光の国の恋物語





51









 直ぐ側に、莉洸と稀羅の気配を感じる。
洸莱は身体が動かないようにしっかりと綱を持ち、足も石壁に固定して息を潜めていたが、不安定な足場なのにはかわりは無く、
僅かながら身体が少し下にずれてしまった。
それを持ち直そうと腕を揺らした時に、縄が微かに木に触れた。
 「!」
 それは、風で葉がざわめいた時と変わらないようなほどの音しか出なかったはずだった。
しかし、
 「何者だ!」
稀羅はその音と共に洸莱の気配までも感じ取ったらしい。
 「・・・・・っ」
 洸莱の判断は一瞬で決まった。
何度か身体を揺らして大きく下へ移動すると、自分の身長以上の高さから飛び降りた。
 「見付かったっ、急げ!」
下にいた悠羽と和季も直ぐに行動に移して、この場所からは一番近い裏門へと走り出す。
しかし、身を隠すには絶好の草むらも逃げる時にはかなり邪魔になってしまい、そこかしこから松明の灯りと共に大勢の気配が出
てくるのが分かった。
 「囲まれてしまうぞっ」
 悠羽も焦ったように言うが、薄闇の中、思うように身体は動かないようだ。
 「いたぞ!!」
 「!」
何かで、後ろから肩を殴打された洸莱が思わず片膝をつく。
 「洸莱様!」
 「に、逃げろ・・・・・っ!」
自分や和季は仕方がない。これは光華国の問題で、洸莱は莉洸の弟で、和季は現王洸英の影だ。
しかし、悠羽は関係ない。まだ正式に洸聖の妃となっていない悠羽まで捕らえられ、その上拷問にでも掛けられたら・・・・・洸莱
は兄に申し訳が立たなかった。



 だが、悠羽は・・・・・悠羽だった。
自分の腕を掴んでいた大柄な衛兵を振り返りながら、堂々とした声を張り上げて言った。
 「私達は抵抗をしない。そちらも、これ以上の武力の行使は止めてもらいたい」
 「侵入者が何を言う!!」
荒々しい兵士の声にも、悠羽は毅然とした視線を向けた。
一見少女のような華奢な体躯の悠羽だったが、その持って生まれた王族としての威厳は立派に衛兵を凌駕していた。
 「武国と名高い蓁羅の兵士は、剣を上げぬ者をそのまま嬲るというのか」
 「お前っ!」
 「・・・・・っ」
 相手が手にしている剣を怖いと思わないはずが無い。
自分達が今持っているもので武器として使えるのは小刀くらいだし、悠羽は今まで誰かを傷つけたという経験もない。
それでも、気持ちだけでも負けたくなかった。今ここで屈してしまったら、莉洸はもちろん自分達も光華国に戻れない。洸聖に必ず
戻ると約束したその言葉を、悠羽はここで諦めるわけにはいかなかった。
 「下がれ」
 その時、まるで割り込むように、低い言葉が衛兵の言葉を遮った。
ざわめきと共に悠羽達3人を囲んでいた衛兵達の一辺が割れ、そこから大柄な男が進み出てきた。
 「これは・・・・・光華国の皇太子の許婚殿か。いささか乱暴なお越しで、失礼をしたな」
 松明の灯りではっきりと悠羽の顔を見た稀羅は、目を眇めて慇懃無礼にそう言った。
もちろん、悠羽は言われるだけではなかった。
 「そちらの最初のご招待が少々乱暴であったのでそれを真似たまで。稀羅王、莉洸王子の無事は確認している。このまま私達
を光華に帰して頂けるなら、此度のことは私が何とか穏便に済ましてみせる」
 「・・・・・勇ましい姫だな。莉洸王子よりもそなたに目が行けば、花嫁の問題は解決したかもしれないが・・・・・」
 「稀羅王!」
 「莉洸王子に会わせてさしあげよう。今生の別れでないことを願われよ」



