光の国の恋物語
64
気晴らしにと思って飲んだ酒にはいっこうに酔えず、しなだれかかってくる女達の白い腕にも欲情はかきたてられなくて、洸竣は仕
方なく王宮への帰路についていた。
このまま帰っても、黎と顔を合わせて何を言っていいのかまだ分からない。黎の為だという大義名分を振りかざしていても、結局は
自分が嫌だったからという理由が一番大きいのだ。
(黎は見抜いているのか・・・・・?)
そう思うと、足取りは重くなってしまうが、自分の帰る場所は一つしかない。
とうに暗くなってしまった空。しかし、街の賑やかさは昼間と変わらないほどだ。それは、それほどこの光華国が栄えているという証
の一つでもあるだろう。
「・・・・・ちゃんと話をしてみるか」
先程はお互い興奮してしまっていた。あれから時間が経ち、自分の方は少し落ち着いて話が出来ると思う。きっと黎も同じになっ
たのではないかと思っていた・・・・・その時、
「洸竣王子」
低い声が後ろから自分を呼び止めた。
聞き覚えが無い・・・・・といってしまいたいが、その声はごく最近聞いたばかりの声だった。
(・・・・・どうするか)
振り向く必要は無かったが、それでもいずれ向かい合わなくてはならない相手だ。
洸竣は一度大きな溜め息をついてからゆっくりと振り返った。
「何用だ」
「噂通り、本当に供を連れてらっしゃらないのですね」
「自国の治安を信用しないでどうする」
「それは、この光華国だからこそ言える言葉でしょうが」
昼間の切羽詰ったような声を出していた主とは全く別人のような・・・・・京。
しかし、その落ち着いた物腰に警戒を解くことはぜず、洸竣は用心深く京を見つめた。
「それで?わざわざ呼び止めるには、それだけの所要があるというのか?」
「・・・・・我が義弟、黎のことで」
「義弟?」
まさかそう来るとは思わなかった洸竣は、口元を皮肉気に歪めた。
「野城家は義弟を下働きにさせるのか。それほど手が足りないのならば私が手配してやろうか」
「・・・・・っ」
あからさまな洸竣の挑発に、京は一瞬唇を噛み締めた。しかし、今京が感じているような屈辱を、黎は生まれてからずっと受け
てきたのだ。
黎の身辺報告書を見た時に感じた怒りは、今も洸竣の心の中から消えてはいなかった。
「・・・・・当主である父と、母の決定には・・・・・逆らえません」
「お前も積極的に黎をこき使ったのだろう?」
「・・・・・」
「野城にはきちんと話を通した。お前の母も、ぜひ連れて行って欲しいと言った。親の言葉に逆らえないのならば、今更黎に会っ
て何を言うつもりだ?まさか、戻ってきて欲しいとでも?」
「・・・・・わ、たしには、黎が、必要なんです」
「どういった意味で?」
「・・・・・」
「何でも言うことを聞く召使としてか?それとも、長い間愛情を向けたことも無い哀れな義弟を?」
「私は・・・・・」
「まさか、半分とはいえ血の繋がった義弟を、愛情を交わす相手としてか?」
「!」
「・・・・・」
(やはり・・・・・そうか)
必要以上に黎に辛く当たっていたのは愛情の裏返しではないか・・・・・そう思っていた洸竣の予想はどうやら当たったらしかった。
自分が莉洸や洸莱に、兄弟以上の愛情を持つなどとても考えられないが、幼い頃から同じ屋敷内とはいえ全く別の環境で育っ
ていた京と黎は、ほとんど兄弟としての交流は無かったのだろう。
そのうえ、黎は繊細に整った容貌をしていて、その手の男達だけではなく、普通の男達にも欲望の対象として見られてもおかしく
はないくらいだった。
(方法を間違った事は、俺としては歓迎すべき事だがな)
京がもっと黎に素直な愛情を向けていれば、自分が黎と出会うことは無かっただろう。
兄弟という禁忌を乗り越えてでも黎を欲しいと言っていたら、もしかしたら黎は既に京のものだったかもしれない。
しかし、現実に京は黎の心ばかりか身体さえも手に入れる事は出来ず、その権利は洸竣の手へと移った。
