光の国の恋物語
41
「本当にごめんなさい」
莉洸は寝台の上に起き上がった衣月に向かって深く頭を下げた。
稀羅が衣月に負わせた傷は、血が流れたわりにはそれ程深いものではなかったようだ。傷を負うはずだった莉洸に対して、稀羅は
それなりに手加減をしてくれていたらしい。
それでも、衣月が傷付いてしまったことには変わりはなく、莉洸は涙を我慢して真っ赤になった目を衣月に向けて何度も繰り返し
謝罪した。
「・・・・・もう、よろしいですよ」
自分が止めるまで莉洸が謝り続けるのだとようやく分かったらしい衣月が静かに言った。
「これは、稀羅様の剣の前に出た私自身の責任ですから」
「でも、僕が怒らせなかったら・・・・・」
「あなたが稀羅様の面前に出なければ、あの3人は間違いなく斬られていたでしょう」
「え・・・・・」
「軍隊長は剣を振るう腕を切り落とされ、大臣は書類を見る視力を奪われる。命を助ける代わりに、その者が一番苦痛を感じ
る罰を与える・・・・・それは仕方がないことなのです」
「・・・・・」
淡々と説明をする衣月の言葉に、莉洸は叫びださないようにするのが精一杯だった。
事実だけを聞けばどんなに恐ろしいことをするのだと思うが、一国を統べる王からすればこの位の処罰は当たり前なのかもしれな
い。
甘い顔をすれば、王自身が足元をすくわれかねないのだ。
(父上も・・・・・こんな風に厳しい沙汰をなさっておいでなのかな・・・・・)
莉洸にはとても甘い父親であるが、大国光華の頂点に立っている王である洸英。きっと、莉洸の知らない所で、厳しく冷酷な判
断をしているのかもしれない。
「莉洸様?」
黙り込んだ莉洸を、衣月が気遣わしそうに見つめてきた。
その視線に、莉洸は少しだけ笑みを見せる。
「許してくれてありがとう」
「・・・・・礼など、どうして言われるのです?」
「え?」
「私達はあなたを光華から攫ってきた人間なのですよ?こういう目に遭って当然とは思わないのですか?」
「・・・・・ううん、思わない」
それこそ、今衣月に言われてようやくその事実を思い出したくらいだ。
「僕って・・・・・暢気だな」
「おかしな方ですね」
違うとは反論出来なくて、莉洸は困ったような笑みを浮かべてしまった。
衣月の休んでいる部屋から出ると、莉洸は稀羅の元に行こうと思った。
「あ、あの、稀羅王の元に行きたいんですけど・・・・・」
「はい」
部屋から勝手に出てしまった莉洸には、今は素晴らしく体格の良い2人の護衛がピッタリと付いている。これで逃げる機会は失わ
れてしまったが、今の莉洸にはそんな気持ちは無かった。
(稀羅王のご機嫌は・・・・・)
怖いという思いは消えてはいないが、あの状況で莉洸を許してくれたのだ、礼を言わなければと思った。
「莉洸様!」
「え?」
廊下を歩いて間もなく、莉洸は不意に呼び止められた。
慌てて振り向くと、そこには先程莉洸が背に庇った軍隊長が片膝を着いて控えていた。
「先程はありがとうございました、感謝致します」
「い、いえ」
莉洸よりも遥かに大きく、まるで大きな動物のように顔中に髭を生やした軍隊長は、深く頭を垂れて言った。
「あの時、自分の身が傷付けられることも厭わないで我らを庇って頂いたこと、深く・・・・・深く、感謝致します」
「そ、そんなっ、僕は結局何も出来なくて、かえって衣月さんに傷を負わせてしまいました・・・・・」
「あなたがいらっしゃらなければ、王の太刀はまだ深く我らの身体に食い込んでいたことでしょう。衣月があの程度の傷であったの
は、やはりあなたのおかげなのです」
「・・・・・あの、光華に書状を送られたのは・・・・・あなた方なのですよね?」
