光の国の恋物語





66









 「・・・・・」
 悠羽は、ぼんやりと川に垂らした釣竿の先を見つめていた。
だが、先程から何度も糸を引く気配があったのに、悠羽は魚を釣り上げようとはしていない。それは、頭の中では全く別のことを考
えていたからだ。
 「・・・・・」
眩しい日差しに照らされて、赤毛に近い栗色の髪がキラキラと輝き、跳ねた猫毛が風にゆっくり揺れている。
 「・・・・・」
何時もはニコニコ笑っているソバカスが特徴的な愛嬌のある顔は、今は少し寂しそうに俯いていた。



 懐かしく、恋しい祖国、奏禿に帰って数日。
何の前触れも無く戻ってきた悠羽とサランを、両親や弟は驚きと共に温かく迎えてくれた。
そもそも、男である悠羽が光華国の皇太子妃になるというのを当初から反対だった王は、これで光華国と対立しても仕方ないと
決意を決めたらしい。
そんな先走った父に、悠羽は苦笑しながら言った。

 「少し、故郷が懐かしくなって戻って参ったのです。あちらから帰されたというわけではないですから」

 黙って王宮を抜け出した事は隠してそう言えば、ようやく両親は安堵したようだ。
しかし悠羽に懐いていた弟王子(義弟だが)の悠仙は喜んで言った。

 「もう、光華国に戻らなくてもいいじゃないか!悠羽、ここで私達と一緒に暮らそう!」

同い年の、数ヶ月だけ年下の可愛い義弟。
だが、悠羽はその言葉に頷くことも、かといってはっきり断ることも出来なかった。



(私は・・・・・どうしたいんだろうか)
 サランに自分の思うようにしていいと言われた時、悠羽が一番最初に思い浮かんだのは奏禿に戻りたいということだった。
それが洸聖から逃げているという事は悠羽自身も分かっていたが、自分にとって一番安心出来る場所でゆっくりと自分の気持ち
を見つめ直したかったのだ。
 それをサランに告げると、サランは少しの迷いも無く頷いてくれた。そして・・・・・その夜の内に、悠羽とサランは王宮から抜け出し
て奏禿に向かった。

 この国は、優しい。
たとえ貧しくても、心が豊かであればこんなにも幸せなのだと思えるということを悠羽は改めて感じていた。
大国という光華国も、謎の国、蓁羅も。
実際に自分の目で確かめなければ分からないこともあるのだなと、悠羽は自分の見識の狭さを恥ずかしく思い、次に、やはり重く
肩に圧し掛かる光華国皇太子妃という立場を、改めて深く考えることになった。
 「悠羽!」
 「・・・・・」
 「悠羽、引いてる!」
 「え?あっ、ホントだ!」
 慌てて竿を上げたが、どうやら餌だけを取られて逃げられてしまったようだ。
はあ〜と溜め息をついた悠羽は、声のした方を振り向いて苦笑した。
 「もっと早く教えてくれ、悠仙」
 「ぼんやりしている悠羽が悪い」
 軽い足取りで悠羽が座っている岩までやってきた悠仙は、悠羽の隣に腰を下ろして言った。
 「元気が無いな、悠羽。やはり向こうは辛かったか?」
 「・・・・・」
少し前まで、悠羽に甘えてばかりだった悠仙。
悠羽が光華国に旅立ってそれほど時間が経っていないというのに、これほど大人っぽくなっていたとは悠羽も内心驚いていた。
父に良く似た精悍な容姿と、立派な体躯。もしも悠羽が王女ではなく王子だと世に公表していたとしても、ぱっと見ただけではど
ちらが王に相応しいかは一目瞭然だと思った。
(やはり、奏禿の未来は悠仙が背負っていくんだな)
 「・・・・・どんな男だった?」
 「え?」
 「光華国の皇太子」
 「・・・・・そうだな、少し頭が固いが、立派な方だと思うよ」
 「・・・・・」
 「悠仙?」
 「悠羽が誰かを褒めるのは面白くない」
 「何を言ってるんだ。悠仙も皇太子なんだから、もう少し大人にならなければ」
 そう言いながら、悠羽は空いている片手でギュッと悠仙の肩を抱きしめた。
自分よりも遥かに立派なその肩を抱きしめてやれるのはもう僅かかもしれない。
自分に縁談がきたように、悠仙もそう遠くない未来、妃を娶ることになるだろう。そうすれば、こうして悠仙を宥めるのは自分の役
目ではなくなるのだ。
 「悠羽」
 「・・・・・成果は無かった。戻ろうか、悠仙」
気持ちを切り替えるように悠羽は立ち上がった。



