光の国の恋物語
93
「悠羽、どう思う?」
「・・・・・全く、考えていませんでした」
洸竣にそう提案されるまで、悠羽は正直《診察をし直す》ということを全く考えていなかった。
元々奏禿は豊かな国ではない。それは王族にも例外なく言えることで、王室専属何とやらなど、王族だからと特に特別なものは
無いのだ。
医師も民と同じであったし、食べる物もそれほど違いは無い。
(ああ、もっと早く気付いていれば・・・・・っ)
サランの母親が医師に見せたからといっても、普通の民が高名な医師のもとに行けるはずが無く、そこで間違いが無かったと言
い切れるとは限らなかった。
「早くサランに・・・・・っ」
一刻も早くと立ち上がろうとした悠羽だったが、直ぐに動き出すかと思われた足は止まってしまった。
「悠羽?」
「・・・・・駄目です、私にはサランを説得出来ない・・・・・」
長い間心に重く圧し掛かってきたものは、容易に他人が動かすことなどは出来ない。
そうでなくてもたよやかな見掛けとは裏腹にサランは頑固だ。幼い頃から比べれば身体は成長していると説明したとしても、今更と
その言葉を笑って跳ね除けてしまうだろう。
「どうしよう・・・・・」
可能性があるのに動くことが出来ないと、悠羽は唇を噛み締めて俯いてしまった。
早朝の王宮の廊下を、サランは静かに歩いていた。
朝一番に悠羽に飲んでもらう冷たい水を厨房に取りに行く為だったが、何時もは日課のようになんの感情の乱れも無く行う行動
が(もちろん、悠羽の為を考えているのは間違いが無いが)、今朝は自分でも分かるくらいに神経が過敏になってしまっていた。
それは間違いなく、昨日の洸莱の言葉のせいだ。
「この人が、とても気になっているのです。多分、恋しいと・・・・・思っています」
こんなに真っ直ぐに誰かに欲しいと言葉で言われたのは初めてで、サランは確かに嬉しいと感じている自分がいたことを自覚して
いた。
しかし、あの場で悠羽と洸莱の前で言ったように、光華国の未来を考えれば洸莱の求愛などとても受け入れられるはずが無く、
言葉は冷たくなってしまったが、サランは本気で洸莱を拒絶した。
(洸莱様はまだ16。本当のお相手はこれから必ず・・・・・)
「やあ、サラン」
「・・・・・っ!」
いきなり名前を呼ばれたサランは、ビクッと肩を揺らして立ち止まってしまった。
「洸竣様・・・・・おはようございます」
「おはよう」
前回はサランの方が朝帰りをした洸竣の姿を見付けたが、どうやら今日は洸竣の方が先にサランの姿を見つけていたようだ。
いや。
(まさか・・・・・私を待っていた?)
なぜかは分からないが、こんなに朝早く、こんな場所に立っている洸竣の行動に何か意味があるような気がして、サランは警戒を
解かないまま訊ねた。
「私に御用がお有りですか?」
「ん?」
「・・・・・悠羽様・・・・・いえ、洸聖様から何かお聞きになられましたか?」
悠羽は簡単に人の秘密を口外するような人間ではないが、もしかしたらということもある。
ますます警戒して探るように言ったサランに、洸竣は目を細めて笑い掛けた。
「サラン、自己犠牲は、もっと歳を取ってからでも出来るのではないかな?若く美しい今は、お前ももっと我が儘になってもいいと
思うが」
「・・・・・」
(・・・・・まさか、洸竣様は私の身体のことを・・・・・)
昨日の自分のことを気に掛けた悠羽が洸竣に何か言ったのだろうかと思ったが、洸竣はサランの身体についてはそれ以上の言及
をせず、全く別のことを言った。
「悠羽が洸莱の部屋を訪ねたぞ」
「え・・・・・?」
「何を話すのだろうな」
(悠羽様が洸莱様のもとに?)
