光の国の恋物語
62
「どうして馬を止めて下さらなかったのですか!」
王宮の門をくぐってようやく馬の速度を落とした洸竣に、黎は今までになく強い口調で訴えた。
あの時、京は黎に何かを言おうとしていた。その言葉を遮るようにして馬を走らせた洸竣の行動がどうしても分からなかった。
「洸竣様っ」
久しぶりに会った義兄の変わりように、黎の心はザワザワと揺れている。
母親が違っていても、どんなにきつくあてられても、黎の中で京が兄だという認識は消えることはないのだ。
「洸竣様!」
しかし、どんなに黎がその胸に縋らんばかりにして訴えても、洸竣の口から謝罪の言葉もいいわけの言葉も出てこなかった。
そして・・・・・。
「・・・・・黎、お前は何が出来ると思っている?」
「・・・・・え?」
不意に馬を止めた洸竣は、黎にとって胸が痛くなるような言葉を言った。
「あの男がお前に何事かを言って、お前はその言葉に対して何が出来るんだ?」
「ぼ、僕は・・・・・」
「後で困惑してしまうような情けならば掛けない方がいい」
まるで突き放すように言うと、洸竣はそのまま馬から下りた。そして、呆然と目を見開いている黎の腰を掴むと、今までのきつい口
調とは裏腹にとても優しく馬から下ろしてくれる。
その言葉と行動の相違が、ますます黎を混乱させてしまった。
「洸竣様、僕は、ただ・・・・・」
「今日はもう部屋に下がっていい」
「待っ・・・・・」
「ゆっくり休みなさい」
優しく髪を撫でてくれ、そのまま立ち去っていく洸竣の後ろ姿を見送りながら、黎は自分の言葉が間違ってしまったのかと急に不
安になってしまった。
明らかに、嫉妬していたのだ、あの・・・・・黎の義兄に。
歩く足を止めないまま、洸竣の眉はきつく潜められていた。
「・・・・・」
あれほど冷遇された月日を過ごしていながら、なおも優しい言葉を義兄に掛ける黎の気持ちが分からなかった。
(あの男が何を望んでいるのか、黎には分からないのか!)
黎の姿を見て驚愕に見開かれた瞳。そして、哀願にも取れる言葉。
あの男は・・・・・黎を欲しているのだ、弟としてというよりうも、多分、一人の人間として。
それがどういった気持ちの延長上かは分からないが、あのまま黎と言葉を交わさせるのは危険のような気がした。こんな余裕のな
い自分など、洸竣は自分自身初めて自覚したくらいだ。
(どんなに黎が望んでも、絶対に会わす事はない)
そう決心しながらも、悲しそうな、必死で訴える黎の願いをどこまで拒めるかは自信が無かった洸竣は、結局この場から逃げ出す
ことに決めた。
「・・・・・」
「洸竣様?」
裏門に現れた洸竣の姿に、門番達が驚いたように視線を向けてきた。
「どうなされたのですか?」
「ちょっと、気分転換」
「お忍びですか?誰か供を・・・・・」
「女のいる場所に、ゾロゾロと供を連れて行けぬだろう?」
若い門番をからかうように言うと、年嵩の門番が困ったようにその名を呼んだ。
「洸竣様・・・・・」
「莉洸がいなくなって気が滅入っているんだ。少し気晴らしをさせてくれ」
以前から王子達の中では一番の遊び人と自他共に認められている洸竣の言葉に、門番は苦笑しながら扉を開いてくれた。
こうして裏門から出て街に遊びに行くのは以前からも頻繁にあったことで、門番達も暗黙の了解として認知している。
「お気を付けて、早めにお戻りください」
洸竣は見送ってくれる門番に軽く手を振ると、溜め息をつきながら歩き始めた。
「なかなか上手くいかないものだな・・・・・」
洸竣に突き放された感じがして、黎はどうしていいのか分からなかった。
自分の部屋に戻ることも出来ず、しばらく途方にくれたように立ちすくんでいた黎は、ふと思い付いて足を早めた。
向かった先は、悠羽の部屋だ。
トントンッ
