光の国の恋物語
74
身体の拘束は解かれたというのに、黎の胸はまだ苦しかった。
行き詰るような洸竣と京の睨み合いももちろんだが、今耳に届いた洸竣の言葉がワンワンと頭の中で響いているのだ。
(洸竣様が・・・・・僕を?)
愛している。
それが親愛の意味ではないことは、言った言葉の響きからも十分に分かった。
「こ・・・・・しゅ、さま?」
「黎」
洸竣は京から視線を外すと突きつけていた剣を鞘にしまい、そのまま寝台の上にいる黎と視線を合わせるように膝を折って静か
に言った。
「私の言葉が信じられぬか?」
「だ、だって、だって、僕は、王宮に上がってまだ間もなくて・・・・・」
「確かに、私とお前が共に過ごした時間はとても短い。それに、お前も多分私の街での所業は聞き及んでいるだろう?」
「・・・・・」
うんと頷くことは出来なかったが、黎も、いや、この国に住んでいるものならば、光華国の自慢の4王子の噂を知らないものなどは
いなかった。
生真面目な、次期国王に相応しい立派な皇太子である第一王子、洸聖。
花のような笑顔で、誰をも癒す愛らしい存在の第三王子、莉洸。
まだ成人もしていないが、周りが思わず目が引かれるほどに存在感のある第四王子、洸莱。
(その中でも・・・・・洸竣様の噂は一番多くて・・・・・)
華やかで、遊び好きで。堂々と商売女のもとや酒場に通う王子。
それでも、民が洸竣を蔑むことは無く、王族との橋渡しのような存在として愛されていた。
黎自身、会ったことも無い洸竣をとても身近に思っていたほどだ。
「黎」
ただ・・・・・それほどに遊び上手で、しかしこの大国の王子でもある洸竣が自分を愛しているとは、とても直ぐには信じられないこと
だった。
「ぼ、僕は・・・・・」
「信じられないのなら、仕方がない」
そんな黎の途惑いに気付いているように、洸竣は柔らかく微笑んだ。
先程まで京と睨み合っていた冷たく恐ろしい顔が嘘のような、優しい笑みだ。
「これから、ちゃんとお前に伝えていく。私がどれ程お前を思っているか・・・・・。お前に教えているうちに、私自身も自分の気持ち
の深さを知るかもしれないが」
「洸竣様・・・・・」
「帰ろう、黎、王宮へ。私と共に帰ってくれないか」
命令するのではなく、黎の気持ちを尊重しながらも懇願するように言う洸竣。
黎は差し出された手をじっと見つめる。
「黎」
「・・・・・」
(この手を・・・・・取っていいの・・・・・?)
「黎」
悩んだのは、一瞬だった。
黎は差し出された洸竣の指先にそっと手を伸ばし、指が触れたと同時にその身体がふわっと宙に浮き上がった。
やっと、愛しいと分かった存在が、目の前で自分以外の男の腕の中に抱かれた。
自分が触れた時はあれほどに嫌がって泣き叫んで抵抗したというのに、この男の手は自分とは全然別だというのだろうか。
「・・・・・京、様」
小さな声が自分の名前を呼んだ。少し怯えたような響きなのは、たった今押し倒そうとしたばかりだから仕方が無いのかもしれな
い。
「奥様に・・・・・ご心配お掛けしないように・・・・・」
「・・・・・お前にあれほど冷たく接した母を思うのか?」
「そ、それでも、僕はここまでちゃんと育てて頂きました。・・・・・感謝しています」
「黎・・・・・」
これほどに健気な言葉を、父や母、いや、黎の実の母にも聞かせてやりたいくらいだった。
こんなに無条件に自分達を思ってくれる相手を、こちら側から切ってしまったのだと叫んでやりたかった。
・・・・・それももう、遅いのかもしれないが。
京はじっと黎を見つめていたが、その視線を遮るかのように洸竣が動き、命令し慣れた響く声できっぱりと言った。
「今後、このような振る舞いをすれば剣は引かぬ」
「・・・・・会うなとはおっしゃらないのですか」
「そなたは黎の兄だからな」
「!」
「兄弟の存在の心地良さはよく知っている」
「・・・・・っ」
俯いて唇を噛み締めていると、静かにドアが開いて気配が遠ざかっていくのを感じる。
京はギュッと拳を握り締めると激しく床を叩いた。
「今更兄弟になど・・・・・なれるか!」
この腕の中に、ちゃんと暖かな身体がある。
洸竣は取り返しがつかなくなる直前に自分が間に合ったことを神に感謝し、そして、こうして自分の手を取ってくれた黎の行動を
嬉しく思った。
「黎を愛している」
ポロリと口から洩れたその言葉に、正直に言えば洸竣自体も驚いてしまった。
その言葉が嘘というわけではけしてない。ただ・・・・自分の気持ちがここまで育っていたのかということを改めて思い知ったからだ。
黎を街の中で見つけて、王宮に引き取って。それはそれほど昔のことではない。
更に、黎は莉洸の件で蓁羅へと旅立って行ったので、実際に共に過ごした時間は更に短いものだった。
それなのに・・・・・。
洸竣は門の前に乗り捨てていた馬の背に黎を乗せた。
黎の服は破られていたので、その身体にはすっぽりと布を巻いた状態で、身動きも取り難い黎を後ろから抱きしめる形で洸竣も
馬に乗った。
「動くぞ?」
「・・・・・」
一瞬、黎の視線が屋敷に向かう。
しかし、次には直ぐにこくんと黎が頷いたので、洸竣はゆっくりと馬を動かし始めた。
来る時はまるで鬼のように走らせた道のりも、今は黎の身体に出来るだけ振動を与えないようにゆっくりとした歩みだ。
洸竣は不意にくすっと笑った。
「洸竣様?」
その笑みに気付いた黎が、振り返ってその名を呼んだ。
その子供のような顔を見て更に笑みを深めた洸竣は、少し面白そうに言った。
「莉洸のことを反対しなくて良かったと思って」
「莉洸様?」
「男同士だとかいう理由で反対していたら、今の私の姿を見せることはとても恥ずかしくて出来ないからな」
「あ・・・・・」
その意味を、賢い黎はきちんと察したらしい。
第三王子の莉洸が、蓁羅の王、稀羅に望まれて国を出て行ったのはつい先日のことだ。
民間では男同士の結婚も数は少ないものの無いこともないが、血筋を残さなければならない王族の人間では同性婚というのは
ほとんど例はないのだ。
父だけでなく、兄も自分も、男の稀羅に莉洸が嫁ぐことをどうしても受け入れがたいと思っていたが、今自分が莉洸と同じ立場に
なってしまえば、その気持ちもよく分かるような気がしたのだ。
「黎、私は本気だ。お前を愛している」
「こ、洸竣様、でも、僕はただの民で・・・・・」
「そんなものは関係ない。愛すれば、お互いの身分は同等だ。私は王子ではなく、お前も召使ではなく、ただの人間同士として
向かい合いたいと思っている」
「・・・・・」
腕の中の黎の身体が少し強張った感じがする。
その反応に、洸竣の笑みはますます深まった。
「安心しろ、黎。私も自分の気持ちに気付いたばかりだ。この気持ちを急にお前に押し付けることはしないし、我が物にしようと
も思わない。ただ、これからはどんどんお前を振り向かせる為に動くぞ。覚悟しろ」
「え、あ、あの、洸竣様っ」
「文句は聞かぬ」
洸竣は更に強く黎の身体を抱きしめると、王宮に向かって真っ直ぐに馬を歩かせた。
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