元々稀羅の怒りを買ったのは、臣下である軍隊長達が勝手に莉洸の処遇を決めようとしたからだ。
莉洸が部屋を飛び出してあの場に駆けつけたのも、その書状を撤回してもらう為だった・・・・・莉洸はふとそのことに気が付いたの
だ。
「そうです。我らが王の御意思を確認しないまま、光華へその条件を提示しました」
軍人らしく、軍隊長は言い訳などはしなかった。
「あなた様も王宮に来られるまでの道のり、我が国がどれだけ貧しいのか目の当たりにしたと思います。王もこの状況を打破し
ようと色々策を講じておられるが、元々の手にしていたものが限りがあるのです、どれ程のことが出来るのか・・・・・」
「・・・・・」
「歴代の王からすれば、稀羅様は我らにとって素晴らしい王です。頭も良く、実行力もあり、何よりこの蓁羅の国と国民を愛し
ていらっしゃる。ただ、莉洸様、気持ちだけでは何も変わらないのです・・・・・っ」
「・・・・・」
悪い人間など、いないのかもしれない。
貧しい現状を変えようとする手段の為に、自分がこの国に連れて来られたとしたならば・・・・・。
(僕にも・・・・・何か出来ないだろうか・・・・・)
莉洸が愛する光華の国のように、この蓁羅もどうすれば豊かで平和な国に出来るか、莉洸は真剣に考え始めた。
稀羅は自分の手をじっと見つめた。
既に湯を浴び、服も着替えて、人を斬った形跡は皆無といってもいい。
しかし、この見下ろしている手には明らかな血の跡が見える気がする。
(こんな手で、王子に触れようとしていたのか・・・・・)
あのまま衣月が自分を呼びに来なければ、もしかしたらそのまま莉洸を・・・・・。そう思うと身体が震えた。
「・・・・・」
トントン
突然、ドアが叩かれた。
稀羅は直ぐに意識をその方向へ向ける。
「何だ」
「莉洸様が王にお会いしたいと」
「・・・・・王子が?」
(あんなことがあったばかりなのに?)
いきなり部屋で押し倒し、その唇を奪った時は目を丸くして硬直していた。
剣を振り上げた時、恐怖で真っ青になって、怯えたような目で自分を見つめていた。
そんな出来事からまだそう時間は経っていないのにどういうつもりなのだろうか・・・・・?不思議に思いながらも稀羅は入室を許可
した。
「・・・・・」
「・・・・・」
ゆっくりとドアが開かれ、莉洸がおずおずと中に入ってくる。
服は着替えたようで、衣月を抱きしめた時に付いていた血痕はどこにも見当たらなかった。
「どうされた、王子」
「・・・・・ここが、稀羅様のお部屋ですか?」
「あまりに質素なので驚いたか」
「い、いえ、そんなっ」
稀羅は笑った。
莉洸がそう思っても仕方がないくらい、稀羅の部屋は簡素な造りだった。
元々執務に追われている為、部屋には寝に戻るといった状態だし、部屋を飾り立てる趣味もなく、お金も無い。
この部屋の中には衣月くらいしか入ったことが無い。
臣下はもちろん、女を連れ込んだという事も無く、莉洸がいるだけで部屋の中が華やかになったような気がして、稀羅は苦笑が零
れた。
「稀羅様、先程は・・・・・すみませんでした」
「それは何の謝罪だ?」
「王として、あなたが臣下に下そうとした罰を途中で止めてしまったこと・・・・・出過ぎたことだと思います。本当に、申し訳ありま
せんでした」
「・・・・・それで?」
莉洸が何を言いたいのかが計りかねて、稀羅は表情を変えないまま先を促す。
莉洸は少し困ったような顔をして、キュッと唇を噛み締めた後・・・・・小さな声で、しかしきっぱりと切り出した。
「この国を・・・・・蓁羅を救う為に、僕に何が出来るでしょうか?」
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