光の国の恋物語
36
洸竣は窓の外を見つめた。
暗雲がたちこめている空は、もう間もなく雨が降り始めるだろう。
「・・・・・もう、着いている頃かな」
「・・・・・」
「兄上、心配じゃない?」
「・・・・・洸竣、お前はいったい何をしている?私に愚痴を言っているだけで、蓁羅へ向かった悠羽達が無事に戻るとでも思って
いるのか?」
「兄上・・・・・」
辛辣な洸聖の言葉に、洸竣は言葉に詰まって俯いてしまった。
悠羽が、洸莱とサラン、黎を伴って王宮を旅立ってから既に10日をゆうに超えた。
少し遠回りをするとは言っていたものの、もう蓁羅へ着いていてもおかしくはない頃だろう。
行ってきますという言葉を置いて黎が旅立った後、洸竣は自分が何をしていいのか分からなかった。
父王からは勝手な真似はしないようにと強く言われたし、兄洸聖は諸外国との交渉に追い立てられていた。
そんな中、自分にいったい何が出来るのか・・・・・あの痩せた小さな黎さえも、過酷な旅を続け、命の危険さえもある蓁羅に乗り
込んでいるというのに・・・・・。
「・・・・・」
「洸竣」
どうしたらいいのか分からないまま、度々兄の執務室に向かい、そしてじっと窓の外を見ているしか出来ない自分。
情けなくて仕方ないのに、誰かの指示を待つしか出来ないのがもどかしくてつい洸聖に向かって愚痴を零していたが、昨日までの
兄はそれでも黙って書類に目を落としていた。
「兄上」
「お前にはお前にしか出来ぬことがあるだろう?」
「・・・・・私、しか?」
「何の為に今まで街で遊び人を装ってきた?お前の馴染みの酒場や女達が持っている情報を安易に思うな、洸竣。人は酒を
飲み、女を抱けば口が軽くなる。蓁羅へ行った者も、蓁羅から来た者も、1人もいないというほど我が国は小国ではないぞ」
「・・・・・っ、出てきます」
(なぜもっと早く気付かなかった・・・・・っ)
自分しか出来ないことは確かにある。
洸竣は今まで動かなかった自分を叱咤しながら、急いで街に出る準備を始めた。
洸竣が部屋から出て行くと、洸聖は持っていた書状を机の上に投げ出して立ち上がった。
「・・・・・出来ること・・・・・か」
それは、洸竣にだけ向けられた言葉ではない。洸聖は自分自身にもその言葉を言い聞かせていた。
「・・・・・」
今自分がしている各国との交渉も、元はといえば父からの助言だった。
元々同一の国であった光華と蓁羅の諍いに乗じて他国がこの二カ国に手を出さないよう、あらかじめ釘をさしておいた方が良い
との父の言葉があり、洸聖は情報が洩れてしまった時のことを念頭において書状を交わしていた。
しかし、もっと他に自分に出来ることは無いかと思って焦ってもいる。
連れ去られてしまった莉洸はもちろん、危険な情報収集に自ら向かった悠羽のことを考えると、洸竣のことを笑っていられないほ
どに溜め息ばかりが洩れてしまうのだ。
(無事に戻ってこれるか・・・・・)
「同志にならせてくださいませ、洸聖様」
今までの洸聖の常識を次々と打ち破り、目の前に鮮やかな世界を広げてくれた悠羽。
自分に向かってきっぱりと言い切り、その上王である父にも自分の意思をしっかり伝えて、結局今回の蓁羅行きを納得させてし
まった悠羽。
大切な自分の・・・・・妃。
(私は何を・・・・・)
彼の為に自分が出来ることは何だろうか思いながら、洸聖は拳を握り締めていた。
その夜ー
「・・・・・」
今まで淫らな声が響いていた光華国の王、洸英の部屋が静まりかえり、やがてゆっくりと洸英は寝台の上で起き上がった。
20歳を過ぎた子供を筆頭に、4人もの子持ちとは思えないほどの鍛えた逞しい裸身が月夜に浮かぶ。
続いて、真っ白い身体が洸英の隣に起き上がった。
「・・・・・行くか?」
「はい」
「・・・・・」
男とも女とも決めかねる不思議な声の持ち主は、そのまま静かに寝台から立ち上がった。
全裸の身体は眩しいほど白く、ほっそりとしていて、まるで人ではないような雰囲気だった。
「・・・・・」
まるで羞恥を感じていないかのようにゆっくりと手を動かして服を身に纏っていく相手の様子をじっと見つめながら、洸英は硬い口
調で訊ねた。
「何日で着く?」
「私の馬ならば5日で。首都へは7日もあれば大丈夫でしょう」
「すまぬな」
「何をおっしゃいます。私にとって王は唯一のお方。その方の御為ならば、どのようなことも厭いませぬ」
「・・・・・」
(だから、だ)
目の前の人物が自分の為にはどんなことでもすることが分かっていて、命さえも喜んで差し出すことを知っていて、その上で頼むと
言う自分がかなり身勝手だとは分かっている。
だが、莉洸も洸莱も、自分にとっては大切で可愛い子供で、絶対に失いたくはない命なのだ。
「・・・・・」
しかし、目の前のこの相手も、自分にとって大切な存在であることには変わりない。
この相手にだけは、洸英は快楽を分け合うだけの女達とは違う思いを確かに抱いていた。
「王」
「・・・・・」
「何を考えておいでですか?全てはこの光華の、そして王の為になることです」
「・・・・・」
見返りも何も要求せず、ただ洸英の為だけを考えて動くこの相手が、とても哀れで・・・・・愛しい。
「しばらくお前の姿が消えたことは内密にしておく。身代わりの手筈は」
「既に控えております」
「そうか」
これ以上何を言おうか・・・・・。話をしている間は旅立つことが出来ないと思っているせいか、何時もは沈黙が多いこの場で無
理に話を続けようとすると、着替えを終えた相手が振り向いた。
「・・・・・」
見慣れた何時もの格好・・・・・頭からすっぽりとマントを纏った姿のその相手は、綺麗な青い目だけを見せてゆっくりと跪くと、その
まま洸英の手をとって掠めるだけの口付けをした。
「それでは」
「・・・・・生きて戻れ」
「・・・・・ありがとうございます」
「・・・・・」
「・・・・・」
音もなく立ち上がってドアに向かおうとした相手の手を、洸英は反射的に掴んでしまった。
「王?」
不思議そうな、困ったような声が自分を呼ぶ。
これは全て洸英自身が決めたことなので今更前言を撤回するつもりはなかったが、それでも別れがたい思いというものは簡単には
消す事は出来なかった。
「王、お離し下さい」
「・・・・・」
そっと洸英の手に触れてその手を自分の手から離すと、相手はゆっくりと頭を下げる。
「・・・・・和季」
「行ってまいります」
僅かに青い目を細めてそう言うと、長年影人として洸英に寄り添っていた和季は、そのまま音もなく洸英の寝室から出て行った。
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