光の国の恋物語





75









 眩しいほどに太陽が降り注いでいる中、莉洸は小さな声で歌を歌いながら手を進めている。
時折強い風が吹いて目にゴミが入りそうになったが、それでも動かす手を止めることは無かった。
(まだこんなにあるんだあ)
 「莉洸様、そのようなことは私達がっ」
 「え?でも、皆でした方が早く終わるでしょう?」
 「それはそうですが、せっかくのお美しい手に傷が付いてしまいます」
 「大丈夫。僕はそんなにひ弱ではないから」
 莉洸は大げさに心配する召使達にそう言うと、先程から一生懸命にしていた薬草の選別に再び取り組み始めた。
昼からずっと休み無くしているのに、莉洸の選別し終わった薬草の山は、まだ幼いといってもいい召使の少年のものより遠く及ば
ない。
慣れていないから仕方がないと周りは言ってくれるが、莉洸は少しでも目に見える形で役に立ちたいと思っていた。



 莉洸が稀羅と共に蓁羅に帰国して・・・・・まだ10日と経っていない。
光華国からの帰路を、莉洸の身体に障らないようにかなりゆっくりとしたものにしたせいもあるし、蓁羅の領地に入ってからは、莉
洸が興味を持つものには一々立ち止まって説明をしてもらったからだ。
以前は攫われるようにして連れてこられたので、自分の視界もかなり狭いものだったと莉洸は自覚し、せっかくの機会だからと見れ
るものは見ておきたかった。
 そして、王宮に着いて。
稀羅は先ず主だった臣下達を集めると、その前で堂々とこう宣言した。

 「光華国第三王子莉洸は、我が正妃として蓁羅に迎えることになった。これは光華国の王、洸英殿の許可も頂いたことだ」

ざわめきは、一転して歓声となった。
確かに蓁羅の民は光華国に対してかなり強い敵愾心を抱いているが、それと比例するように光華国からの援助も望んでいたの
だ。
彼らの期待を一身に受けた莉洸は、頬を緊張で引きつらせながらも、優雅に一礼をして言った。
 「稀羅様と婚儀を挙げれば、私は蓁羅の民となります。皆さんとこの国をより発展させる為に、私も微力を尽くしてまいります。
どうか、力をお貸しください」

その言葉に、莉洸がどれ程の思いを込めていたのか・・・・・多分、分かっていたのは稀羅くらいかもしれなかった。



 それから、莉洸は積極的に臣下や召使達とも係わり合い、溶け込むように努力した。
自分が出来ることを考え、初めは料理に挑戦したが、指先に軽い火傷を負って稀羅に止められてしまい。
次に洗濯をしようとして、手が凍えるように冷たく真っ赤になったのを衣月に見咎められて止めさせられ。
広い庭の荒れた草木の手入れをしようとすれば、召使達に我々がしますと木鋏を取られてしまった。
 いったい自分に何が出来るのか。
意気消沈した莉洸の目に映ったのは、庭の一角に山と積まれている薬草をせっせと仕分けしているまだ幼い召使達の姿で、彼
らが出来るのならと莉洸は強引に手伝いを申し出た。
 「ね、少しは僕の手も早くなった?」
 「莉洸様は覚えがお早いですね」
 「でも、もうそろそろ終わりにされた方が・・・・・」
 「まだこんなに残っているよ?大丈夫、稀羅様はまだお帰りにならないから」
 稀羅と衣月は、不在の時の仕事が溜まって、三日ほど前から地方視察に行っていた。
だからこそ、今の莉洸の手を止める人間がいないのだ。
 「莉洸様、お怪我をされたりしたら」
 「ここにはこんなにも薬草があるよ?あ、僕ももちろん料金は払うから」
 「そんな、滅相も無い!」
召使が慌てて首を横に振った時、
 「莉洸」
 「!」
低く響く声が聞こえたかと思うと、
 「王!」
 「稀羅様っ!」
それまで莉洸の周りに集まっていた召使達がいっせいに膝を着いて頭を下げた。
それにつられるように振り返った莉洸は、そこに立つ男の顰めた顔を見て・・・・・まるで悪戯を見付けられた子供のような顔をして
小さな声で言った。
 「お帰りなさい・・・・・」



