光の国の恋物語
34
「お熱が下がらないのです。それ程高くはないのですが、お食事も召し上がらないし・・・・・」
「この国の気候が合わないのだろう」
(誰・・・・・だろ、側で話してるのは・・・・・)
莉洸は身体中が熱いまま、声のする方を向こうとしたが、どうしても身体が重くて寝返りもうてない。
すると、そっと頬に何かが触れた。
ひんやりと冷たいそれはどうやら掌らしく、莉洸の熱い額や頬を優しく撫でてくれている。
王宮内では誰からも・・・・・それこそ厳つい大臣から下級兵士、召使いに至るまで全ての人間から可愛がられていたが、こんな風
に自分に優しく触れてくれる大きな手の主は・・・・・。
(に・・・・・さま?)
「莉洸・・・・・」
「・・・・・」
大切なものを呼ぶように、莉洸の名を呼んでくれる。
頼もしく優しい兄達のどちらかが、莉洸を心配してついてくれているのかもしれない・・・・・朦朧とした頭でそう考えた莉洸は、僅か
に唇を綻ばせてその手に擦り寄った。
「兄・・・・・さま・・・・・」
「・・・・・っ」
「・・・・・?」
不意に、優しい手の動きが止まった。
莉洸はもっと撫でて欲しいと擦り寄るが、その手は無情にも離れていく。
(どうして・・・・・?)
悲しくなった莉洸は、重い瞼を一生懸命押し開いた。
「・・・・・っ」
目の前には、赤く輝く瞳があった。
動けない寝台の中でも後ずさろうとした莉洸の動きが分かったのか、稀羅は皮肉気に口元を歪めながら、莉洸の顔を覗き込む
ようにして屈めていた腰を伸ばした。
「王子、体調を崩すほどにこの国の気候はそなたには合わぬのか」
「稀・・・・・羅王」
「しかし、どれほどそなたが弱っても・・・・・例え生死の境を彷徨う事になったとしても、そなたを光華に返すという選択はない。そ
れを期待してのことならば諦めろ」
「ぼ、僕は、そんな・・・・・」
「この国は王子の祖国のように豊かでないのはもはや承知しているだろう。そなたに飲ます薬も豊富にあるわけではないのだ。何
時までも長々と床に伏せられていても困る」
「ご、ごめんなさい・・・・・」
「・・・・・謝罪の言葉など要らぬ。それよりも早く回復しろ」
「・・・・・」
稀羅の言葉は莉洸の胸に深く突き刺さった。
確かに、この国の現状を思えば、薬一つ、食事の食材一つ、無駄には出来ないだろう。
ここに連れて来られたのは莉洸の本意ではないが、少しでも早く回復しなければ更に周りの人間に迷惑を掛けてしまう。
(・・・・・助けて、兄様・・・・・)
俯いた莉洸の目からポタポタと零れる涙が上掛けを濡らした。
「・・・・・わか・・・・り、まし、た」
「・・・・・」
「直ぐに・・・・・直ぐになおし・・・・・」
それ以上言葉が続かず、莉洸は洩れそうになる嗚咽を堪えるように唇を噛み締める。
「・・・・・」
しかし、稀羅は何も言わないまま、踵を返して部屋から出て行った。
莉洸にあてがわれた部屋から出てきた稀羅の顔を見て、側近の衣月の顔が青褪めた。それ程に稀羅の表情が険しかったから
だ。
「稀羅様・・・・・」
「・・・・・」
稀羅はもどかしかった。
莉洸に対して思うことはなかった。優しく、丁重に扱い、居心地良くこの国で過ごして欲しいと思っていた。
しかし、莉洸は怯えるばかりでなかなか心を開こうとはしてくれず、更に元々幼い頃は身体が弱かったと聞いていたが、蓁羅の気
候が合わなかったのか身体の調子を崩したままで、ここのところずっと床に伏せっていた。
何も心配することは無いと、言ってやりたかった。
そなたの命は保障するし、無意味な争い事も起こす気はないと教えてやりたかった。
ただ、莉洸がこれ程稀羅に心を許さないと、稀羅も優しい言葉を掛けてやる切っ掛けが見付からない。
「・・・・・光華の状況は?」
「兵を徴集している様子は無いようです。近隣の国々にも今回の事はまだ伏せられているようで」
「・・・・・このまま王子を見切るという事は・・・・・ありえんな」
「はい」
あれほど家族に、そして国民にも愛されている莉洸だ。いくら光華国の王が争いを好まないといっても、このまま見捨てることは
ないだろう。
そして、国境の門の前で血を吐くような声で莉洸の名を絶叫していた第一王子・・・・・次期光華国の王になるであろう、洸聖。
品行方正で眉目秀麗な、まさに生まれながらにしての王子といった洸聖だが、あの時、莉洸を腕に抱いた自分を睨みつけてきた
あの目は、けして心優しい王子のものではなかった。
(あ奴は・・・・・必ず来る)
「監視は怠るな。少しでも動きを見せたらこちらも動けるように」
「それは心得ておりますが・・・・・稀羅様」
「何だ」
「莉洸王子をどうされるおつもりでしょうか?」
「・・・・・」
稀羅は足を止めて衣月を見た。
「どういうことだ」
「光華国に対する要求の切り札として扱われるのか、それとも、我が蓁羅の積年の敵相手に見せしめの為に・・・・・その命を奪
うのか・・・・・っ」
全てを言う前に衣月は口をつぐんだ。
稀羅の赤い瞳が、まるで射殺すように衣月を射抜いたからだ。
「王子は殺さない」
「・・・・・稀羅様」
「あれはもう・・・・・私のものだ」
街中で初めて出会った時から、この腕の中に柔らかく花のように匂い立つ身体を抱きしめた瞬間から、莉洸の全ては自分のも
のだった。
(命を奪うなど・・・・・絶対にない)
「衣月、今後そのような言葉を言えば、お前の舌を切り落とす」
「・・・・・っ」
「出来るだけ王子の心地良いように全てを整えろ。服も食事も、何もかもだ。もう、光華国に帰りたいなどとは思わぬようにな」
「・・・・・御意」
衣月は深く頭を垂れた。
一瞬、莉洸のいる部屋の扉を振り返った後、残る思いを断ち切るように歩き出した稀羅の後ろ姿を見送りながら、衣月は今
回の事が蓁羅にとって・・・・・いや、稀羅にとって良かったのかどうか不安に思い始めていた。
当初、光華国に対する敵対心の為に莉洸を略奪してきたのだと思っていたが、思いの外稀羅の莉洸に対する執着は大きいよ
うだ。
(莉洸王子が王女ならば・・・・・)
女ならば、婚姻という血を流さない侵略が出来たのだろうが、王子ではそれも叶わない。
それに、何時までも莉洸に執着をしているようでは、稀羅自身の世継ぎの問題も出てくるだろう。
建国が浅く、そもそもの独立理由が理由だけに、ここ蓁羅には王族という者がいない。稀羅だとて兵士だった。
今のこの国をここまで他国に物を言える様にしてくれた稀羅を国民は皆敬愛し、その伴侶と世継ぎを皆が心待ちにしている。
そんな中、稀羅が男に、それも宿敵国の光華国の王子にうつつを抜かしているということを知られては・・・・・。
(反乱が起きるやもしれぬ・・・・・)
極々少数とはいえ、稀羅に反発を感じる者も全くいないわけではないのだ。
(王はいったい・・・・・どうなさりたいのか)
衣月はその者達の反応を思い、深い溜め息をついてしまった。
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