光の国の恋物語
39
「・・・・・っ」
(こ・・・・・わい・・・・・っ)
今までの生活の中で、莉洸はこれほど強く命の危機というものを感じたことはなかった。
光華から連れ出される時も鈍い剣の光を間近に見たものの、殺されるとまでは思わなかった。
それが、今、稀羅の視線だけで肌が切り裂かれるほどの強い恐怖を感じる・・・・・。
(今までの稀羅王には・・・・・こんな冷たさは感じなかった・・・・・っ)
しかし、本来はこれが蓁羅の王、稀羅の顔なのかもしれないと思い、莉洸は今まで自分が見てきたのはいったい彼のどんな部分
なのかと混乱した。
「光華の王子」
低い声が、静かにその名を呼んだ。
「そなたは罰を受けなければならない」
「ば・・・・・つ?」
「蓁羅の王である私に意見を言った、その勇気は褒めてやろう。だが、居並ぶ臣下の前で侮辱されたことを、私がこのまま許す
とは思うまいな」
「そ・・・・・な・・・・・」
今になって、莉洸は自分がどんなに馬鹿な事をしたのか思い知るが、とっさに身体が動いてしまったことを後悔しても仕方がな
い。
いや、たとえ謝ったとしても、稀羅が許してくれることはないと思った。
剣を構える稀羅も途惑っていた。
王である自分の意向を全く聞かずに勝手な行動を取った臣下へ罰は、例えそれが自国を思っての行動だったとしても罰を与え
なければならない。
斬るのは可哀想だという莉洸の甘い気持ちは通らないのだ。
「・・・・・」
そして、こうして王に歯向かった莉洸にも、何らかの罰を与えなければならなくなった。
「王!お止め下さい!」
「罰は私達が!」
跪いた臣下達が口々に叫んだ。
幾ら敵国の王子だとはいえ、見るからに幼く力の無そうな少年に太刀を浴びせることは出来ないと思ったのだろう。
軍隊長が莉洸の身体を押し退けて前へ出ようとしたが、稀羅は一睨みでその動きを止めた。
「もはや、お前達だけの問題ではない」
「王!」
「そうであろう、光華の王子。そなたも覚悟は出来ておろう」
「・・・・・ぼ、僕は・・・・・」
真っ白で、小さな掠り傷さえない綺麗な莉洸の身体。
苦労など全くしたこともないであろう、大切に大切に愛しまれた身体。
「・・・・・っ」
あの肌に最初に傷を付けるのは自分なのかと、暗い興奮が稀羅を襲った。
「覚悟しろ」
殺しはしない。
しかし、痛みは与えなければと剣を振り上げた稀羅は、そのまま莉洸の腕に向かって剣を振り下ろした。
「!」
熱い痛みが身体を襲った・・・・・はずだった。
(え・・・・・?)
しかし、感じたのは重み。
自分を正面から抱きしめるように覆い被さった衣月の重みだった。
「あ・・・・・」
「・・・・・衣月」
「恐れながら、稀羅様のお怒りを受ける覚悟で申し上げます。莉洸王子は大切な人質、何も交渉が始まっていない今の段階
で傷付けることは賛成いたしかねます」
そう言いながら、衣月は莉洸から離れると、その身体を背にするように稀羅に向き直る。
「!!」
(せ・・・・・なか・・・・・っ!)
莉洸の目に映った衣月の背中には、剣で斬られた傷から血が滲んでいた。
けして殺すつもりではなく、傷をつけるとしても皮一枚を斬るくらいにしか思ってはいなかった。
しかし、いきなり動いた衣月の身体に手加減が出来ず、そのまま背中に一太刀を浴びせてしまった。
「恐れながら、稀羅様のお怒りを受ける覚悟で申し上げます。莉洸王子は大切な人質、何も交渉が始まっていない今の段階
で傷付けることは賛成いたしかねます」
きっぱりと自分の目を見つめながら言う衣月の口調に乱れはなかった。
それ程に深い傷ではなく・・・・・しかし、けして軽い傷でもない。
現に切り裂かれた服から流れる血は止まらずに流れ続けている。
「衣月」
「確かに、軍隊長らが先走ってしまったことは、稀羅様からすれば謀反にも近い行為かもしれません。しかし、皆蓁羅を、稀羅
様を思ってのことなのです、どうか温情あるご処置をっ」
「・・・・・」
「稀羅様!」
「・・・・・」
稀羅は何と言っていいのか分からなかった。
内心ではもちろん、国を思う臣下達を許したいと思うし、稀羅の剣を止めることはせずに自らを斬らせた衣月の気持ちも痛いほど
分かる。
「・・・・・稀、稀羅様、僕からもお願いしますっ」
無言のままの稀羅に、今まで放心したように座り込んでいた莉洸が我に返ったようにその場に跪いた。
あれほどの大国の王子が、これほど人がいる前で膝を折る・・・・・稀羅だけではなくその場にいた全員が驚いたように目を見開い
た。
「王子・・・・・」
「僕が出すぎた真似をして、王の顔に泥を塗るような真似をしてしまったこと、深くお詫びいたします。でもっ、どうかその剣で人を
傷付けることはお止め下さい!」
「・・・・・」
「どうか、どうかお願いしますっ」
「・・・・・」
「稀羅王!」
稀羅は負けたと思った。
子供だと思っていた莉洸に、いや、子供だからこそ、これ程素直に頭を下げられるのかもしれないが、どうやら自分は何の驕りも
無駄な矜持もない、本当に光と称される無垢な莉洸に、何時の間にか心の奥底まで魅了されていたようだ。
「罰は衣月が受けた」
「・・・・・!」
「傷の手当を」
「はい!」
弾かれたように何人かが広間から出て行き、側にいた莉洸も自分の小さな手で傷を押さえようとしている。
「王子、お手が汚れます」
「そんなの関係ないよ!」
「王子、ここは我々が」
「誰でもいいの!早く、早く医師を呼んであげて!」
連れ去られた敵国で、必死になって敵人の傷を心配する莉洸。
その心の優しさはその場にいる全ての人間にジワジワと浸透していくようだった。
(光華の光とは・・・・・まさにこのことなのか・・・・・)
人々から愛されて育ったからこそ、莉洸は誰にでも無償の愛を注げる。意識せずに、自然に身体が動くことが出来る。
「・・・・・」
稀羅は騒ぐ一団に背を向けた。衣月を傷付けた自分には、ここに居場所が無いと思ったからだ。
その背中に、
「ありがとうございます!稀羅王!」
莉洸の声が掛かった。
「ご温情、感謝致します!」
「・・・・・」
思わずといったように、稀羅の口元に苦笑が浮かぶ。
しかし、背を向けた稀羅のその笑みを見た者は誰もいなかった。
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