光の国の恋物語





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 「では、洸竣様はお戻りになられたのですか」
 「うん、どこに行かれていたのかは教えて頂かなかったけれど」
 全く仕方がない人だと文句を言う悠羽を微笑みながら見つめていたサランは、ふと動かしていた手を止めて部屋の中を見回し
た。
今、サランは悠羽を手伝って部屋の整理をしている。夕べ洸聖がわざわざ部屋に訪れて言ったように、徐々に悠羽の引越しをす
る為の準備だった。
洸聖の部屋とそれほどに離れてはいないので、悠羽自身はまだ準備をするのも早いのではと途惑っていたが、サランは洸聖が夕
べのうちにサランに伝えに来た思いを考えると、引越しは一日でも早い方がいいのではないかと思っていた。
(一時も手放したくないと思われているのでしょうし・・・・・)
 サラン自身、悠羽と離れてしまうのはとても淋しく思うものの、同じ建物の中には住んでいるのだし、自分が悠羽付きの召使で
あることには変わりが無いのだ。
 「あ〜、少し喉が渇いたな。サラン、何か持ってこようか?」
 「私が参ります」
 「いいよ、私から言い出したことなんだから」
 「悠羽様は少しお休みになられてください。夕べは眠りが少なかったのではないですか?」
 「え?」
遠回しに言っても、どうやら悠羽は分からなかったようだ。
仕方が無いと、サランは立ち上がりながら言葉を続けた。
 「洸聖様がお放しになられなかったのではないかと」
 「サ、サラン!」
 「お茶と甘い物を頂いてまいりますね」
 「・・・・・」
顔を赤くして何も言えなくなった悠羽に優しく言うと、サランはそっと部屋を出て行った。



 王宮の中は平和だった。
いや、王宮内では近々行われるであろう洸聖と悠羽の婚儀の話でそこかしこで笑いと喜びの声が上がっていて、雰囲気が沸き
立っているのが感じ取れた。
第三王子莉洸が蓁羅の稀羅王の元へと行ってしまった後、王宮にとって、いや、光華国にとっても、久々に華やかで嬉しい話
なのだろう。
 「・・・・・」
 そんな中で、サランは自身の心がそれほど高揚していないことに気付いていた。もちろん、悠羽が幸せになることには全く異存は
無いものの、自分達の関係が変わってしまうことに思った以上に感情を引きづられているようだった。
(召使である私がこんなことを思う自体恐れ多いことなのに・・・・・)
兄弟のように育ったとはいえ、自分と悠羽は全く生まれが違う。
悠羽は腹が違うとはいえ、れっきとした現奏禿の王の御子なのだ。
 「・・・・・」
サランは溜め息をついた。



 厨房に向かっていたサランは、ふと向かいの渡り廊下を歩いている人影が目に入った。
(洸莱様?)
腰に剣を携え、防具を纏った姿なので、今から剣の稽古に行くのだということは分かった。
このままその姿を見送るのだと思っていたサランだったが、
 「洸莱様」
(・・・・・え?)
自分でも全く意識していないというのに、洸莱を呼び止めるようにその名を呼んでしまったことに、サランは自分自身が驚いて目を
見張ってしまった。
 「サラン?」
 それほど大きな声ではなかったと思うが、洸莱は足を止めてこちらに視線を向けてきた。その目が優しく細められたことに、サラン
はますます居心地が悪くなってしまうものの、そのまま立ち去ることも無礼だと思い、洸莱が近付いてくるのをじっと待っているしか
なかった。
 「どこへ行かれる?」
 「・・・・・厨房に。洸莱様は剣のお稽古でしょうか?」
 「ああ。少しは我が国の為に役に立つ存在でありたいから」
 「・・・・・」
(まだ、16歳だというのに・・・・・)
 かなりしっかりしている洸莱はとても末っ子とは思えなかった。
(想像とはまるで違った・・・・・)
 大国、光華国の四王子。
皇太子である第一王子は賢く、第二王子は華やかで。
第三王子は花のように可憐で、第四王子は涼やか。
光華国の4人の王子達の事は様々な国で噂をされていたが、末っ子である第四王子の洸莱のことは、歳もまだ若いせいかそれ
ほどに目立った話は聞かなかった。
 だが、洸莱はサランが思っていた以上に思慮深く、大人と遜色のない考えの持ち主で、サラン自身も何度もその言葉には気持
ちを宥められてきた。
噂というものは、真実だけを伝えるものではない・・・・・サランは本当にそうだなと思った。
 「サラン」
 「はい」
 そんなサランをじっと見下ろしながら(洸莱はサランよりも少し身長が高い)、洸莱は一瞬言い澱んで・・・・・やがて思い切ったよ
うに口を開いた。
 「私の為に、少し時間をくれないか」
 「え?」
 「サランと、もっと話がしたい」
 「私・・・・・と?」
唐突な申し出に、サランは途惑ってしまった。
自分と洸莱にはほとんど接点は無く、改めて話と言われてもどうしていいのか全く想像出来なかった。
そうでなくても感情の起伏がほとんど無い自分と、無口だといってもいい洸莱。これでは会話など出来るはずもないのではと思う。
(どう、返事を差し上げたら・・・・・)
珍しくサランは動揺していた。



 軽口をたたいたサランに焦ってしまった悠羽だったが、しばらくしてようやく顔の火照りが治まったと感じると、慌ててサランの後を
追って部屋を出た。
やはり自分が言い出したことなので、せめて一緒にお茶を運ぼうと思ったのだ。
 「あ」
 そして、悠羽は廊下で洸莱と向かい合っているサランを見た。遠くから見ても、どうやらサランが困惑している様子が伺える。
(珍しい、サランが困っているなんて・・・・・)
その僅かな表情の変化は長年一緒にいた悠羽にはよく分かったが、目の前の洸莱は分かっているのだろうか。
 「・・・・・」
 一瞬、悠羽はこのまま自分は立ち去った方がいいのではないかと思った。2人がどういう理由にせよ向かい合っているというこの
状況を邪魔しない方がいいのではないかと考えた。
しかし、
 「悠羽様っ」
 悠羽が踵を返そうとする直前、サランはその姿に気付いて名前を呼んだ。
縋るような、ホッとしたような・・・・・悠羽にだけに見せる心を許したその表情を、悠羽は無視することは出来なかった。
 「サラン」
 「どうなさったのですか」
サランの口調も表情も、一瞬のうちに何時もの状態へと戻った。悠羽が側にいることで、サランの感情は平常に戻ったようだが、そ
れが良かったのか悪かったのか、悠羽はチラッと洸莱を見つめた。
 「・・・・・」
(相変わらず・・・・・表情が読めないな)
サランも無表情だが、彼は幼い頃の不遇な生活と自分の身体への劣等感で、何時しか全てを悟りきってしまった感があるが、
洸莱はどちらかといえばまだ感情を素直に表に出すことが出来ない、どこか不器用な幼さを感じる。
今も、突然の悠羽の登場にどうしようかと、当惑したような表情が僅かながら見て取れた。
 「何か、サランに用でしたか?」
 「悠羽様」
 「・・・・・悠羽殿」
 真っ直ぐな悠羽の問い掛けに、洸莱は少しして頬を緩めた。
悠羽が初めて見る、大人びた微笑だった。
 「あなたに、許しを請わなければならないかもしれないか」
 「え?」
 「悠羽殿、私は、サランが・・・・・この人が、とても気になっているのです。多分、恋しいと・・・・・思っています」