光の国の恋物語














 「大丈夫かっ、莉洸!」
 「う、うん」
 洸竣は素早く莉洸の全身を見ると、砂埃の汚れ以外に目立った外傷はないことにやっと安堵の溜め息を付いた。
安堵すると同時に洸竣は厳しい目を馬の方に向ける。あれ程の暴れ馬を一瞬にして鎮めた男の正体が気になったのだ。
しかし、そこには先ほどの2人組はおらず、大人しくなった馬だけがその場に佇んでいる。
(・・・・・いない?)
 服装を見れば、莉洸が裕福な家の人間だという事は直ぐ分かるはずで、普通ならば謝礼目当てにその場にいるのが普通だ
ろう。
その場から立ち去ってしまった男達のことが、洸竣はにわかに気になり始めた。
 「・・・・・莉洸、お前を助けたのはどんな奴だ?」
 「ど、どんなって・・・・・」
 「間近で顔を見ただろう?何か特徴はなかったか?」
 「・・・・・」
 「莉洸っ?」
 「お、覚えて、ない。覚えてないよ、あっという間で・・・・・」
 「そうか」
確かに、こんな風な荒っぽい出来事を経験することなど今までなかっただろう莉洸にすれば、今のことはまるで突風が吹き抜け
たほどの出来事かもしれない。
 「・・・・・」
 あの男達のことは気になるがそれは後に考えることとして、洸竣はこの馬の持ち主のことに意識を向けた。
こんな人混みの中で馬の手綱を離すなど、どんなに危険な行為か分かっているのだろうか。事と次第によっては役人に通報し
よう・・・・・そこまで考えた時、馬が走ってきた方角から1人の少年が駆け寄ってきた。
 「もっ、申し訳ありません!」
 「・・・・・お前は?」
 「わ、私は、この馬を引いていた従者ですっ。い、犬に吼えられて、いきなり馬が走り出してしまって・・・・・手を、離してしまい
ましたっ、申し訳ありません!」
 「・・・・・」
 その場に土下座し、額を地面に擦り付けるようにして謝罪する少年は、弟の莉洸よりも小さく華奢で・・・・・いや、華奢とい
うよりも痩せ細っているといった方が正しいだろうか。
(・・・・・男、か?)
すっきりと整った容貌は一見少女のようだったが、身体に丸みはほとんどなく、服から出ている手足もまるで棒のようだ。
 「・・・・・どこの者だ」
 「わ、悪いのは私でございます!」
 主人にまで罰が及ぶのを恐れたのか、少年は更に頭を下げ続けて謝罪する。
どうすればいいかと洸竣が考えた時、
 「子供に何時までこんな格好をさせている気だ!」
いきなりそう怒声が聞こえたかと思うと、少年の前に人影が現われた。
 「ゆ、悠羽殿」
 「ほら、お前も立ちなさい。誰も怪我をした者はいないし、一度きちんと謝罪をすればそれ以上頭を下げる必要はない」
 「あ、あの」
 「名は?何という?」
そばかすのある愛嬌のある顔でにこにこ笑っている悠羽の表情に、少年はやっと顔を上げて口を開いた。
 「れ、黎(れい)と、申します」
 「黎か。ほら、可愛い顔が泥で台無しだ」
 自分の服が汚れるのも構わずに、悠羽は土下座した時に汚れてしまったらしい少年の顔を素早く拭ってやった。
 「・・・・・」
(確かに・・・・・綺麗な顔立ちだな)
よく見れば、少年は繊細に整った容貌だった。
黒髪に黒い瞳に、色白な肌。
着ている物は質素だが、磨けばかなり綺麗で見栄えのする容姿になるだろう。
(勿体無い)
 「洸竣殿、今しがたの出来事をこの者はきちんと謝罪致しました。それで宜しいですね?」
悠羽の言葉に、洸竣は苦笑を零した。もちろん、弱い者虐めをするつもりはない。
 「もちろんですよ、悠羽殿。・・・・・それよりも」
