光の国の恋物語














 「王、あまりお顔を出さぬように」
 「分かっておる。・・・・・しかし、さすが大国、光華。噂に違わぬ栄えぶりだな」
 「四方の国々から多くの商人が集まってきていますし、その商品を目当てに人もやってきます。気候も温暖ですし、緑も海も
持っていますし、本当に恵まれた土地ですね」
 「隣国というのに岩山が多く、水源も少ない我が蓁羅(しんら)とは比べ物にならぬな」
 「稀羅(きら)様・・・・・」
 「一度はこの目で見たいと思っておったが・・・・・見ぬ方が良かったのかも知れぬ」
真紅の瞳に押し殺した激情を浮かべながら、稀羅は賑わう市場をじっと見つめていた。



 光華国の隣国でもある蓁羅は100年ほど前に建国されたばかりの新しい国で、元々が光華国の領土の一部だった。
しかし、岩山に囲まれたその地に利便性はほとんど無く、半ば放置されていた状態の時に1人の男が独立を叫んで立ち上がっ
たのだ。
男は元は光華国の武将だったが、戦地での余りの残虐非道さに除隊を余儀なくされて、この地へと流れ着いた者だった。
だからこそ、光華国への恨みと妬みは凄まじく、他にも犯罪者や腕に自信がある者達を引き込んで戦乱を起こし、光華国だけ
でなく他の隣接する国にも多大なる犠牲を強いた上での独立になった。

 稀羅は、5代目となる王だ。
先王は前の王を暗殺した上でその位に就いた者だったが、その先王も部下だった稀羅に地位を奪われてしまったのだ。

 稀羅は蓁羅で生まれ育った。
恵まれた体格とずば抜けた剣術の腕を買われて部隊に入ったものの、規律の乱れややる気のなさに徐々に不満を募らせていっ
た。資源が無いからこそ、様々な国との国交や国内の開発に力を注がねばならないはずが、王からして酒と女に逃げる日々を
送っていたのだ。
 そして・・・・・ある夜、急な伝令で王の寝所に出向いた稀羅は、2人の女と絡み合う王にお前も入れと命令された。
我慢の限界を超えた次の瞬間、稀羅の剣は王の片腕を斬り落とし、反逆の声を上げたのだ。
それから三日と経たないうちに、王を王座から引きずり落とした稀羅が新王の座に就く事となった。

 激情に身体が動いてしまったとはいえ、王を倒した形になった稀羅は、それでも自国を良い国にするべく精力的に動いた。
資源は無いが人材はある。
歴史的に武術に優れた者が多く、稀羅は暴動の鎮圧や戦の戦力にと、各国に兵士を貸し出すようにした。
外貨が入るようになると国内の整備も進めることが出来、稀羅が王になってから5年、蓁羅は小国ながらも武力を誇る、大国
からも一目置かれる存在になり、稀羅も【蓁羅の武王】として名を馳せる様になっていった。



