光の国の恋物語





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 案内された広間も、簡素な造りのものだった。
稀羅が座っている玉座も煌びやかなものではなく、床も壁も天井も装飾など一切ない、木や石を組み合わせて出来たものだ。
 「・・・・・」
(ここが、王宮・・・・・)
国の中で一番立派な建物であるはずの王宮がこれでは、いったい国民の生活はどれ程のものか。
莉洸は馬上から見た蓁羅の人々の姿を思い出して眉を顰めた。
 「王子」
 広間の中には稀羅の他に、十数人の男達が左右に立って莉洸を見つめていた。
若い男から、初老の男まで、年齢は様々だが皆体格は立派だ。
 「どうした、怯えておられるのか」
 「・・・・・っ」
 立ち上がった稀羅が、ゆっくりと立ち尽くす莉洸の目の前まで歩み寄って来る。そこで初めて莉洸はしっかりと稀羅を見ることが
出来た。
莉洸よりも頭一つ分ほど高い身長に、長い手足。
ゆったりとした普段着の上からも相当に鍛えていることが分かる上半身。
腰も高く、下を向けた視線の先の足も大きい。
そこにいる誰よりも目立つ存在感と畏怖堂々とした姿。
何もかもが莉洸の上をいく稀羅は、赤く光る瞳を真っ直ぐに向けて言った。
 「少しは落ち着かれたか?」
 「・・・・・」
 「王子」
 「ぼ、僕をどうなさるおつもりですが?我が国光華との交渉に使うおつもりですか?」
 「・・・・・」
 「し、蓁羅の王は、人質を取らなければ交渉が出来ないほどに、気の小さい方なのでしょうかっ」
一気にそう叫んだ莉洸は、今にも逃げ出そうとする足を必死にその場に留めていた。



 「王」
 稀羅の近くにいる男が固い口調でその名前を呼んだ。今の莉洸の言葉を不敬罪とでも思ったのだろう。
しかし、稀羅自身はそんな言葉の一つ二つで直ぐに頭にくるという事はなかった。
それよりも、今までただ泣いていたか弱い王子が自分に噛み付いてきたのが面白いと思う。
(・・・・・似合わぬな)
 さすがに今まで大切に育てられた莉洸に不自由はさせられないと、使う部屋も湯殿も、着させる服も、稀羅としては最大限気
を遣ったつもりだった。
莉洸が今着ているのは、王である稀羅も正装以外には滅多に用いない絹で出来ているが、それでも光華国で見た時の莉洸の
衣装とはかなり落差があるような気がする。
そんな思いを振り切るように稀羅は言った。
 「王子、私がそなたを奪ってきたのは、ただの交渉の切り札としてではない」
 「・・・・・」
 「そなた自身に価値があると思ったからだ」
 「僕の、価値?」
 莉洸は不思議そうに稀羅の言葉を繰り返した。本当にその意味が分かっていないようだ。
長兄、次兄と、目立つ兄弟がいる莉洸は、王子として生まれながら今だ国の役にたっていない自分にどれほどの価値があるのか
分かっていないのだろう。
ただそこにいるだけで心が安らぎ、柔らかな美貌に心を震わせることが出来る・・・・・光華国の貴重な光と自分が言われているこ
とを知らないらしい莉洸に、稀羅は改めてその価値を説いた。
 「光華は、どんなことをしてでもそなたを奪還するはずだ」
 「・・・・・」
 「それ程に、光華にとってはそなたが大切だという事だ」
真っ直ぐにその目を見つめると、莉洸は動揺したように視線を逸らす。
 「で、でも、僕・・・・・」
 「・・・・・王子、町で初めて会ったことを覚えているか?」
 「え?」
 「暴れ馬からそなたを救った時、私の心の中には何の邪まな思いも無かった。ただ助けたかった・・・・・それだけだ。だが、その後
に思ったのだ、光華の光の象徴でもあるそなたが欲しいと」
 「・・・・・」
 「欲しいものを手に入れる為には、どんな手段を講じようとも手に入れる。今回の事はそれを具現しただけだ」
 「そ・・・・・な・・・・・」
 「例えこの先光華国が取引を申し出てきても私は応じない。もう欲しいものは手に入れているのだ、取引するものがないであろ
う。王子、そなたももはや光華に帰れるとは思わないでくれ」



 稀羅が何を言っているのか、莉洸には理解出来なかった。
政治手腕があるわけでもなく、武術に優れているわけでもなく、ただひ弱で役立たずなだけの自分に、とても取引をするだけの価
値があるとは思っていなかった。
それが、取引を優位に運ぶ為の手段ではなく、莉洸自身が欲しいという事で今回の事を起こしたとは・・・・・。
 「・・・・・っ」
 「・・・・・」
 思わずその場に崩れそうになった莉洸は、逞しい腕に支えられて身体を床に打ちつけることは無かった。
 「・・・・・蓁羅・・・・・王」
途切れ途切れにその名を呼ぶと、赤い目がじっと自分を見下ろしている。
 「ぼ・・・・・くは、どうなるんです、か?」
 「どうなると思う?」
 「・・・・・殺す?」
 「殺すはずが無い。討たれるのを覚悟で敵地まで乗り込んで手に入れたものだ」
 「・・・・・」
稀羅の手がゆっくりと莉洸の背中を撫でた。
 「光華では知らぬが、我が蓁羅では同性婚も認めている。・・・・・王子、我が花嫁になるか?」
 「!」
 莉洸はパッと稀羅の顔を見た。
 「花・・・・・嫁?」
(僕が・・・・・蓁羅の、王と?)
信じられなかった。
光華国でも同性間の結婚はままあるものの、王族で今まで同性婚をした者はいなかった。
王族は国の為、子孫を残すという事が大きな義務の一つだからだ。
莉洸自身、あまり男らしい見掛けではなかったが、将来は優しい女性と結婚して、自分の子をこの世に送り出すのだと漠然とだ
が思っていた。
それが、この稀羅の花嫁となってしまったら・・・・・。
(僕は、王子としての矜持を無くしてしまう・・・・・っ)
 莉洸が答えるのを待っているわけではないだろうが、稀羅は莉洸の顔から目を逸らさない。
間近にある赤い目を見るのも怖くて、莉洸は目を閉じると小さく言った。
 「・・・・・なりません」
 「・・・・・」
 「僕は、あなたの花嫁には、なりません」
 フッと、稀羅が笑った気配がした。
 「ならないという返事は必要ない」
 「・・・・・」
 「私がすると言えばそうなる」
 「・・・・・っ」
唇に何かが触れた。
目を開けるのは怖いが、その正体が何なのか・・・・・莉洸は確かめなければと思い、少しだけ目を開く。
 「!」
(く、口付・・・・・け?)
驚くほど間近に稀羅の顔があった。
そして、その顔が、唇が自分に触れていると分かった瞬間、莉洸は混乱したように稀羅の腕の中で暴れたが、大人と子供ほども
ある力の差で莉洸は押さえつけられる。
 「・・・・・ん〜っ」
 なぜか・・・・・口付けは重なるだけで、しばらく経って唇は離れていった。
目にいっぱいの涙を溜めて自分を見る莉洸に、稀羅は一瞬眉を顰めた後・・・・・低く囁いた。
 「逃がしはせぬぞ、王子」