光の国の恋物語





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 洸莱は自分の目の前で必死で泣くのを我慢している悠羽をじっと見つめた。
ソバカスのある顔を真っ赤にして、小さな唇を噛み締めている様はまるで子供のようだが、何だかとても可愛らしく見える。
あの堅物で尊大な、しかし時期国王としての自覚と責任を真正面から受け止めている兄には、こんな人間味溢れる伴侶が似
合いなのだろうと心から思った。
 「・・・・・申し訳ありませんでした、洸莱様。私、つい先走ってしまって・・・・・」
 「いえ、悠羽殿がサランを思いやってくださっているのはよく分かるから」
 「・・・・・」
 「ありがとう」
 もっと、感謝しているという自分の気持ちをちゃんと言葉にして示したかったが、幼い頃に話し相手がおらず、ずっと1人で暮らし
てきた洸莱にとって、誰かと会話をするということはそれ自体苦痛にも似た行為だった。
3人の兄達のことは尊敬しているものの、10歳になって離宮からこの王宮に引き取られてからずっと、側にいてくれた莉洸には心
を開いてはいるものの、他の2人の兄達に対しては今だ遠慮を感じていた。
 だが、穏やかで明るい雰囲気の悠羽は話しやすい。
そして・・・・・。
(なかなか・・・・・手強いな、サランは)
 悠羽にこんな行動をとらせてしまうほどサランの態度が頑なだとすれば、自分の気持ちを受け入れてくれるように働きかけるのは
なかなか容易ではないだろう。
もちろん諦めるつもりは無いし、洸莱は急ぐつもりも無かった。
悠羽が兄洸聖と婚儀を挙げることは決まっているので、悠羽の召使であるサランも当分は光華国に滞在するだろうし、自分自
身がまだ16という歳なので、早急にどうにかしたいとは思ってはいない。
 ただ、自分が側にいて欲しいと、側にいたいと思ったのはサランが初めてで、洸莱はその思いを必ず成就させるという強い決意を
抱いていた。
 「こんなに早くにお邪魔致しまして、申し訳ありませんでした」
 「部屋までお送りしよう」
 「い、いいえ、大丈夫ですから」
 悠羽が洸莱の申し出を断った時、荒々しく扉が叩かれる音と同時に、
 「悠羽様っ!」
いきなり開いた扉の向こうから、今話題の中心になっていたサランが青褪めた表情で飛び込んできた。



 「サランッ?」
 「サラン」
 洸竣が言った通り、洸莱の私室には悠羽がいた。
扉を開けると同時に自分を見つめてきた、見慣れた薄茶の瞳と、深い碧の瞳。
サランは足早にやって来た為に少し上がってしまった呼吸を整えながら、2人に向かって頭を下げた。
 「いきなり、無礼な真似を致しました」
 「ううん、私も今戻るところだったし」
 「戻る?」
 「話は終わったから、ねえ、洸莱様」
 にこやかに笑った悠羽が洸莱を振り向くと、洸莱も少しだけ口元を緩めて頷く。
サランは2人の間に何があったのか気になって仕方が無いが、ここで自分がその話題を出すのも違うかもしれないと思った。
(もしかしたら、私の話ではないのかもしれないし・・・・・)
悪戯好きな洸竣が、ただ面白がってサランをからかっただけなのかもしれない。今それが本当かどうかは分からないが、2人が自
分に向かって何も言わないことを、サラン自身が言うことも出来なかった。
 「悠羽様」
 「サランは?洸莱様に話があった?」
 「・・・・・いいえ、私は何も」
 「そう」
 一瞬だけ、悠羽は淋しそうな表情になったが、それは直ぐに消えてしまって洸莱に向かって頭を下げて言う。
 「それでは、洸莱様」
 「・・・・・」
 「失礼致します」
悠羽とサランの交互の挨拶に、洸莱は頷いた。



 自分の少しだけ後ろを歩くサランの気配を探りながら、悠羽はたった今洸莱と交わした話を頭の中に思い浮かべていた。
歳に似合わない思慮深い洸莱の言葉は一つ一つが心に響いて、悠羽は今朝までの不安な気持ちが綺麗に解消されたような
気持ちになる。
(私はもう、何も言わない方がいいな)
後は2人がゆっくりと理解しあうのを見守っていけばいいと思った。
 「・・・・・悠羽様」
 「ん?」
 「・・・・・いいえ、何もありません」
 「・・・・・」
(ふふ、珍しいな、サランが動揺しているなんて)
 本当は、2人で何を話していたのかと聞きたいのだろうが、それを言えば昨日の会話を蒸し返してしまうことになるので容易に口
に出来ないのだろう。
悠羽は少しだけ意地悪な気持ちになって(もちろん、洸莱の言葉に安心したからであったが)、くるっとサランを振り返って笑い掛
けた。
 「昨日はすまなかったな、サラン」
 「え?」
 「お前の気持ちを考えず、自分勝手にどんどんと話を進めようとしてしまった。もう、そんなことは言わないから」
 「悠羽様、私は・・・・・」
 「戻ろうか」
 「は、い」
 悠羽はサランの腕を取る。
 「悠羽様?」
幼い頃はよく手を繋いだが、ある程度の年齢になってからはあまりこういった行動は取る事はなかった。
サランが途惑ったように繋がれた手に目を落とすと、悠羽は更にギュッと強く手を握って言う。
 「大好きだよ、サラン」
 「悠羽様・・・・・」
たとえお互いに愛する人が出来たとしても、離れるようなことになったとしても、悠羽にとってサランはかけがえの無い存在であること
に変わりは無かった。



 執務室の扉を叩く音がして、洸聖は書面から顔を上げた。
この叩き方から相手は誰かと予想はつき、案の定許可を言う前に扉を開けて入ってきたのは洸竣だった。
 「どうした?」
昼前から洸竣が政務を行うということは今までに無く、多分全く違う話をしにきたのだろうということは分かる。
ペンを置いてじっと視線を向けると、洸竣はにやっと楽しそうに笑った。
 「兄上、悠羽殿から聞かれましたか?」
 「悠羽から?何をだ?」
 「今朝の話です。洸莱とサラン、どうなりましたか?」
 「なんだ、お前は・・・・・」
 洸聖は溜め息をついた。夕べ、あれほど弟である洸莱のことを心配していたくせに、今はもう何か楽しい悪戯を思い付いたよう
な顔をしている。
(こいつは元々こんな性格だから仕方が無いのだろうが・・・・・)
 「何も聞いておらぬ」
 「え?何も、ですか?」
 「ああ」
 「サラン・・・・・何も言わなかったのか。洸莱もまだまだ子供だしなあ」
 「洸竣」
 どうやらこの弟は、自分の知らない間に何かを仕掛けたらしい。ここで注意をしても懲りることは無いと思うが、洸莱の為にも釘
を刺しておいた方がいいと思った。
 「洸竣、自分のことはどうなんだ?」
 「私?」
 「人の心を弄ぶようなことをしている間は、黎はお前の手の内には入らないと思うぞ」
 「・・・・・っ」
 一瞬呆気に取られたような顔をした洸竣は、次の瞬間珍しく耳元を赤くする。
その表情の変化に内心満足した洸聖は、再びペンを取って書面に視線を落とした。
 「分かったら仕事をしろ」
 「・・・・・分かりました、兄上」
諦めたような声の後、ゆっくりと足音が遠ざかって扉の開閉する音が聞こえる。洸聖はその背を見送らなかったが、口元には苦笑
にも似た笑みが浮かんでいた。