光の国の恋物語





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 湯ぶねに入って、大きな溜め息をついた莉洸は、湯を手ですくって遊びながら呟いた。
 「本当に驚いた・・・・・まさか、稀羅様が冗談を言われるなんて」
 「・・・・・」
 「何時も真面目なお顔をなさっているし、軽口もお聞きしたことが無いほどに言葉数の少ない方だから・・・・・本当に、驚いた」
光華国で執り行われる長兄洸聖と悠羽の婚儀に、当たり前のように自分も出席すると思っていた莉洸は、

 「婚儀に出席をしたいのか?」

そう言う稀羅の言葉に驚きと悲しみが混在した思いになってしまった。
大好きな兄と悠羽に直接祝いの言葉を伝えたかったし、久しぶりに父や兄弟、そして城の召使達にも会えると気持ちが高揚し
ていたが、いっぺんに萎んでしまった。
それでも、稀羅の言葉の中に光華国へ出向くことを良しとしない響きを感じ取った時、莉洸はとても淋しいとは思いながらも、稀
羅の気持ちを押し切ってまで帰国しようとは思わなかったのだ。
 結局、それは稀羅自身がその言葉を取り消してくれたが、何時の間にか自分の心の中では稀羅という存在が最優先になって
いるということに今更ながら気付き、莉洸は自分にとって稀羅という人が本当に特別になったのだなと思った。
 「莉洸様はどう思われたのですか?」
 薄い布で仕切った向こう側に控えていた衣月が穏やかに聞いてきた。
 「・・・・・驚きました」
 「それ以外には?」
 「・・・・・それほどにお心を許して頂けるようになったのかなって・・・・・嬉しくも思いました」
家族はもちろん知り合いも全くおらず、この見知らぬ蓁羅という国で生きていく莉洸にとって、頼るべきはいずれ夫となる稀羅だけ
だった。
その稀羅が少しでも自分と心を通わせてくれるのならば、こんなに嬉しいことは無い。
 「稀羅様は、とうに莉洸様にお心を預けておられますよ」
 「え?」
 「今のあの方にとって、莉洸様以上に大切な方はおられません」
 「衣、衣月」
 きっぱりと言い切る衣月の言葉に途惑ってしまう莉洸だが、そんな気持ちさえ手に取るように分かっているのか、衣月は笑いを
含んだような声で続けた。
 「あなた様が大切で、愛おしくて。だからこそ、誰にもそのお体を見せたくは無いと、湯浴みのお手伝いをさせないように命じられ
ました」
 「あ・・・・・」
(これって・・・・・そういう意味だった?)

 「我が国は光華のような大国ではない。自分で出来ることは出来るだけ自分でするように、湯浴みなど、子供でも出来ることだ
ろう」

 稀羅にそう言われた時、莉洸は何時までも甘えた気分でいた自分のことを叱られたと思った。
確かに身体の汚れを流すことなど自分でも出来るし、何より稀羅と身体を重ねるようになってから、頻繁にとは言わないが身体
に淡い口付けの後が絶えることのないくらいには愛されている身体を、その行為の痕跡が残ったままで誰かに見せるのも恥ずかし
く思えて、莉洸は自分1人で湯を浴びるようになった。
 もちろん、湯殿の周りには護衛がいるし、布で目隠しをした直ぐそこには衣月が控えてくれている。
自分の自主性を鍛える為だとばかり思っていた稀羅の言葉に別の意味があると言われた莉洸は、それが自分を想ってのことだけ
に恥ずかしくて仕方が無かった。



 湯浴みを終えた莉洸を部屋にまで連れて行った衣月は、そのまま執務室へと向かった。
夕方急な地方の役人からの使いが来たので、そのまま稀羅は食事も取らずに会議へと出ていたのだ。
 「莉洸は?」
 「お部屋に」
 「そうか」
 聞けば、報告は山から鉱石が掘れたというもので、もしかすれば有益な輸出品と出来るかもしれないという良い報告だったらし
い。
そのせいか稀羅の機嫌も表情には見えないが良いようで、衣月も柔らかく笑みながら言った。
 「湯浴みの手伝いを禁じられた理由を話しましたよ」
 「・・・・・」
 稀羅は書類から視線を上げた。
 「衣月」
 「お教えしてもよろしいかと思いました」
 「・・・・・」
稀羅は憮然とした表情になったが、莉洸の反応が気になったのか、衣月を叱責するようなことは言わず、そのまま視線で先を促
した。
 「恥ずかしがってはおられましたが、稀羅様を責めるようなことは何も」
 「・・・・・」
 「ご自分のお言葉で伝えられたらよろしいのに」