 「お帰りなさい・・・・・」
 小さな声で、それでもそう言って自分の帰りを迎えてくれた莉洸に、本来ならば戻ったという言葉を投げかけたかった。
しかし、稀羅の目は真っ直ぐに莉洸の小さくて白い手を見てしまった。
(傷・・・・・だらけだ)
目で見ただけでも、莉洸の手が小さな傷だらけというのが良く分かった。
薬草の種類は色々あるが、中には鋭い棘があるものや、指が切れそうなほど固い葉を持つものもある。力仕事はおろか、今まで
ろくに重いものも持っていなかったであろう莉洸の柔らかな肌は、見ていて可哀想なほどに傷付いてしまっていた。
 「・・・・・これは、誰が?」
 「あ、あの」
 「莉洸にこの仕事をさせたのは誰だと聞いておる」
 冷ややかな声と厳しい眼差しに、まだ十代前半の年頃の召使達は真っ青になって口も利けなくなってしまった。
稀羅は、誇れる自国の王であると同時に、厳しく怖い存在でもあるのだ。
 「私の言葉が分からぬのか」
更に言葉を継ぐ稀羅にその場の空気が凍りかけた時、莉洸が膝に置いた薬草が散るのも構わずに駆け寄ってきた。
 「綺羅様、これは僕が勝手にお手伝いさせてもらっているのです」
 「・・・・・そなたが?」
 「僕が出来ることは限られているから、これぐらいしか出来なくて・・・・・。でも、これは僕が自分からお願いしたことなんです、どう
か・・・・・」
怒らないで下さい・・・・・震える声でそう続ける莉洸を見下ろし、稀羅は溜め息が洩れそうになるのを押し殺した。
(まだ、怖がっているな)
 自分と結婚するとその口で言い、この蓁羅までついてきた莉洸だったが、根本的なところでは今だ稀羅を恐れているのが嫌でも
分かる。
結婚とは、稀羅の妻となることなのだが、多分莉洸の頭の中では蓁羅の為に尽くすということだけが強くて、稀羅との関係を深め
るということにはあまり意識が向いていないように思えた。
(先ずは私との時間を作ることが大事だろうにっ)
 「・・・・・」
 いきなり、稀羅は無言のまま莉洸の身体を抱き上げた。
 「稀、稀羅様?」
 「・・・・・治療をする」
 「あ、あの、自分で歩けますからっ」
 「そなたは1人にすればどこに飛んでいくのか分からぬ。大人しくしていろ」
 「・・・・・」
強く言えば、莉洸は開き掛けた口を閉じてしまう。
それがもどかしくて、稀羅の眉間にはますます深い皺が出来てしまった。



(やれやれ)
 足早に宮の中に戻っていく稀羅の後ろ姿を見送りながら、衣月はこみ上げる笑みを必死で隠していた。
莉洸を連れて帰ってから、稀羅は目に見えて表情が豊かになった気がする。
常に蓁羅の未来を見据え、悩み、憂いていた時には、その表情はこちらも緊張するほどに厳しかったが、今では時折柔らかな眼
差しになることがあった。
その視線の先には、常に・・・・・莉洸の姿がある。
 「い、衣月様っ」
 「気にするな。後片付けを頼む」
 「は、はい!」
 素直に返事をする召使達を置いて、衣月は稀羅の後を追った。
(稀羅様も、ただの男というわけか)
本当は2人の間に割り込むという無粋なことはしたくないが、稀羅は手荒い処置には慣れているものの、優しく・・・・・と、いうのに
は不慣れだろう。
きっと、莉洸の小さく柔らかな手を前にすれば、どうしていいのか分からなくなるというのは容易に想像がついた。
(後で怨まれなければいいが・・・・・)
そんなことを思うほどに今の自分の心も平和なのだと、衣月はそれをくすぐったく思いながら少し足を早めた。