(そうだ・・・・・俺は黎を欲しいと思ったんだ)
街中で会った時、そのあまりの影の薄さに眉を潜めた。
次に、意外に整った容貌に気付き、傍に置きたいと思ってしまった。
それは小動物に向けるような慈愛の感情だと思っていたが、今目の前の京を見て洸竣はようやく気付いてしまった。
「黎は野城には帰さぬ。それだけだ」
「王子!」
「自分のやり方の無様さを後悔しても、もはやあれは私が手にしたものだ」
京は間違えてしまったが、自分はまだ間に合うはずだ。
洸竣は早く黎に自分の正直な想いを伝えようと、声も出ないような京にあっさりと背を向けて歩き始めた。
「父上、影の姿が見えませんが」
夕食後、父洸英の部屋を訪ねた洸聖は、ふと気付いたように訊ねた。
何時も音もなく父に寄り添っているはずの影、和季が、莉洸と稀羅が旅立つのを見送った後から姿を見せなかった。
それほどに存在感があるというわけではないはずなのに、いないとなると気になってしまう。
「・・・・・知らぬ」
「知らない?」
「私に何も言わずに出ている。守りは他の者に頼んであると言ってな」
眉を潜め、憮然と言う父に洸聖は意外だと思った。
たとえば、もしも父に本当に愛しい相手が出来て、長い間空白だった王妃の座に据えるようなことがあって和季を捨てようとも、和
季の方から父を見限ることはない・・・・・そう思っていた。
だからこそ、それが数時間だとしても、父の許しなく自由に動く和季というものが想像出来なかった。
「何用だ」
そんな洸聖の思考を遮るように、父が訊ねてきた。
そこで、ようやく洸聖は本来自分が父を訪ねた用件を口にした。
「悠羽のことです」
「悠羽の?」
「私達の婚儀の時期をきちんと決めたいと思いまして。出来れば、早い方が良いのですが」
「婚儀か」
洸英はじっと洸聖を見つめた。
「お前はそれで良いのか?」
「良いのか、とは?」
「悠羽との事は私が勝手に決めたことだ。もしもそなたと悠羽の相性が合わないのならば、この話は立ち消えになるやもと思って
おったが・・・・・どうやら、それは私の杞憂のようだな」
「はい。父上が私の伴侶に悠羽を選んで下さったことに感謝します。悠羽は、私にとっては得がたい存在ですから」
「そうか」
洸聖は焦っていた。
早く、名実ともに悠羽を自分のものにしたかった。
始めは、自分の方が男同士ということに躊躇していたはずが、今は悠羽の方がそれに後ろめたさを感じているような気がする。
(今更あれを手放せるか・・・・・っ)
父の言葉が、悠羽に迷いを生んだのかも知れない。今朝からずっと物思いに沈んでいるような悠羽を見ていてそう思った。
父は可愛い息子の莉洸のことを思ってあんな発言をしたのだろうし、洸聖もそれに関しては全面的に賛成だ。
しかし、自分に当てはめれば少し違う。悠羽が男だと知っている今でも、洸聖は悠羽が欲しいのだ。
(跡継ぎなど、洸竣や洸莱の子でも構わぬ)
今となっては、兄弟が3人もいて良かったと思う。
「洸聖」
「悠羽とならば、一緒にこの国を治めていけると思います。あれは、可愛がられてただ着飾っているばかりの王妃にはならない」
「・・・・・分かった」
洸英は頷いた。
「早速良い日取りを選ばせよう。奏禿の王にも知らせなければ」
「お願い致します。私も一度あちらに挨拶に行こうとは思っていますが」
「あの国の王家の結び付きは我が国より強いぞ。特に弟王子は悠羽が我が国に来るのを大反対したらしい。覚悟をしておか
なければな」
「はい」
洸聖は父の決断に感謝して頭を下げると部屋を出たが、このまま悠羽の部屋に行こうと思って・・・・・思い直した。
(明日、ゆっくりと話そう。同じ宮にいるのだからな)
そう思ってしまったことを、洸聖は翌朝後悔することになる。
翌朝、光華国の王宮から、悠羽とサランの姿は消えていた。
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