光の国の恋物語





61









(洸竣様・・・・・ご機嫌が悪いな)
 莉洸を見送った後、部屋に戻る洸竣の後をついて行きながら、黎は自分が何をすればいいのか分からなかった。
王宮に上がって直ぐに蓁羅の王が莉洸を攫うという事件が起きてしまい、偵察として蓁羅に向かう悠羽の供として旅をしていた
時は、少なからず自分にも役に立つことがあるのではないかという気持ちがあった。
しかし、王宮に戻ってきて、こうして洸竣の前に立つと、自分が本当に無力な存在なのだなと思い知ってしまい、自分の存在意
義さえも疑ってしまいたくなった。
 そもそも、洸竣は街中で主人である義兄に酷い扱われ方をしていた自分を哀れに思ってくれ、こうして王宮に召し上げてくれた
のだ。自分が特別に頭が良いとか、特技があるからというわけではない。
(・・・・・どうしよう・・・・・)
 主人の子を生んだとはいえ、正式な妾にさえもしてもらえなかった母。
優しいが、妻に遠慮して声も掛けてくれない父。
弟とは認めず、厳しく辛く当たった義兄。
あの家から出られたのは正直嬉しかった。だが、ここに自分の居場所があるのかといえば・・・・・。
 「黎?」
 「・・・・・」
 「黎、どうした?」
 「あ、い、いえ」
 いつの間にか部屋の前についていたらしく、扉の前に立った洸竣がこちらを見つめていた。
光華国の王子達の中で、一番華やかで気さくだという第二王子、洸竣。こうして真っ直ぐに見つめるだけでも恐れ多い感じだ。
 「ぼ、僕、慶尚(けいしょう)様のお手伝いをして参ります」
 王宮内の召使達を取りまとめる侍従長の名を出したが、洸竣はなぜだと不思議そうな顔をした。
 「お前は私付の召使だろう?他の者の手伝いをすることはない」
 「あ、あの」
 「蓁羅の王の気にやられて少し気が滅入っていたが・・・・・そうだな、少し気分転換でもするか。黎、一緒に街に出よう」
 「僕もですか?」
 「美味い物は連れがいる方がもっと美味い」
 「こ、洸竣様っ!」
黎が躊躇うのも構わず、洸竣はその手を引いて厩へと向かった。



 「黎、顔を上げなさい。せっかくの可愛い顔を隠しては勿体無い」
 洸竣はずっと俯いたままの黎に楽しそうに言った。
莉洸が稀羅と共に国を出て落ち込んでいたのは確かだが、本来自分は深く思い悩む性格ではない・・・・・と、思われているはず
だ。
陽気で、暢気。その持ち味を今こそ暗く沈んだ王宮内で活用しなければならない。その為にもこの気分転換の外出は気持ち的
に良かったようだ。
 「何か欲しい物はないか?黎」
 「い、いえ、僕は・・・・・」
 「遠慮などすることはないぞ」
 「本当に、何も無いです」
 同じ馬に前後に乗っている為、洸竣の目からは黎の横顔しか見ることが出来ない。
綺麗に整っている顔は隠す必要など全く無いのに、黎はどうしても自分を卑下してしまいがちだ。それは多分これまでの育った環
境が強く影響しているのだろうが、洸竣はそんな黎の気持ちを変える自信があった。
 「れ・・・・・」
 「黎っ?」
 「!」
 その時、大きな声が黎を呼んだ。
(誰だ?)
これまで街で育った黎には声を掛けてくる知り合いがいてもおかしくはないが、今の声は切羽詰っていて・・・・・それに、どうも聞い
たことがある声だ。
 「今のは・・・・・」
 「京、様・・・・・」
 「きょう?・・・・・お前の義兄か?」
 「い、いいえっ、以前の主人です!」
 洸竣の言葉を黎は強く否定した。
王宮に上げる前に黎の身辺は調査済みで、その際には出生の秘密も分かっていた。
本来は妾腹とはいえ貴族の次男のはずの黎が、どんなに虐げられて育っていたかも聞いている。
洸竣は眉を潜め、後ろから黎の腰をギュッと強く抱きしめた。
 「こ、洸竣様?」
 「今のお前の主人は私だ。王子である私の召使であるお前が、他の者に頭を下げる必要はない」
 「洸竣様・・・・・」
 振り向いた黎が呆然とその名を呟いた時、洸竣の馬の前にいきなり男が走り出てきた。
 「黎!!」
 「きょ、京様」
洸竣は何時か見たことがある若い男の顔を、馬上からしっかりと睨みつけた。
体付きも立派で、男らしい容貌をしているが、繊細な黎の面影とはほとんど共通点はない。
(黎の義兄か・・・・・)
なぜ今頃出会ったりしたのか、洸竣は街に出てきた自分の行動を今更ながら後悔してしまった。