 奏禿に帰ったからといって、このままではいられないことは良く分かっていた。
皇太子妃になるという覚悟を決めて光華国に戻るか、それともその話を断ってこのまま奏禿に残るか。
(いや・・・・・洸聖様がお怒りになって、もう私など要らぬと・・・・・言われるかもしれない)
 そんな風に考えると、自分の手先まで血が通わず、身体が震えるような気がしてしまう。自分が迷っているくせに、洸聖に決断
されることが怖かった。
 「お帰りなさいませ、悠羽様」
 「ただいま」
 「悠羽様、釣れましたか?」
 「全然駄目だったよ」
 王宮までの道のりでも、頻繁に民から声が掛かった。
小国だからこそ王族と民の距離は近く、王はこの国や民を愛していたし、民も王族を敬愛していた。
(そう言えば稀羅様も・・・・・民に慕われていた方だった)
どちらがより貧しいか比べるようなことではないかもしれないが、国の立地から言えば、まだ川や森が多い奏禿の方が恵まれてい
るかもしれない。
 「・・・・・」
(莉洸様はどうされているかな)
きっと、大変な思いもしているだろうが、見掛けは儚いながら芯が通っている莉洸は、けして親や兄弟達に泣き言を言ってくること
はないというのは確信出来た。
それに、莉洸には稀羅がついている。あの厳しく威圧感のある王も、莉洸への思いは熱く激しい。
それを悠羽は羨ましいと思っていた。



 「悠羽様」
 王宮に戻った悠羽は、直ぐにサランを捜した。
サランは悠羽の実母であり、王妃の侍女頭でもある小夏(しょうか)の元に居た。
 「魚は釣れましたか?」
 「もう、皆に言われて答えるのも飽きてしまった。こうして両手に何も持っていないのが成果だとは思わないか?」
 「逃がして差し上げたんでしょう?悠羽様はお優しいから」
 「サラン・・・・・」
 「サラン、そんなに悠羽様を何時も甘やかしていたのですか?」
 2人の会話を聞いていた小夏が横から口を挟んできた。
自分が産んだからといって、正式な奏禿の王女として育てられている悠羽とはきっちりと線引きして対している小夏は、少し眉を
潜めて悠羽を見つめた。
母、というよりは、厳しい乳母という印象の方が強い小夏には悠羽も弱く、慌てて首を振ってサランを振り返った。
 「そんなことはないよな、サラン!サランだって私に厳しくしているよ!」
 「・・・・・さあ、どうでしょうか」
 サランは穏やかに笑った。
奏禿に帰って来て、サランもかなり心境的に落ち着いたのだろう。険しい表情が多かった光華国にいる時とは違い、その表情は
柔らかなものに戻っている。
悠羽は奏禿に戻ってきて初めて、サランも気を張ってくれていたのだろうということをしみじみと感じ、自分だけではなくサランの為に
も、一度奏禿に戻ってきたのは良かったのだろうと思った。
 「悠羽様、せっかく良い花嫁修業になると思いましたのに、少しも変わられないままお戻りになられたのですね」
 「小夏」
 「本当に・・・・・仕方の無い方」
 そう言いながらも、小夏の口元には微笑が浮かんでいる。
愛されているのだと、悠羽は十分感じていた。