光の国の恋物語
76
(こんなに優しくしていただいても・・・・・困る)
莉洸は、ぎこちない手付きで自分の手の平に薬を塗っている稀羅を見下ろしながら、つい口から零れそうになる溜め息を思わ
ず押し殺してしまった。
「痛むか?」
そんな莉洸の気配に気付いた稀羅が顔を上げて訊ねるのに、莉洸は慌てて首を横に振った。
「いいえっ、大丈夫です」
「そうか」
蓁羅に戻ってから、忙しく政務に動き回る稀羅とはすれ違いも多かったが、一緒にいる時間は、それ以前の態度が嘘のように
稀羅は優しかった。
いや、目に見えての優しさではなく、莉洸に接する態度が柔らかくなったのだ。
光華の王宮から連れ出された時の印象が強い莉洸には、そんな稀羅の態度に自分がどういった態度をとればいいのか分からな
いくらいに途惑っていて、つい稀羅に対して身構えてしまっている。
(こんなことでは稀羅王に失礼なのに・・・・・)
共に蓁羅を支えていくと決めたからには、お互いをより理解していかなければならないのに、今だ稀羅に怯えている自分がもどかし
かった。
「莉洸」
「あっ、すみません」
考えに耽っている間に、治療は終わっていたようだ。
たっぷり塗られた薬のせいで少しヒリヒリする手を握り締めながら、莉洸は丁寧に一礼して稀羅に礼を言った。
「ありがとうございました」
「いや」
「あ、それと、お帰りなさいませ」
「・・・・・ああ」
視察から帰った稀羅をちゃんと迎えていなかったと改めて言うと、稀羅は少し口元を緩めてそう言葉を返してくれる。
「変わったことは?」
「いいえ、ありませんでした」
「本当に?」
「皆さんにとても良くしていただいています」
「・・・・・そうか」
莉洸にとっては周りに親切な者達が多いということを嬉しく思って報告したのだが、稀羅の眉間には皺が寄っていた。
自分の言葉の何が彼を怒らせたのだろうかと思ったが、稀羅は全く別のことを言った。
「今宵は、私の部屋に来い」
「今宵は私の部屋に来い」
そう言っても、莉洸はそれがどういった意味を含んでいるのか分からないようだった。
「何か、重要なお話ですか?」
「・・・・・」
(わざわざ部屋に呼んでまで何を話すと言うんだ)
莉洸は19歳。
本来、光華国ほどの大国の王子ならば、12、3歳位で女の身体を教わるはずだ。それなのに、今だ莉洸はそんな性的なことを
知っている感じは微塵もない。
急ぐつもりはないが、既に莉洸は自分の妻となったのも同然なのだ、その身体を手に入れたいと思ってもおかしくはないだろう。
「稀羅様」
あまりにも幼い雰囲気に躊躇っていては、少しも先には進まない。
今までもそのような意味を込めた言葉は伝えてきたつもりだが、もっとはっきり言わなければ莉洸は分からないかもしれない・・・・・
なにより、周りの人間がどんどん莉洸に傾倒していく様を見ると、ゆっくりなどしていられないと思った。
視察先でそう思った稀羅は椅子に座らせた莉洸の前に跪くと、ゆっくりと確かめるように言った。
「お前は蓁羅に嫁ぐ決心をしてくれたな?」
「は、はい」
「私の花嫁となることも」
「・・・・・誓いました」
「では、その身も心も、私に差し出す決心はついているということだな?」
「え・・・・・」
案の定、莉洸は驚いたように目を見開いた。そして、次の瞬間、顔を真っ赤にしながら狼狽したように視線を彷徨わせてしまう。
自分の言った言葉の意味を莉洸がちゃんと理解したのだと分かった稀羅は、両手を重ねて握り締めていた莉洸の手に自分の手
を重ねた。
片手でもすっぽりと隠れてしまいそうな、小さな小さな手だ。
「よいな?」
「で、でも・・・・・僕は、男ですし・・・・・」
「それが?」
「・・・・・僕は、御子を産めません」
「そのようなこと、私は望んでおらぬ」
「何を言うんですかっ。臣下達皆、稀羅様の血を引く御子の誕生を望んでいますっ。たとえ僕が稀羅様の妃となったとしても、
それとこれとは別ですからっ」
固い表情で、それでもはっきりとそう告げてきた莉洸の両腕を掴むと、稀羅はそのまま背伸びをして下からすくい上げる様に莉
洸の唇を奪った。
再度、蓁羅に来てから初めてといってもいいその口付けに、莉洸の身体は固く強張ってしまった。
「莉洸」
「・・・・・」
「私が欲しいのは御子ではない。そなた自身だ・・・・・分かるか?」
「・・・・・」
「今宵、私の部屋に来い。そなたが余計なことを考えないように、私の思いを植えつけてやろう」
いっそ傲慢に言い放った稀羅に、莉洸は何かを言い掛けて・・・・・結局口を噤んでしまった。
普通の男女の結婚ならば、これほどに思い悩むこともなかったかもしれないが、どうあっても稀羅の御子を産むことが出来ない
莉洸にとって、身体を繋ぐという行為は無意味のような気がしていた。
いや、身体まで繋がってしまったら、自分がどうなってしまうか・・・・・今のように蓁羅の国のことだけを考えることが出来るのかとても
自信がないからだ。
恐ろしく、粗暴で、非道だという噂の蓁羅の王。
しかし、実際に見る蓁羅の王、稀羅は、多少強引で気難しくはあるものの、男である莉洸が憧れてしまうほどの立派な男子だっ
た。
他国の姫達も、実際に稀羅を見ればきっと思いを寄せると思う。
それほどに立派な王である稀羅に全てを奪われてしまったら・・・・・莉洸は想像するのも怖かった。
(どう言ってお断りしたら・・・・・)
今夜部屋に来いという稀羅の言葉。普通に考えれば・・・・・そうだろう。
とても覚悟も勇気もない莉洸は、どうやって断ったらいいか一心に考えた。
すると。
「稀羅様、一度に何もかも求められたら、莉洸様も途惑われるでしょう」
「衣月っ」
まるで、この場の気まずい雰囲気を感じ取ったかのように、丁度良く衣月が姿を現した。
「・・・・・」
莉洸にとっては救いの主のように思えた衣月の出現も、稀羅にとっては面白くないものだったようで、稀羅はきつい眼差しを衣月
に向けて低い声で言った。
「何用だ」
「少し、お時間を」
「・・・・・」
「私から莉洸様に話をさせて頂きます」
「・・・・・」
衣月の話の内容など分からないが、莉洸もその言葉に縋るように言った。
「僕も、衣月と話をっ」
「・・・・・」
「稀羅様」
「・・・・・勝手にするが良い」
まるで言い捨てるようにそう呟くと、稀羅は少し乱暴に莉洸の身体から手を離して、一度も振り向くことなく部屋から出ていって
しまった。
答えを出すことが怖くて逃げようとした莉洸だが、稀羅のこんな態度はとても寂しく感じて、思わず視線がその後を追ってしまう。
「莉洸様」
「あ、はい」
そんな莉洸の仕草をじっと見ていた衣月は柔らかい声でその名を呼ぶと、先程稀羅が跪いたのと同じように莉洸の目線に合わ
せて腰を落とした。
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