 稀羅は内心怒りが渦巻いていた。
連れ去ってきてしまった乱暴な経緯はあるものの、国のことしか考えたことが無かった自分がこれ程気を遣い、大事にしてきたはず
の莉洸が、自分には儚げな姿を見せたまま逃亡の手段を考えていたことが腹立たしかった。
(それならば、いっそあの身を無理矢理にでも引き裂いてしまえば良かった・・・・・!)
既にその身が汚れていたならば、莉洸は帰るに帰れないはずだった。自分の甘さが今更ながら悔しかった。
 「・・・・・」
 広間の中には、稀羅と、今王宮にいる主だった大臣や武官達。
そして、今捕らえたばかりの悠羽と2人の男。この2人は昨日の昼に会った商人達で、稀羅は怪しいと思った自分の勘が当たっ
たことを実感した。
そして・・・・・。
 「悠羽様!洸莱!」
 両脇を衛兵に囲まれて広間にやって来た莉洸は、手を後ろで縛られ、王座の前に跪かされている3人の姿を見て、見る間に
顔色が蒼白になった。
その表情の変化ももちろんだが、稀羅は今の莉洸の言葉を聞き逃さなかった。
(悠羽と・・・・・洸莱と言ったな。では、あの若い商人は第四王子洸莱か)
 先日光華国を訪れた際は、まだ未成年という事で酒宴にも顔を出さなかった為に、稀羅が洸莱の顔を見るのはこれが初めて
だった。
母親が全て違うというが、本当にこの光華国の兄弟は皆似ていない。
 「王子、大国光華は、他国の王宮に忍び込むような身内を持たれておるようだな」
 「・・・・・っ」
 莉洸はキッと稀羅を見上げた。
 「稀羅王とて、僕を光華国より攫ってきたではありませんか!彼らはそんな僕を救いに来てくれただけ!」
 「王子」
莉洸がこれ程はっきりと自分に物を言うのは初めてだった。
感情をぶつけてくれるのは嬉しく思うが、一方でそれが自分の為でないことを苦々しく思う。
 「それでも、王宮に忍び込んだ者達を無傷で解放するわけにはいかぬ」
 「稀羅王!」
 「そなたの兄の許婚と、弟と・・・・・そして従者か。王子、たとえ身分がある者が相手だとしても、この王宮内の権限は全て私
にある。この宮の内部を見た目を潰すことも、そなたと話した舌を引き抜くことも、この敷地内を歩いた足を切り落とすことも、全
てが私の意のままだ」
 「・・・・・っ」
 今の状況に混乱している莉洸には、稀羅の言葉が真実なのかただの脅しなのか、判別するのは難しいだろう。
幾ら自国内でも、他国の王族を手に掛けることは重大な問題だ。光華国は大国であるし、悠羽の故郷蓁羅は元々今回のこ
とには関係ない立場だと言っていい。
稀羅は洸莱はもちろんだが、それ以上に無関係な悠羽を傷付けるようなことは出来ないのだ。
 「・・・・・」
 何を思っているのか・・・・・莉洸は唇を噛み締めたまま、しばらくじっと目を閉じていた。
しかし、今回の事は稀羅は簡単に許すつもりはなかった。傷付けることが叶わないとしても、何らかの条件の材料にはするつもり
だった。
すると・・・・・。
 「稀羅王、どうか、彼らの縄をお外し下さい」
 「ならぬ」
 「稀羅王」
 「たとえそなたの願いであっても、それは聞き入れられぬ」
 「・・・・・兄弟となる者達なのに?」
 小さな声が何かを言った。
 「・・・・・何?」
聞き取れなかった稀羅は、莉洸を振り返って再度訊ねる。
 「何と申した」
脅すつもりはないが、今の状況では自然と威嚇するような口調になってしまう稀羅に、莉洸はその視線を正面から見返しながら
今度ははっきりとした声で言った。
 「僕があなたと結婚したら、悠羽様と洸莱はあなたにとっては義理の兄弟となるはずです。その兄弟をその手で傷付けることなど
なさいませんよね?」
 「王子・・・・・」
 稀羅は目を見張った。
今の莉洸の言葉がきちんと耳に入ったというのに、とても・・・・・信じられなかった。
だからか、稀羅は震える声で聞き返した。
 「今・・・・・何と申した?」
 「義兄弟と申しました・・・・・稀羅王、僕、あなたの申し出をお受けいたします」
 「王子、そなた・・・・・」
 「あなたの、稀羅王の花嫁となります。だからどうか・・・・・あなたの義兄弟となる彼らをお許し下さい」
自分の目の前で膝を折って深く頭を下げる莉洸を稀羅は呆然と見つめた後、抑えきれない感情のままにその小さな身体をすく
い上げるようにして強く抱きしめた。