(そんなことが出来るわけがない)
 稀羅は自分が周りにどんな風に見られているのか良く知っているつもりだ。
女達はよくその顔や身体を賛美してはいたが、稀羅はそんなものは皮一枚のことだと本気には取ったことがなかった。強く、負けな
い王であることを望まれている稀羅は、誰かに自分が懇願するということなど考えられないのだ。
 そんな自分が、ただその身体を見せたくないからと・・・・・そんな理由で莉洸に懇願するなどとても出来す、回りくどい理由で納
得をさせたのだが・・・・・。
(衣月め・・・・・)
 「もっと、お言葉を交わされたらいかがですか」
 「・・・・・」
 「莉洸様ならば、稀羅様のお心をきちんと受け止めてくださると思いますが」
 「・・・・・分かっておる」
自分のような小国の王に、自分からついて来てくれると言ってくれる心優しい莉洸ならば、言葉数の少ない自分の気持ちも受け
止めてくれるだろうということは分かる。
ただ・・・・・稀羅自身、こんな大切な相手も今までおらず、甘やかな気持ちを抱くようになったのは莉洸に会ってからで、そんな自
分の変化に自分自身がついていけていないのだ。
 「・・・・・」
 「政務は、もう終わられますね?」
 「・・・・・お前は食えない奴だな」
 稀羅が今何を考えているのか、衣月はとうに分かっているのだろう。
 「私が思っていることはただ一つ、稀羅様の良いようにと」
 「・・・・・後は明日だ」
 「御意」
丁寧に頭を下げる衣月の横を通り抜け、稀羅はそのまま王専用の・・・・・いや、今では莉洸と自分専用になった湯殿へと向かっ
た。
たとえ王でも自分で出来ることはする稀羅は、そのまま服を脱ぎ捨て、熱い湯船の中に入る。
先程までここで湯に浸かっていた莉洸は、いったい何を考えていただろうか・・・・・。
 「・・・・・笑えるな」
 ふと気が緩めば、稀羅が考えるのは莉洸のことだった。
今までならばどんな時でも国のことしか考えていなかった自分の中に大きな存在として住み着いてしまった莉洸。だが・・・・・その
存在が何よりも心地良い。
 「・・・・・」
 素早く汚れを落とした稀羅は、芯から温まる前に湯ぶねから出た。一刻も早く莉洸の身体を抱きしめたいと思ったからだ。
衣月に言われたからではないが、早く、少しでも早く莉洸の顔が見たくなった。
 「稀羅様」
 「王」
 世話はせずとも控えていた召使達は早い湯浴みに怪訝そうに声を掛けてきたが、稀羅は下がってよいと短く告げてそのまま私
室へと足早に向かう。
莉洸の部屋は稀羅の隣だ。王妃となる人物が入る部屋ではないが、稀羅は莉洸を自分の傍に置いておきたかったし、莉洸もそ
れを望んでくれた。
 「・・・・・そうか」
(莉洸は、とうに態度で示してくれていた・・・・・)
 「・・・・・っ」
 部屋に着いた稀羅は扉を叩くのももどかしい思いがしたが、それでも莉洸が自分を出迎えてくれるのを期待して軽く二度ほど
扉を叩く。
 「稀羅様」
時間を置くことなく開いたドアの向こうから、莉洸が笑みを浮かべながら自分の名を呼んでくれた。
 「莉洸」
 「稀、稀羅様?」
当然のように自分を受け入れてくれる莉洸の身体を、稀羅は高まった感情のままいきなり抱き上げた。






                                                       






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