 5年間、わき目も振らずに国の為に尽力してきた稀羅だったが、隣国の光華国には自ら足を運んだことは無かった。
建国の折のいざこざのせいもあるのか、今だに光華国との国交は冷え切ったままだ。
自国をもっと栄えさせる為にもそれを打破する切っ掛けを探しに忍びで光華国に入った稀羅だが、あまりの繁栄振りに自国との
差を改めて見せ付けられた気がして、ただ昂ぶる気持ちを抑えているしかない。
 「稀羅様、光華の皇子が」
 「・・・・・」
 稀羅の供の衣月が小声で注意を促してきた。
視線を向けると、そこだけまるで光が灯っているかのように華やかな一行がいた。
 「長身の方が第二皇子の洸竣、小柄な方が第三皇子莉洸です。もう1人は・・・・・見掛けた事がありませんが」
何度か光華国に商人と偽ってもぐり込んでいた衣月は、光華国の王族の顔も見知っていた。
 「・・・・・裕福で生温く育った感じだな」
 「皇子達がいるという事は、周りには護衛兵が付いている可能性があります。早くここから離れましょう」
 「ああ」
 稀羅としても、漫然と気楽に暮らしているだろう皇子達の姿を見ていても仕方がないと思い、そのまま踵を返そうとした。
その時、
 「暴れ馬だ!!」
 何者かの大声に反射的に振り向いた稀羅は、何も考えないまま身体を動かしていた。
 「稀羅様!」
 「・・・・・っ!」
通りを真っ直ぐに駆けてくる馬は、道の真ん中に呆然と立ち竦んでいる少年・・・・・光華の第二皇子に向かっている。
(何をぼんやりとしているっ!)
稀羅は少年の身体を片腕で攫うと、ぶつかる寸前の馬から身体を逸らした。
そして、
 「衣月!」
 「はっ」
阿吽の呼吸で飛び出した衣月が、見事な手綱捌きで興奮している馬を宥めている。
後は任せていればいいと思った稀羅は、自分の腕の中で震えている少年に視線を落とした。
(・・・・・軽い)
 稀羅にしてみれば、その身体はほとんど重さが感じられないほどに軽く、何もかもが小さく華奢な作りをしていた。
 「・・・・・」
 「・・・・・」
ゆっくりと上げたその顔は、まるで透き通るように白く、大きな薄茶の目が丸く見開かれて稀羅を見つめている。
(莉洸・・・・・皇子か)
歳は19になるはずだが、その身体付きと表情だけではまだまだ子供のようにしか見えない。身体が弱いらしいという噂はどうやら
本当のようだった。
 何か言おうとするのか、小さな唇が僅かに開かれる。
すい込まれそうに見入っていた稀羅は、早口に名を呼ばれてハッと我に返った。
 「洸竣が来ますっ」
 「莉洸!」
衣月の言葉とほぼ同時に、響く声が莉洸の名を叫んだ。
 「竣兄様!」
その声に莉洸が返事を返すのを見た稀羅は莉洸の身体から手を離すと、そのまま背を向けて歩き始めた。
 「この騒ぎで役人も駆けつけてくるはずです。急ぎ北の国境に向かいましょう」
周りから疑いの目を向けられないように走ることはせず、それでも十分早足でその場を立ち去ろうとする。
・・・・・が。
 「・・・・・」
 一瞬、まるで何かに引き寄せられたかのように、稀羅は後ろを振り返ってしまった。
その視線は、あの綺麗な薄茶の視線と絡み合う。
(莉洸・・・・・)
 「稀羅様?」
 「・・・・・」
衣月の声に稀羅は無理矢理視線を逸らすと、そのまま足を早めてその場から立ち去った。



(柔らかな身体・・・・・)
 抱きしめた身体は柔らかく、まるで華のようないい香りがした。
目に見える手や顔には僅かな傷すらなく、髪も艶やかで、どんなに大切に育てられ、守られているのかは想像以上の事実だろ
う。
 稀羅は自分の手を見下ろした。
大きく、皮の厚い、今は目には見えないが・・・・・血と泥で汚れた手。
 「触れたら・・・・・私の手も清められるだろうか」
 「稀羅様?」
 「・・・・・欲しいな」
 「稀羅様、何を・・・・・」
 「光華の光の象徴でもある・・・・・あれが欲しい」
 「稀・・・・・羅様?」
 「仕掛けるか、こちらから」
今までは大国である光華国に、こちらから刃を向けることなど考えたことは無かった。何より、私事で戦を仕掛けたことも無い。
(負けるなどと・・・・・誰が言った?)
今や蓁羅も武国と名を馳せているのだ。欲しいものを欲しいと求めて何が悪いのだろう・・・・・稀羅は自分自身にそう言い聞か
せながら、清らかに輝いたあの華を手にするべく立ち上がることを決意していた。