓かもしれないが、サランはこの家族の一番端にでも自分が連なっていることが誇らしくて、自分もなんだか胸を張って歩
いてしまった。
「久し振りにお目にかかる」
「洸英王、このたびは悠羽を受け入れてくださり、本当に感謝している」
「・・・・・いや、こちらこそ、私の無茶な要求を受け入れてもらい、ありがたく思っている。そのおかげで、我が息子は、本当に愛し
く、大切に思える相手を手にすることが出来た」
奏禿の王族が到着したとの報告を受け、洸英は和季を伴って挨拶にやってきた。
奏禿の王妃と会うということは、自分の過去の悪行と向かい合うということにもなるが、今の自分には和季がいるし、何より大切
な我が子の花嫁となる相手の家族と顔を合わせないのもおかしい。
「洸英王・・・・・」
二国の王が直接対面するのはもう20年以上も前のことだが、その時の洸英の印象はとても強かったらしく、悠珪は頭を下げて
今回の婚姻の許可に礼を述べる洸英に苦笑しながら言った。
「まさか、本当にこちらが悠羽を迎え入れてくださるとは思わなかった」
「悠珪王」
「我が国と光華国はあまりにも国力に差がある。今回のことも、他国との均整を取るつなぎとして、一先ず悠羽を呼び寄せたと
思っていたのですが」
「・・・・・」
洸英は叶を見た。
「・・・・・王に何も言われておらぬのか?」
「あなた様がわたくしと小夏を、妾妃にとおっしゃられたこと?」
「・・・・・これは、参ったな」
どうやら、この国王夫婦の間には秘密というものはないらしい。
「確かに、あの時は美しい2人の美女に心を揺さぶられたが、今の私には生涯を共にする愛しい相手がいる。悠珪王、過去の
ことをここで謝るよりも、これからの私を見て欲しい。我が子の花嫁を、私も共に大切にすることを誓う」
「・・・・・噂とは随分変わられたこと。とても良い方が御側にいらっしゃるのですね」
叶の言葉に、洸英の少し後ろに立っていた和季が深く頭を下げた。洸英の言葉が誰を指すのか、ここにいる者はその一連の動
作でよく分かったようだ。
「小夏、悠羽のことは心配はいらないようね。奔放な王には、どうやら美しい監視人がいらっしゃるようですもの」
「ええ」
「・・・・・」
何を言われても洸英は言い返すことが出来ないし、考えれば、和季との関係を1人でも多くのものに知ってもらえるのは好都合
だ。
「さあ、広間へと案内しよう」
「王自ら?」
「我らは今日から家族だ。肩書きは無しの付き合いをしていきたいが」
「・・・・・そうですね」
洸英の言葉に悠珪も笑み、2人は肩を並べて談笑しながら歩き始める。そんな2人を見送った叶が、立ち去ろうとした和季の
腕を軽く掴んで微笑みかけた。
「わたくし達もご一緒しましょう」
「・・・・・はい」
新しい家族という形に収まった二カ国の王族達は、これから晴れの式を迎える2人のために、心から祝う温かな気持ちで披露
宴の行われる広間へと連れ立った。
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