光の国の恋物語
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「王、本日の商人の申告書です」
執務室に入った稀羅は、そこにいるのが側近の衣月ではないことに一瞬眉を顰めた。
しかし、それが自分が傷をつけてしまった為だということに直ぐに気付く。
「衣月の容態は」
「微熱があるようですが、刃傷は深くありません。衣月殿も直ぐにでも職に戻るとおっしゃられてましたが、医師がせめて今日一
日休むようにと申されて」
「そうか」
稀羅の心の内を、稀羅が言葉にしなくても分かってくれている衣月という存在。
王座に就いてから・・・・・いや、それ以前の部隊にいた頃から、常に稀羅に寄り添ってくれていた衣月を不本意ながら傷付けたこ
とは後悔をしている。
けして口にはしないが。
「・・・・・王」
「なんだ」
「・・・・・王子はどうされているのでしょうか」
稀羅は書面から顔を上げ、目の前に控えている役人を見た。
今まで臣下達が莉洸のことを聞くことなどはなく、蓁羅の民の中には光華への反発を抱いている者が多いせいか、目に見えぬ空
気のように見てみぬフリをしている者達がほとんどだった。
その空気が、昨日の出来事から一変したのを稀羅も感じていた。
稀羅の剣を前に、小さな身体で臣下達を庇った話は既に王宮内では知れ渡っていて、その大国の王子らしからぬ義侠心に感
銘を受けた者は少なくなかったらしい。
「・・・・・王子は衣月の元に行ったようだ」
「衣月殿の?」
「何かをしていないと落ち着かないのであろう」
稀羅は役人の質問を打ち切るように、再び書面に視線を落とす。
しかし、その頭の中には、昨日の困惑してしまった莉洸の面影が鮮やかに蘇っていた。
「我が妻になれ、王子」
考えれば、それが一番いい方法なのだ。
莉洸が欲しい稀羅と、光華の力が欲しい蓁羅。
争わずに両方を手に入れるのはやはり縁戚関係を結ぶのが一番で、王女のいない光華から誰を迎えるかは・・・・・選ぶまでも無
い。
今まで王妃が男だという国があるとは聞いたことがないが、自分がその先駆けになるのも面白いと思った。元々王族などではない
民間の出の稀羅だ、血を残すという事に執着はない。
(前回送った書状は違うという使いを出すか・・・・・いや、いっそ莉洸を連れて光華に正面から乗り込むか・・・・・)
「・・・・・これは?」
流すように書面を見ていた稀羅の視線が不意に止まった。
「何か?」
「青い指輪とは?」
「ああ、これは是非にと商人が差し出してきたものです。調べましたが細工をされている様子はありませんし、職人に見せてもか
なりよい品だということです」
「・・・・・見せろ」
「ただ今」
一礼した役人が執務室を出て行く。
稀羅はポンとその文字を指先で叩いた。
「青・・・・・」
清廉で透明な莉洸に、よく似合う色のような気がした。
洸莱は他の商人達と一緒に一室に入れられて待たされていた。
審査はほぼ1日掛かるらしく、その間は王宮の外には出れないらしい。
(外と連絡を取る手段は無いのか・・・・・)
小さな窓から外を見つめていた洸莱は、ふと目の前に人が立っていることに気がついた。
「・・・・・」
(何時の間に・・・・・)
気配が全く感じられない相手に、洸莱の警戒は強くなる。
「大変ですね、長い時間待たされて」
「・・・・・ええ」
(・・・・・誰だ?)
穏やかに笑い掛けてきたのは・・・・・多分、男だろう。迷うのは、女のように繊細な容貌に、マントを羽織っても感じられる華奢な
姿のせいだ。
ほとんど表情が変わらないのに、その瞳だけは笑んでいる。綺麗な青い瞳だ。
「こちらには初めてですか?」
「ええ」
「私も、王宮に足を踏み入れるのは初めてですよ」
「・・・・・あなたは、どちらの?」
初めて会うはずの洸莱に、なぜこんなにも親しく話し掛けてくるのだろうか?
敵意は感じないものの不気味さは拭えない洸莱に対し、その人物は隣に腰を下ろしながら言った。
「私は和季」
「・・・・・和季?」
頷いた男・・・・・和季は、そっと洸莱の耳元に唇を寄せて囁いた。
「ご心配なさらぬよう、王子。後は私にお任せを」
「お前は・・・・・」
「ご気分が優れないようですね、王子」
「そ、そうですか?」
「お疲れならばお部屋にお戻り下さい。私の看病で調子を崩されたりしたら、我が王に叱責を受けてしまいます」
「ご、ごめんなさい、僕は大丈夫」
部屋で1人でいると色々考えてしまうので、莉洸はまだ療養している衣月の部屋を訪れていた。
しかし、言葉数の少ない衣月とは、身体の調子を訊ねる会話が終わってしまうと、どうしても沈黙に支配されてしまう。
そうすると、莉洸の頭の中に浮かぶのは稀羅の言葉だった。
「無血で2カ国が手を結ぶのにはどうすればよいと思う?」
「そなたが私の花嫁となって、この蓁羅の国に嫁いでくればよい」
「無血での和解の方法など、ごく限られているぞ」
光華から攫われた時も、花嫁にならないかと言われ、口付けをされた。
しかし、その時莉洸は攫われたショックと、殺されるかも知れない恐怖で頭がいっぱいで、その言葉の真意まで考えることが出来
なかった。
あの時はそう言った稀羅自身、半ば莉洸を脅す冗談のような口調だったという記憶もある。
ただ、昨日のあの言葉は・・・・・とても真剣な響きだった。
多分、稀羅は本気で莉洸を花嫁に娶るつもりなのだろうし、稀羅が言った通り、戦を起こさないで今回のことを解決する方法は
それぐらいしかないのかもしれない。
(でも、僕は男だ・・・・・)
「王子」
「・・・・・」
「莉洸王子」
「あ、うん、何?」
ぼんやりと考え込んでいた莉洸は慌てて顔を上げた。
「・・・・・王子は稀羅様を恐ろしい方だとお思いかも知れませんが、あの方はけして激情だけで人を傷付ける方ではありません」
「え・・・・・だって・・・・・」
「私のこんな掠り傷で全てを帳消しになされたのです」
「掠り傷って・・・・・」
剣で斬られ、あれほどの血が流れてしまったというのに、衣月にとってはたいした傷ではないというのだろうか。
「荒れ果てたこの国を立て直すのに、王は想像を絶する苦労をされてこられました」
「・・・・・」
「本来のあの方は、とても優しく、そして・・・・・淋しい方です」
「・・・・・」
「どうか、王子、あの方の真の姿をご覧になってください」
「・・・・・」
(優しくて・・・・・淋しい?)
今までの言動からはとても想像出来ないが、目の前の衣月が嘘をついているようには見えなかった。
じっと莉洸が見つめていると、視線を合わせた衣月が微かに笑う。
その笑顔に途惑った莉洸は困ったように視線を逸らすと、窓から見える空へと視線を移した。
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