光の国の恋物語
98
「稀羅様!兄様が、洸聖兄様と悠羽様が結婚なさるって!」
手紙を開いて直ぐ、莉洸はパッと顔を上げて稀羅に報告した。
「・・・・・そうか」
ゆったりと椅子に腰掛けていた稀羅は、その弾んだ声に鷹揚に頷いて見せた。
渡す物があると使いを出して呼び出した自分の私室で、無言のまま差し出した封書。不思議そうな表情になった莉洸は差出
人の名前を見て目を見張り、急いで封を開けて中の手紙を読んでいた。
誤魔化す事のない莉洸の言葉でその内容は稀羅にも直ぐに伝わり、予想は出来ていたそれに稀羅は頷いたのだ。
「ああ、どうしようっ、もう少し後になるかと思っていたのに、これほど早く式を挙げられるなんて!ねえ、稀羅様っ、素晴らしいこと
ですよねっ?」
「そうだな」
自分宛に届いた手紙をしっかり握り締めて、莉洸はまるで踊っているかのようにクルクルと部屋の中を歩いている。
それをじっと見つめていた稀羅は、自然と笑みが浮かんでしまった。
隣国光華国から、莉洸に宛てた手紙が届いたのは数日前だった。
王宮に届く書状や手紙を一括して預かる部所の役人が先ず衣月に知らせ、衣月が稀羅に知らせた。
「いかが致します」
「・・・・・」
衣月の言葉に、稀羅は直ぐに返事が出来なかった。
莉洸を蓁羅へと連れてきて以来、様々な食べ物や衣類など、生活に必要な品々は頻繁に送られては来るものの、 光華国か
ら莉洸に宛てて手紙が届いたのは今回が初めてだった。
蝋で封をしている手紙を無理に開けてしまえば、莉洸はいったいどう思うだろうか。表面上非難することは無いだろうが、それでも
悲しい思いをするだろう。
(莉洸を信用していないわけではないが・・・・・)
光華の王、莉洸の父である洸英と約束した100日という猶予期間。
その間、莉洸は蓁羅で暮らしているとはいえ正式な稀羅の妃ではない。もちろん既に身体は我が物としているし、莉洸自身も稀
羅に対する想いを育ててくれていると信じている。
それでも、あれだけ家族に愛され、国民に愛された莉洸が、光華国のことをきっぱりと忘れたということはありえない・・・・・稀羅は
心のどこかでずっとそう思っていた。
「莉洸様宛の手紙とは別に、稀羅様にも正式な婚儀への招待状が届いております」
「・・・・・あの第一王子が私を招待するとはな」
「お相手の方のご意向ではないですか」
「・・・・・」
(確かに、あの者ならばしそうなことか)
初対面の時からほとんど物怖じせずに自分に対してきた悠羽。あの性格ならば稀羅を招待しようと言い出してもおかしくは無い
のかもしれない。
稀羅は思わずふっと笑みを零した。
「光華のような大国の婚儀に私が呼ばれるとは異な事だ」
「稀羅様」
「その手紙、莉洸に渡すように」
「はっ」
もしかすれば、正式な招待状として稀羅宛に届いたものと、莉洸名指しで送られてきた手紙の内容は違うものかもしれない。
王である洸英が認めたとはいえ、兄弟達は稀羅と莉洸の結婚を出来れば阻止したいと思っているはずで、手紙の中に、もしも
思い直すようにとの文面があったら・・・・・。
(いや。今私が何を考えても仕方ない)
こんな事で怯えていては、稀羅はこの先もずっと光華国の呪縛から逃れられない。稀羅はそう無理矢理自分を納得させると、机
の上に置かれた手紙をじっと見つめた。
(莉洸への手紙も婚儀の事だったのか)
気にしないようにと思いながらも、莉洸のその言葉に稀羅は内心安堵していた。
仮に、手紙に稀羅や蓁羅に対する何らかの抗議が書いてあれば、素直な莉洸は直ぐに表情に出てしまうはずだ。その莉洸は手
紙を読んだ直後からとても嬉しそうで、とても手紙の内容を憂いている様子は無かった。
「莉洸」
「はい」
「婚儀に出席をしたいのか?」
「え・・・・・」
莉洸は足を止め、稀羅を振り返る。
「あ、あの・・・・・お許し頂けないのでしょうか」
「そなたの気持ちを聞いているだけだ。私の意志は関係なく、そなたは光華国に帰国したいと思うのか?」
稀羅の言葉を否定と捉えたのか、莉洸の表情は急に曇ってしまった。