 詳しい事情を聞いてみようと思った洸竣が声を掛けようとした時、慌しい馬の蹄の音がして数人の集団が現われた。
 「何をしておる!黎!」
 「だ、旦那様」
 「逃げた馬を探しにいってなかなか戻ってこないと思えば、こんなところで男を引っ掛けておったのかっ。まこと出が卑しい者のし
そうなことだ」
 「・・・・・」
(下品な)
 洸竣とそれ程歳も違わないような若い男は、周りにかなりの見物人がいることを承知で黎を貶めるような発言をした。
着ている物も乗っている馬も上等なもので、かなり良い家柄の人間に見えるが、その言動はどうも育ちを疑ってしまうぐらい品の
ないものだ。
第一、見も知らぬ相手を、少年に引っ掛けられたと決め付けているのが馬鹿馬鹿しい。
 「黎、行くぞ!」
 「あ、あの・・・・・」
 黎は、自分の顔を拭ってくれた悠羽を気にするように視線を向けるが、馬上の男はそれさえも気に食わないらしかった。
 「何をしておる!早くせんか!」
 「・・・・・お前、誰にものを言っている」
いい加減に気分を害した洸竣は、男を冷たく睨んだ。
 「なんだ!」
 「私の顔を知らぬとは、お前この国の者ではないのか?」
 「なにを・・・・・っ」
 「京(きょう)様!」
 「煩いっ」
 「し、しかし、この方は洸竣様でいらっしゃいますっ!我が国の第二皇子でいらっしゃいます!!」
 「なっ?」
自分の従者に忠言され、男は驚愕したように目を見開いた。



(お、皇子・・・・・様?)
 黎は自分の前に立ちふさがっている男の背中を信じられないという思いで見つめた。
まさか自分の国の皇子をこんなに間近で見ることがあるとは思ってもいなかったからだ。
(で、でも、洸竣・・・・・そうだ、皇子のお名前だ・・・・・)
同じ召使いの少女達が持っているこの国の皇子達の絵姿は目にした事があったが、あんなにも綺麗だと思っていたはずの絵は
実物の十分の一ほども真実を表していなかったのだ・・・・・そう思うほどに、目の前の高貴な男の容姿は優れていた。
それと同時に、自分の国の皇子を危ない目に遭わせたのかと思うと、改めて足が震えてしまう。
 「・・・・・っ」
 反射的に、もう一度その場に跪こうとした黎を、直ぐ傍に立っていた先ほど顔を拭ってくれた人物が留めた。
 「もう、膝を折る必要はない」
 「で、でもっ、皇子様に、僕・・・・・っ」
 「君は一度謝ったし、洸竣殿もお許しになった。そこで話は終わっているんだ。ただ、彼らの無礼な言動は、洸竣様もこのまま
お見逃しになるとは思えないが」
笑みを含みながら言う相手を、黎は呆然と見つめた。
皇子である洸竣と同行しているのならば、彼も高貴な立場の人間かと思ったのだ。
 「あ、あなたは・・・・・」
 「私は悠羽。これからこの国の住人となる。よろしく」
 「は・・・・・あ」
にっこり笑い掛けられたその顔は、綺麗とは言いがたいがとても愛嬌がある。
つられるように唇を緩めた時、低く響く声が言葉を続けた。
 「この国の皇子と対しているというのに、そちらは馬上のままなのか。いったいどこの者だ?」
 「・・・・・っ」
 洸竣の言葉と同時に、馬に乗っていた京と3人の従者達は転げるように馬から下りると、その場に膝を着いて最敬礼を取った。
その顔色は、今まで黎が見たこともないほどに青褪めている。
 「も、申し訳ございません!」
 「・・・・・相手を知って態度を変えるか。お前がどんな人間か分かるな」
麗しく華やかな容姿とは裏腹の侮蔑を込めたその声に、助けられているはずの黎まで身体が凍える思いがした。