何時になく慌てたように扉を叩くと、扉は直ぐに開いてサランが顔を見せてくれた。
「黎、どうしたんですか?」
相手が黎だと分かると、無表情なサランの顔が少しだけ柔らかくなる。
その表情に少しホッとした黎は、慌てて頭を下げながら言った。
「あ、あの、少しお話をさせて頂いても構いませんか?」
「どうぞ」
扉が大きく開き、黎は少し緊張しながら悠羽の部屋の中に足を踏み入れた。
「黎、丁度お茶を飲もうとしたところなんだ、一緒にどう?」
「あ、ありがとうございます」
声で誰が来たのか分かっていたらしい悠羽が、視線が合うなり笑いながらそう言ってくれた。その笑顔に、黎は緊張がほぐれるよう
な気がする。
(このお部屋が一番安心する・・・・・)
以前の屋敷に比べ、黎に用意された部屋はあまりにも立派過ぎて落ち着かなかったし、王宮という場所自体がどこか硬くて煌
びやか過ぎて、目立つことを嫌う黎には今だ慣れない場所だった。
そんな中で、気さくで柔らかな空気を持つ悠羽の傍は居心地が良くて、黎は今までにも洸竣の世話がない時にはよくこの部屋を
訪れていた。
「悠羽様、私が」
「サランも座っていて。私の入れるお茶は特別美味しいんだから」
たっぷりの愛情がこもっているしねと言って笑う悠羽につられて、黎の頬にも少しだけ笑みが戻る。
「この菓子は、さっき貰ったんだ。甘くて美味しかった、な、サラン」
「ええ」
温かなお茶と、甘い焼き菓子を前にして、黎はようやく口を開いた。
黎の口から零れる言葉を、悠羽は一言も聞き逃すまいとして聞いていた。
どうやら妾腹の子らしい黎は、その家でかなり肩身の狭い生活を送っていたらしいという事は聞いていたが、その義兄に当たるとい
う人物の話は聞いたことがなかった。
半分だけ、血の繋がった兄弟。正妻の子の長男と、妾腹の子の次男。
光華国の貴族の息子であったら、もっと裕福で幸せな生活を送っていてもおかしくはない立場だっただろう。
「・・・・・お兄さんに会ったのか」
「京様は僕に何か言おうとなさっていました。僕はそれが気になって仕方がなくて・・・・・」
あくまでも義兄と言わない黎に内心苦笑しながら、悠羽はサランに視線を向けた。
「サランはどう思う?」
「・・・・・洸竣様は、意地悪をなさったわけではないと思います。あの方は他のご兄弟とは違って柔軟な思考と行動力をお持ち
の方だとは思いますが、ご自分の気持ちだけで動くこともないかと」
「うん。私もサランと同じ意見だな。洸竣様は少し口の軽い方だが、黎のことをちゃんと考えてくださってるよ。お兄さんのことも、
洸竣様なりの考えがあったんじゃないかな」
「・・・・・」
「黎、洸竣様が嫌い?」
「そ、そんな事はありません!とても良くしてくださってるし、優しい方だし」
「うん」
「・・・・・僕も、あの方が理不尽な行いをされるとは思っていません」
「・・・・・もしかしたら、黎はお兄さんのことよりも、洸竣様のことが気になってるんじゃないのかな」
「え?」
思い掛けない悠羽の言葉に、黎はハッと顔を上げた。
それは自分でも思っても見なかったことだったらしく、信じられないという表情の下に、どうして自分がという困惑の思いが見て取れ
た。
悠羽は途端に子供っぽい表情になってしまった黎に、苦笑しながら更に言った。
「私も、人の気持ちの機微というものが良く分からない不調法な方だが、洸竣様の気持ちは案外分かりやすいように思えるな。
あの方は多分、黎が思っている以上に黎を大切にしてくださっている。その事は信じてもいいはずだ」
「悠羽様・・・・・」
「だから、洸竣様のお気持ちは信じていて、黎は自分の気持ちを見直したらどうだろうか?案外、それで何かが分かるかもしれ
ないぞ」
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