敬愛する兄洸聖と、大好きな悠羽の婚儀が決まったとの連絡を受け、莉洸は嬉しくて嬉しくてたまらなかった。
本来ならば直ぐにでもきちんと顔を見て祝いの言葉を送りたかったが、こうして莉洸に宛てて2人直筆の招待状を送ってもらい、
自分もまだ家族なのだと胸が熱くなった。
自分同様、稀羅も2人の結婚を祝ってくれると当然のように思っていた莉洸だが、想像していなかった稀羅の言葉にどう答えて
いいのか分からなくなる。
(稀羅様・・・・・まだ我が国を憎んでおいでなのだろうか・・・・・)
莉洸が生まれるずっと前の、光華国と蓁羅の根深い対立。莉洸も稀羅も、直接には知らない不幸な出来事のせいで、2つの
国はつい最近まで国交断絶の状態だった。
それが、莉洸が稀羅の婚約者という立場になってから、急激に関係は好転してきているはずなのだが、長い間の不遇は稀羅の
心を直ぐには溶かしてくれないのだろうか。
「・・・・・稀羅様が行かれないのでしたら、僕も・・・・・出席致しません」
「莉洸」
「僕は稀羅様と行動を共にします。稀羅様は僕の、夫となる方なんですから・・・・・」
「・・・・・」
「あ、あの、でも、お祝いの手紙は送ってもよろしいでしょうか?式に出席出来ないのでしたら、言葉だけ・・・・・あっ」
何とか手紙だけは許してくれないだろうかと言い掛けた莉洸は、不意に立ち上がって手を伸ばしてきた稀羅を見て身体を硬直
させた。
打たれるとは思わなかったが、とっさの動きには思わず身体が怯えてしまうのだ。
何時までもこんなことではいけないと思い、焦って口を開き掛けた莉洸は、そのまま伸びてきた長い腕にすっぽりと抱きしめられて
しまった。
「稀、稀羅様?」
「すまぬ」
「え?あ、あの・・・・・」
「そなたを試すようなことを言ってしまった」
「・・・・・試す?」
「そなたが今だ光華に戻りたいと思っているのではないかと思って試したのだ・・・・・許してくれ」
「稀羅様・・・・・」
自分の気持ちを試したと言われても、莉洸は稀羅に対しての怒りは湧かなかった。むしろ、未だに稀羅に疑われてしまうような
態度を取っているのかもしれない自分を反省する。
(僕は稀羅様の事を一番に考えなければならないのに・・・・・駄目だな、甘えてしまっていた・・・・・)
手紙に書かれてあった兄と悠羽の言葉に、一瞬のうちに弟としての気持ちが蘇ってしまった自分が恥ずかしかった。
抱きしめた莉洸は腕の中から逃げようとはしない。
そればかりか、遠慮がちではあるが稀羅の背中に小さな手を回してくれた。
(情けない・・・・・)
強い王として蓁羅という国の頂点に立ち続けた自分が、こんな些細な事で気持ちを揺らしてしまうのが情けなかった。
愛する者の存在というのは、自分を強くもするが・・・・・弱くもするようだ。
「蓁羅の国宛にも招待状は届いた」
「え・・・・・」
「出席するという返事を書かせるつもりだ。もちろん、婚約者のそなたを連れて」
「稀羅様・・・・・っ」
「何時までも光華を恐れていてはならないな。既に彼の国は、我が故郷蓁羅と同等の愛すべき国になっている・・・・・そなたの
大切な故郷なのだからな」
「・・・・・っ」
ただその存在を欲して奪うように連れ去ってきた莉洸だが、彼はそんな稀羅の行動を許し、その上で受け入れてくれた。心だけ
でなく、身体だけでなく、存在の全てを稀羅に預け、共に蓁羅の発展の手助けをしたいと言ってくれた。
男の身で男を受け入れ、大国の王子が、こんな貧しい小国に自らやってきてくれたのだ。
大切に、大切にしなければならない存在を、自分の狭い心のせいで悲しませてはならない。
「すまなかった」
「・・・・・一緒に、行って下さるのですか?」
「もちろんだ。私達の大切な兄弟の晴れ姿を祝わなければなるまい」
「・・・・・はい」
腕の中の莉洸が何度も頷く。
稀羅はその存在を確かめるように、更に抱きしめる腕の力を強くした。
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