光の国の恋物語





55









 「・・・・・僕の部屋だ」
 随分久しぶりのような気がして、莉洸は小さく呟いた。
留守にしていた時間を全く感じさせないほどに部屋は隅々まで磨き抜かれていて、莉洸の好きな花も飾られている。
皆が自分の帰りを待っていてくれたのかと思うと嬉しくて、莉洸は泣きそうになるのを我慢したままそっと寝台に腰を下ろした。
 「あ・・・・・」
(柔らかい・・・・・)
寝台は身体に心地よい硬さで、莉洸はそっと手触りの良い布に手を触れた。
 「僕はこんな贅沢をしてたんだ・・・・・」
 蓁羅の王宮で莉洸に割り当てられた部屋は、王の部屋の次に立派だといわれる所だった。
しかし、寝台は少し硬く、掛け布の手触りもざわついたものがあった。それでも十二分に住みよくしてくれていたことを思い出すと、
莉洸は自分の今までの生活を振り返らないではいられない。
 「父上も兄様も・・・・・反対されてた・・・・・」
 自分のことを心配してくれているのはとても分かるし、それが嬉しくないはずが無い。
ただ、蓁羅に嫁ぐことを決めたのは自分の意思だ、莉洸はそれを自国に帰ってきたからといって撤回するつもりは無かった。

 トントン

 扉が叩かれた。
莉洸は一度大きく深呼吸すると、そのままゆっくりとドアを開いた。
 「兄様」



 「兄様」
 どんな顔をしているのだろうか・・・・・洸聖は莉洸の今の心中を思えば胸がふさがれる思いだった。
父王の前では気丈に振舞っていたが、きっと泣きたいほどに心細いはずだ。稀羅が客室にいることは確認させたので、洸聖は今
のうちに莉洸の真意を確かめる為に、他の兄弟と共に莉洸の自室までやってきた。
 「疲れているか?」
 「大丈夫です、どうぞ」
 莉洸は洸聖の後に続く洸竣、洸莱、そして悠羽の姿を見て少し笑った。
(悠羽様はもう家族と同じなんだ・・・・・)
 「莉洸・・・・・」
部屋に入った洸聖は、ギュッと莉洸の身体を抱きしめた。懐かしい兄の香りに、莉洸もそっと背中に手を回す。
 「無事で良かった・・・・・」
 「はい、ご心配掛けました」
 「馬鹿者、弟の心配をするのは当たり前だ」
 「兄様・・・・・」
 「莉洸」
 次に、洸竣が洸聖から莉洸の身体を預けられた。
 「お帰り、莉洸」
 「竣兄様・・・・・」
抱き合う洸竣と莉洸を見つめながら、洸聖はじっと考え込んだ。
今回、結婚の申し込みということで光華国にやってきた稀羅だが、洸聖は・・・・・いや、この光華国は莉洸をあんな野蛮な国に
嫁がせる気は毛頭無かった。
いくら男同士の結婚も認められているとはいえ、こんな略奪のような手段で莉洸を奪われていいとはとても思えない。
(私と悠羽とは全然違う・・・・・)
 悠羽は、身体は間違いなく男だが、対外的には奏禿の王女として知られている。子を生す事は叶わないが、表向きは男女と
いう組合せなのだ。
(それに、これほど乱暴な手を使うとは、いくら莉洸が優しい性格だとしても許されることではないっ)
洸聖は少し大人びた表情になった莉洸に苦労の影を感じながら静かに言った。
 「心配するな、莉洸。そなたを二度と蓁羅にやることは無い」
 「兄様?」
 「そなたは私達が、この光華国が全力をもって守る。いくら武国と名高い蓁羅とはいえ、我が国との国力を比べても敵ではない
からな」
 「そ、それは駄目です!」
 「莉洸?」
 「僕は、自分から稀羅王に嫁ぐことを望んでいるんです。兄様、どうか父上を説得して頂けませんか?」
 「何を言うっ?あんな国に、光華国の王子であるお前が嫁ぐと言うのかっ?」
 「はい」
 決心は変わらないとでもいう様に、莉洸は硬い表情のまま頷く。
洸聖は激情のまま怒鳴ってしまいたいのを拳を握り締めて辛うじて抑えていたが、ふと、その握り締めた拳に骨ばった細い指が触
れるのを感じて視線を向けた。
 「悠羽・・・・・」
 「洸聖様、莉洸様のお話も聞いた方が良いと思います」