それが何の為なのか、考えなくても直ぐに分かる。
サランはパッと踵を返すと、洸竣に挨拶もせずに足早に洸莱の部屋へと向かった。
「どうぞ」
「は、はい」
(う・・・・・緊張してしまうな)
女が、それも皇太子洸聖の正妃になる立場の者が、こんなに早朝から義兄弟になるとはいえ男の部屋を訪ねるなど、本来は
とてもはしたない行為だ。
しかし、悠羽は自分が男だという感覚があるので、それほどにこの訪問を気にすることはなかった。もちろん、早朝に訪ねたというの
は申し訳ない気分だったが。
「何も用意出来ないが」
「いいえ、お構いなく」
洸莱は扉を開けてそこに悠羽が立っていたことに少し驚いた様子だったが、それでも部屋に招き入れてくれると、椅子を引いて
座るのを促してくれた。
そんな一連の行動が洗練されているのを見て取っても、年齢は若いが育ちの良さが伺われる。
優しくて、男らしくて、誠実で。こんな洸莱がサランを慈しんでくれたらと、自分やサランよりも年下の相手に頼ってしまいそうになる
自分を悠羽は自嘲した。
「悠羽殿、いかがされた」
「あの、昨日のお話なのですが・・・・・」
「・・・・・サランのこと?」
「はい」
悠羽が訪ねて来た事で話の内容には見当がついていたのか、洸莱は口元に苦笑を浮かべるものの、動揺した様子は見せな
かった。
「昨日のサランの言葉をお許し下さい。サランは私や黎のことを考えてくれて、少し強い口調になってしまっただけなのです」
「大丈夫、悠羽殿。自分でも御しきれない想いをいきなり伝えた私が悪いのだから」
「・・・・・」
本当に16歳なのかと思うほどに大人びた考えの持ち主である洸莱に、悠羽はサランにはこの青年しかいないと感じてしまった。
頑なで自分に厳しく、だからこそ傷付きやすく優し過ぎるサランの全てを包み込んでくれるのは、真っ直ぐな瞳のこの洸莱しかいな
い。
気持ちが固まった悠羽は椅子から立ち上がると、深々と頭を下げた。
「悠羽殿?」
突然の悠羽の行動に洸莱が途惑っているのは分かっていたが、それでも悠羽は頭を下げたまま洸莱に言った。
「洸莱様、一緒にサランを説得してくださいっ」
「え?」
「サランに、きちんとした医師の診断を受けさせる為に、どうかご協力下さい!」
悠羽は、夕べ洸聖と洸竣の3人で話したことを洸莱に告げた。
サランの身体を診てもらったのは幼い頃の一度、それも町医者であり、身体が成長した今、高名な医師のきちんとした診断を受
ければ、もしかしたらまた別の答えが出てくるかもしれないということ。
きっと、サランは初めから諦め、自分の幸せを考えることが罪だと思い、診断を受けることを拒むだろうということ。
「高名な医師に診て頂いても、結果は変わらないかもしれません。でもっ、もしかすればその結果が変わるかもしれないのです。
どうか、洸莱様、サランの幸せを共に願ってくださるのなら、私と共にサランに・・・・・」
「・・・・・申し訳ない。私には出来ない」
「・・・・・え?」
「サランの意思を曲げてまで、その身体を誰かに診せようとは思わない」
「洸莱様、でも、それではサランは・・・・・っ」
「悠羽殿、私は子を産む相手を欲しいと思っているわけではない。サランが、あの人がただ・・・・・好きなんです」
「・・・・・」
「医師に診てもらい、もしもその結果サランが子を産めると分かったとしたら、それは皆にとってとてもいいことかもしれない。でも、
たとえその診断の結果が変わらなかったとしても、私のサランへの思いは変わらない。それならば、私はサランが嫌がることをしてま
で新しい結果を見ようとは思わない」
「洸莱様・・・・・」
「それよりも、悠羽殿。あなたの大切な兄弟であるサランを、私のような若造が恋い慕ってもよろしいのか?」
「・・・・・い、はいっ、もちろんです」
サラン本人では無いというのに、悠羽は自分が熱烈な告白を受けたような気がして胸が熱くなった。
良い結果も悪い結果も受け入れる覚悟があるから、先ず本人の意思を一番に考えたい。子を生む相手に恋をしたわけではな
いのだとはっきりと言った洸莱に、悠羽はますます頭が下がる思いがする。
この青年ならば大丈夫だと、本当に、本当に心の底からそう思った。
(サラン、サラン、お前は・・・・・絶対に幸せになれるよ・・・・・っ)
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