光の国の恋物語
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「何を怖がっておいでなのです?」
「・・・・・怖い?」
衣月に改めてそう言われた莉洸は、同じ言葉を何度も口の中で呟いて・・・・・やがてゆっくりと目を伏せてしまった。
(だって・・・・・もう、僕は帰るところが無いのに・・・・・)
もしも、稀羅の寵愛をその身に受け、やがて・・・・・顧みられなくなったとしたら、莉洸はこの国の中で自分がいる場所というものを
無くしてしまうのだ。
今はまだ、皆が莉洸が蓁羅の為に尽くそうとしているのを見守ってくれているが、莉洸が真実稀羅の妃となった時、やはり御子の
埋めない王妃という存在を受け入れることは難しいだろう。
莉洸は、逃げ場が欲しかった。
それには、稀羅と身体まで結ばれてはならないのだ。
「莉洸様は稀羅様を見縊っていらっしゃる」
「え・・・・・そんなっ、僕は!」
「稀羅様があなたを望まれたのは、そんなに簡単な決意からではありません」
「衣月」
「あなたを正妃にすると決めた時、稀羅様は臣下達に向かってこう言われた」
「私に妃は莉洸1人。お前達が私の血を継いだ御子を望むというなら、今この場で私は己の男の証を切り落としてやろう。なれ
ば、正妃が男でも女でも、御子が出来ぬのは一緒。莉洸を我が妃にしてもなんの問題もあるまい」
莉洸の優しい心根は認めても、やはり臣下達の中で燻っていた『正妃は女』という意見。だが、固い稀羅の決意を知った臣下
達はそれを撤回せざるをえなかった。
いや、それほどの想いを莉洸に向けているのだと、稀羅の情の深さをそこで改めて思い知ったのだ。
側で聞いていた衣月も、身体が震えるような覚えがした。
「莉洸様、稀羅様をお厭いですか?」
「・・・・・」
「・・・・・」
「・・・・・」
辛抱強く莉洸の返答を待っていると、莉洸は僅かに・・・・・首を横に振った。
それがどれ程の決意の上か分かるような気がして、衣月は穏やかに微笑んだ。
「それでは、少しずつでも良いのです。稀羅様のお気持ちを受け入れては下さいませんか?」
「でも・・・・・」
「大丈夫です。男同士でも、身も心も結ばれることは出来るのですよ」
「・・・・・っ」
その言いように莉洸は頬を赤くした。
初々しい反応に、今まで莉洸はこういったことの経験が皆無だと分かり、その無垢な存在全てが稀羅のものになるのだということ
が自分のことのように嬉しかった。
(後は時を待つしかない。大丈夫だ、きっと・・・・・)
稀羅は足音も荒く私室に戻った。
莉洸の迷いや途惑いが分からないほどの子供ではないつもりだが、それでも一向に向こうから歩み寄ってくれないことがもどかしく
て仕方がなかった。
稀羅の気持ちは決まっている。
莉洸がどんなに迷おうとも、婚儀を挙げる日までに、あの身も心も手の内にするつもりだ。
光華国の王が決めた期限までに莉洸の全てを手に入れていなければ、そのまま莉洸は永遠に手に入らない・・・・・そんな不安に
駆られてしまうからだ。
(蓁羅のことを思ってくれるのは嬉しいが、それよりも私を・・・・・っ)
「・・・・・っ」
そんな風に思ってしまう自分が女々しい気がして舌を打つと、まるでそれを見計らったように扉を叩く音かした。
「・・・・・」
返事もしないままに口を引き結んで椅子に腰を下ろしていると、ゆっくりと中に入ってきたのは衣月だった。
一瞬、その後ろから莉洸が現れるのかと思わず視線を向けてしまったが、衣月は自分が中に入ってくると静かに扉を閉めた。
「・・・・・」
「お聞きにならないのですか?莉洸様との話を」
「私が聞いても仕方あるまい」
「稀羅様」
「莉洸がお前に何かを話したのならば、それはお前を信用して話したのだろう。私が無理に聞き出すというのもおかしい」
「・・・・・」
稀羅の返答に衣月は笑った。
「こんなにも稀羅様は分かりやすいお方なのに」
「なに?」
「稀羅様を見ていれば、どれだけ莉洸様を想っていらっしゃるのか直ぐに分かります。ああ、当事者では少し見方が変わってしま
うのかもしれませんが」
「・・・・・」
ずっと稀羅の側にいた衣月にはどんな言葉で繕っても全て真意は知られているのだろう。
そう思った稀羅は取り繕うこともせずに、不機嫌さを表に出して言った。
「莉洸は何時になったら私を信じるのだ!あれが望めば、どんな言葉も惜しむことなく与えるものを!」
「そのように怒っていては、あの気弱い王子は怯えてしまうのですよ」
「・・・・・ふんっ」
「莉洸様と話はさせていただきましたが、最後に決めるのは莉洸様です。どうか稀羅様、お急ぎにならないように」
「分かっておる!」
稀羅としても、これ以上莉洸を怯えさせたくはなかった。
まだ少し、後ほんの少しなら、莉洸の気持ちが育つのを待てる・・・・・はずだ。
(莉洸が怯えた目で私を見るのは・・・・・胸が痛むからな)
その夜、夕食の席に莉洸は現れなかった。
少し考え事をしたいからという言葉に稀羅は眉を潜めたものの、それを咎めることはせずに部屋に軽い食事を運ばせた。
(いったい、何を考えるのか・・・・・)
本当は顔を突き合わせて訊ねたいところだが、昼間衣月にも諭されたばかりだ。稀羅は莉洸の部屋に向きかけた足を何とか引き
戻し、そのまま私室へと戻った。
「・・・・・」
部屋の中には先に運ばせていた酒が用意されている。
稀羅はそのまま杯に酒をなみなみと注いで一気に飲み干した。
「・・・・・」
身体を動かすことが多いこの国の民は、皆疲れを取る為の唯一の娯楽のように酒を飲む。それもかなり強いものが多いのだが、
男も女も皆酒に強いのだ。
この酒も、王である稀羅の為に用意されたものでかなり純度も香りもよく、喉がかっと燃えるように熱くなったが・・・・・直ぐに治まっ
た。
「このまま横になるか」
思えば、昼過ぎに視察から戻ったばかりだ。酒を飲んで横になればそのまま寝られるかもしれない・・・・・そう思った時、
トントン
小さな、扉を叩く音がした。
(衣月か?)
稀羅は衣月か召使かと思ってそのまま放っておいたが、一向に扉が開いて中に入ってくる様子は無い。
王宮内では、声を掛ければ勝手に扉を開けても文句を言う者はいないはず・・・・・いや。
(一人だけ、お行儀のいい奴がいたな)
稀羅は直ぐに立ち上がると、無言のまま扉を開けた。
「・・・・・」
「!」
いきなり扉が開いて驚いたのか、立っていた莉洸は大きな目を丸くして稀羅を見上げていた。
「どうした」
「あ、あの」
「莉洸」
「お、お話を・・・・・」
「・・・・・」
(私の言葉を覚えていたのか?)
昼間、部屋に来いと言った稀羅の言葉を覚えているのか、それとも忘れているのか。
今目の前に立っている莉洸の表情からは分からないが、思いつめたような固い表情を見ると問い詰めるのも可哀想になり、稀羅
は溜め息をついて大きく扉を開けてやった。
「入れ」
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