 莉洸の頑なな気持ちが稀羅への愛情ゆえとはとても思えなかった。
確かに稀羅は莉洸に対して執着しているということを隠さずに見せているが、莉洸の方は愛情というよりはまだ多少の恐れを抱い
たまま稀羅と接している。
(それならば、莉洸様の真意は・・・・・?)
 そこまで考えた時、悠羽は自分の目で見た蓁羅の国情を思い出した。
貧しい国といわれている悠羽の国奏禿よりもさらに、貧しく厳しい生活をしている蓁羅の民。
その外貨を稼ぐ手段が人力が主というだけに、街中には若者と壮年の男の姿はほとんど見られなかった。
 気候など、自然の上での悪条件はどうしようもないが、国情は潤沢な援助があれば何とか変化するのではないか・・・・・そう思
わせるほどに蓁羅の民の目は生命力があった。
その民の頂点にいるのが稀羅だ。あれほどの厳しい生活の中で、誰も稀羅の悪口など言わず、返って慕って尊敬している様が
良く分かった。
悠羽には、稀羅がそれほどに悪い男だとは思えないのだ。
(確かに方法は間違えたような気はするけれど・・・・・)
 「莉洸様」
 悠羽が問い掛けると、洸竣の腕の中にいた莉洸が視線を向けてきた。
 「稀羅王をお慕いなさってるのですか?」
 「・・・・・」
 「莉洸、どうなんだ?」
洸竣が優しく身体を揺すると、莉洸はそっと目を伏せてしまった。
 「・・・・・分かりません」
 「分からない?」
 「立派な、強い王だとは分かります。国民にも慕われておられるし・・・・・ただ、僕は今まで男の人を結婚の対象とは考えたこと
が無かったので、今も稀羅王への気持ちが愛情からかとは・・・・・はっきりとは分かりません」
 「・・・・・」
 「ただ、僕は蓁羅の国を良くしたいんです。悪いことをしたわけでもないのに、厳しい土地柄のせいで貧しい生活を送っている人
達を、少しでも良い方向へと・・・・・」
 「ならば、結婚などしなくても・・・・・っ」
 洸聖が眉を顰めたまま言った。
確かに、愛情が無い上に、女でもない莉洸が、そんな理由でわざわざ結婚という名目で蓁羅に行く必要が無いだろう。
 「蓁羅の民を心配するのならば、我が国から援助をすればよいのではないか?お前が行く必要は無い」
 「でも・・・・・」
 「莉洸」
莉洸はまだ何かを感じているのか少し口篭っている。
悠羽がそんな莉洸の顔を覗き込むように身を屈めて言った。
 「お兄様方に何もかも話された方が良いのではありませんか?口に出して話すことで、自分の気持ちがはっきりと見えるというこ
ともありますよ、莉洸様」
悠羽が更に力付けるように言うと、莉洸は少し迷った後に小さく言った。
 「稀羅王の側には、誰かがいなければならないと思うんです」
 「・・・・・」
 「僕は何の力もなく、学もありませんが、稀羅王は・・・・・あの方は、僕を欲しいとおっしゃいました。それが愛情ゆえなのか、それ
とも単に光華の王子である僕を嬲りたいだけなのかは分かりませんが、確かに必要にされていると感じるのです。だから僕は、あの
方の側にいなければ・・・・・」
 「莉洸」
 「莉洸・・・・・」
 洸聖も、洸竣も、そして洸莱も、真摯な莉洸の言葉に一瞬言葉が出ないようだった。
悠羽も、莉洸がこんなにも真剣に稀羅のことを考えているとは思わなかった。
(愛情ではないだろうけど・・・・・ただの同情でもないのかもしれないな)
 「兄様、竣兄様、洸莱、悠羽様、僕の気持ちは間違っているでしょうか?」
 「・・・・・お前は優し過ぎる」
洸聖がようやく、声を搾り出すようにして言った。
 「その優しさが、もしかすれば蓁羅を救うこともあるかもしれないが・・・・・それならばお前はどうなのだ、莉洸。私達は蓁羅の民
の幸せよりも、お前の幸せを優先する」
それは兄としての偽りの無い言葉だった。