光の国の恋物語





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(い、息が出来ない!)
 顔を見られないように全身を布で包まれ、その上馬から落ちないようにと稀羅の腕に強く抱きしめられ。
そうでなくても次々と目まぐるしく時間が流れて、荒事に慣れていない莉洸の身体は悲鳴を上げ続けた。
 「今しばらく我慢せい!」
 自らも砂塵を吸い込まないようにマスクをしている稀羅が、くぐもった声ながらも鋭く莉洸に言った。
 「国境を過ぎれば休める!」
 「こっ・・・・・!」
(光華を出るのっ?)
それまで国境はもちろん、王宮からも数えるほどしか出たことがない莉洸にとって、国境を越えるという事は恐ろしい未知の世界
に飛び込むのも同然だった。
 「や・・・・・や、だっ」
 「口を開くなっ、息が出来なくなる!」
 稀羅の言った通り、叫ぼうと口を開きかけた莉洸の口に怖いほどの勢いで砂粒と空気が入り込もうとしてきた。
顔全体も布で覆われているというのにその感触ははっきりと伝わってきて、莉洸は叫ぶことも出来なくなる。
(国を出るなんて・・・・・そんなの怖いよ・・・・・!)
 会ってみたいなどと思わなければ良かったと思った。
国の中で見たことが無かったあの赤い目を、どうしてももう一度間近に見て、助けてもらったお礼を言って・・・・・しかし、そんな風
に暢気に思っていた自分の浅はかさが、今この状態を生んでしまったのだ。
一国の王子を略奪する。
それがどういった嵐を呼ぶのか、莉洸は考えることが怖かった。
 「王!早馬です!」
 その時、稀羅の馬の直ぐ後ろを走らせていた人間が叫んだ。
 「早かったなっ!」
 「幸いまだ1人の様子っ、最後尾に相手をさせます!」
 「・・・・・!」
(な、何をするのっ?)
 「頼むっ」
 「・・・・・っ」
(やめて!)
莉洸は叫んだ。いや、声にはならなかったが、どうしても叫ばずにはいられなかった。
包まれた布の中で涙を溢れさせる莉洸に気付いたのかどうか・・・・・稀羅は小さなその身体を強く抱きしめてきた。



 「兄上!あ奴らこのまま北の門に向かう気です!」
 「・・・・・っ」
 洸聖は唇を噛み締めた。
一番国境に近い北の門まで、この調子で馬を走らせていては間に合わないかもしれなかった。
もちろん門番にはこの大事を伝える伝令も間に合わない。
(このままむざむざと莉洸を連れ去られてしまうのか・・・・・っ!)
 国境を守る兵達は、それなりに力もある者達だ。だが、不意をつかれてしまえば、そのまま突破されることも・・・・・。
(いや、多分止められない・・・・・!)
王である稀羅付きで最少人数で乗り込んできた者達ばかりだ。相当な力の持ち主ばかりだと考えられる。
 「・・・・・っ、急げ!洸竣!」
とにかく、追いつかねばならない。
大事な莉洸をあんな野蛮な男に渡すことなど出来ないのだ。



 悠羽は青褪めた表情で王宮から外を見ていた。
(私が・・・・・受け入れを進言したから・・・・・)
謎が多い蓁羅の王に何とか会ってみたいと思っていた。
実際に会った彼は、噂のような赤い鬼ではなく、精悍な容貌の凛々しい男で・・・・・。
(まさか、こんな大それたことをするとは思わなかった・・・・・)
 「悠羽様、どうかお気を落としにならないで下さい。今回の事は悠羽様のせいではありません」
 「でも、サラン、私が・・・・・」
 「サランの言う通りです」
 「・・・・・」
 不意に背後から聞こえた声に振り向くと、そこにはさすがに何時もの無表情ではなく厳しい顔をした洸莱がいた。
 「洸莱様・・・・・」
 「いくらあなたのお言葉があったとしても、実際に蓁羅の王を招くことを決めたのは父上です。あなたがそのように思い悩むことは
ありません」
 「・・・・・」
(自分だって・・・・・心配してるはずなのに)
 幼い頃から何時も傍にいてくれる弟だと、莉洸は嬉しそうに笑いながら話してくれた。
どういった事情か、幼い頃は離れて暮らしていたらしい洸莱は、病弱な莉洸の遊び相手としてようやく王宮に上がることが許され
たという経緯があるらしい。
 そのせいか、普段は感情表現が乏しい洸莱も、莉洸の傍にいる時はその表情が和らいでいたように見えた。
きっと自分も稀羅を追い掛けて行きたいだろうに・・・・・悠羽は目を伏せる。
 「蓁羅の王は、何故莉洸様を攫ったのか・・・・・」
 「蓁羅と光華には過去の因縁がありますゆえ・・・・・その恨みかもしれません」
 「でも、サラン、今の王、稀羅殿はそんな過去を払拭しようとなさっていたんじゃないか?」
 「・・・・・悠羽様、人というものは弱い生き物です。頭の中では納得していたのかもしれませんが、実際にこの光華国の地を踏
んで自国との違いをあからさまに感じた時、思いもよらない感情が生まれることもあるでしょう」
 「・・・・・」
 「・・・・・申し訳ありません、洸莱様」
 言い過ぎたと思ったのか、サランが洸莱に向かって頭を下げる。
しかし、洸莱はゆっくりと首を振った。
 「いや、サランの言う通りかもしれない」
 「洸莱様」
 「俺達は人の感情というものを甘く見ていたのかもしれない」
 だからと言って、何の罪も無い、ましてや力さえも無い莉洸を攫ってもいいという事は絶対に言えない。
どうか洸聖達が間に合って欲しいと、悠羽は心から祈っていた。



 国境までの一本道を、馬は休むことなく全速力で走り続けている。
賑やかな通りを抜ければ、民家が所々あるだけだった。
 「・・・・・っ」
幾ら豊かな国の光華国とはいえ、国民全てが裕福な生活をしているわけではない。
(みな・・・・・こんな所で暮らしているのか・・・・・)
 ずっと目を開けていることは出来なかったが、莉洸は時折視界に入ってくる簡素な服の少女達や、裸同然の子供、ただ木を組
み合わせただけのような家を見て、自分がどんなに恵まれた生活をしてきたのかを思い知らされた。
 「ここはまだよい!」
 そんな莉洸の気持ちを読んだかのように稀羅が言った。
 「我が国蓁羅は、今だ家も無く、野に暮らす者や、食べる物が無く、日々死んでいく赤子が後を絶たないっ。畑も少なく、水も
限られたその国で、人は何を糧に生きていると思うっ?」
 「・・・・・っ」
 「今にと、いずれと、先を思うだけだ!そんな民を救いたいと思うのが何が悪いっ?」
 「き、稀羅王・・・・・」
 「そなたは光華国との交渉に必要な大事な客人だ。命を奪うことはせぬ、安心しろっ」
 「・・・・・」
(・・・・・僕に、何が出来るって言うの・・・・・?)
 稀羅の言葉が嘘だとはとても思えない。莉洸も、自分で出来ることならばなんでもしたいと思うほどにだ。
しかし、稀羅のこの方法が・・・・・自分を攫うという方法が正しいとはとても思えない。
 「稀羅王っ、僕は・・・・・!」
もどかしいこの思いを何とか言葉にしたい・・・・・、莉洸がそう思った時、
 「国境が見えた!」
 「!!」
はるか前方に国境の門と永遠に続くかのような壁、そして塔が見えた。