(京様・・・・・少し痩せられた?)
 面影を忘れるほどに離れていたわけではなかったが、少し痩せて頬が削げたような印象がしたことに黎は内心驚いていた。
食べ物に苦労することなどあるはずも無く、今は戦も無いので厳しい兵役に就くことも無いはずの京がなぜこんなにやつれたのか。
黎は自分がいなくなってから京の身に何事かが起きたのだろうと思った。
 「黎」
 「お、お久しぶりです」
 京は下から馬上の黎を見上げている。
本来は黎も馬から下りて挨拶をしなければならないのだろうが、後ろから腰に回っている洸竣の腕を外すことが出来なくて、黎は
心苦しく思いながらも馬上から頭を下げた。
 「なぜ俺に黙って出て行った・・・・・っ」
 「え?」
 「俺が屋敷を留守の時を狙って出て行っただろう!」
 「あ、あれは、あの・・・・・」
 確かに、屋敷を出る時に京はいなかった。許婚と出かけていたのだが、それを狙って出たという思いは黎にはなかった。
王宮から急かされたということもあるが(洸竣が急がせたらしいが)、家の者も厄介な人間が出て行くことをホッとして見送っていた
くらいだ。
(母さんも泣いてばかりで・・・・・止めようとはしてくれなかった)
京の母も・・・・・父の妻というあの人も、黎が出て喜んだはずだ。
 「俺は、お前がどこに行ったのかさえも・・・・・生きていたことも聞かされなかった!」
 「い・・・・・きて?」
 「・・・・・明日、結婚式なんだ」
 「そ・・・・・ですか」
 黎がいた時はまだ京の気持ちが固まっていないように思えたが、事態はかなり早く進んだようだ。
 「お、おめで・・・・・」
祝いの言葉を言おうとした黎をじっと見つめたまま、京は噛み締めるように言葉を続けた。
 「お前は、使いの途中に人攫いに遭ったと・・・・・生死は不明と言われた。お前が死んだと聞いて、何もかもどうでも良くなってし
まって・・・・・結婚も母が進めるままに・・・・・」
 「黎、聞くな」
 不意に、洸竣が馬の手綱を操って向きを変えた。どうやらこのまま王宮に戻るようだ。
黎は京の言葉を最後まで聞かなければと思い、振り向いて洸竣に懇願した。
 「馬を止めてくださいっ、洸竣様!まだ話が・・・・・っ」
 「聞いてどうする」
 「え?」
 「そなたにはどうも出来ないことかも知れぬぞ」
 「・・・・・え?」
(どういう、こと?)
洸竣の不思議な言葉の意味が分からなくて黎は思わず聞き返したが、洸竣はそれ以上何も言わず、
 「黎!!」
振り絞るような京の叫び声を背に馬は人波を避けて走り出した。
黎は京を振り向こうとしたが、身体を拘束する洸竣の腕は少しも緩まないままでそれも出来ない。
 「洸竣様っ」
 「・・・・・」
どんなにその名を呼んでも洸竣は答えず、馬はどんどん加速して王宮へと向かっている。
どうしたらいいのか、何を言ったらいいのか、これまで自分から動いたことなどない黎は分からず、ただ馬の鬣にしがみつく事しか出
来なかった。